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【短編小説】 紫陽花の空蝉


 布団からニョキっと伸びている、安次郎の足は、まるでゴボウみたいだなと思う。ヒョロ長くて、太さがあまり変わらず、陽に焼けて色黒で、臑毛がぼうぼうだ。
 カメラマンのアシスタントを始めたばかりの兄は、徹夜をゆうに超えて、27時間ぶりの睡眠を貪っていた。
 昨夜は予算の兼ね合いの強行軍にトラブルが重なって、ほとんど満足に眠る暇がなかったらしい。
 撮影地が実家から近くの海岸だったために、都内の自宅に帰らずに、とりあえず眠るために立ち寄ったのだと言い、シャワーを浴びて、着古しのTシャツと短パン姿になると、菓子パンを二つコーヒー牛乳で流し込むように食べたら、そのままリビングの床で眠ってしまった。
 母が薄手の掛け布団を運んできてかけてあげたが、暑いのか足を布団から出して寝ている。
 兄の突然の帰郷に、母も姉も犬のダグもみんな嬉しそうにしている。
 父はまだ仕事に出ていて知らないが、きっと帰ったらいそいそと納戸にしまってある酒を取りに行くだろう。
 当の本人は、人の気も知らず呑気に眠っている。
 兄は快活で陽気で人気者だ。
 目立ちたがりでおっちょこちょいで、憎めない。
 ダグはしばらくの間、寝てしまった兄の足や耳の匂いを嗅いでスンスン言い、ソワソワとしていたが、最終的には兄の肩の辺りにもたれかかるようにして眠っている。
 母は夕飯を、兄の好物のチキン南蛮に定めたようで、タルタルソース用にゆで卵を茹でている。
 そこへ姉が何やら小箱を抱えてニヤニヤしながらやって来た。
 箱の中から、白いシートを取り出すと、両手に挟んで温める。
 私は姉が持って来た小箱のパッケージを読んで、何を企んでるかを知ることとなった。
 温めたシートを2枚に剥がし、1枚を私に持たせて、もう1枚を兄のゴボウのような足に貼る。
 姉は、もう一枚を同じように反対の足に貼るように私に顎で示す。
「やってみたかったんだよね、これ」
 パッケージには、ワックス脱毛シートと書いてある。
 兄が眠ってしまってから、アイスを買いに行ったドラッグストアでついでに仕入れて来たらしい。程の良い実験台だ。
 言われた通りに貼り付けると、
「躊躇うと痛いらしいから、一気にね」
「あたしもやるの?」
 兄の抗議が予測出来るが、姉の悪戯心に火がついたら止められない。
「もう共犯でしょ。せーので行くよ!」
 確かに、貼った時点で既に共犯と言えなくもないかと観念して、シートの端を摘んで姉の掛け声を待つ。
「せーの!」
「うぉー!!!」
 飛び起きた兄とダグと、脱毛ワックスシートに付いた大量の抜け毛を指差して、姉と一緒になって涙が出るほど笑った。
「ほら、お兄ちゃんもこれでモテモテだね」
 大声に驚いた母が何事かとやってきて、あたしもやってみたかったと涙を流して笑いながら悔しがる。
 母が持ってきたハーゲンダッツを、
「お兄ちゃんはストロベリーね。たえちゃんは抹茶」
 姉は、各自の好みをきちんと把握していて、抜かりなく配分する。
「これ、全部やらないといけないじゃないか」
 やっと覚醒して事態を把握した兄は、スプーンを咥えたままモゴモゴと抗議する。
「お母さんがやってみたいって」
「誰が頼むかよ」
 兄のむくれ顔にまた皆で笑う。
 もう少ししたら夏休みだ。また兄が帰って来たら家の中が賑わうのだろう。
 来週末は友達と水着を買いに行く。いつも私を子供扱いするあの人に、見せる予定もないのに、背伸びして大人っぽいデザインのものにしたいけれど、貧相な身体つきが悩ましい。
 今年の夏も暑くなりそうだ。庭の色褪せた紫陽花の空蝉みたいに、華麗に殻を脱ぎ捨てて、素敵な大人っぽい女性になれたらいいのにと、スマホのインカメラで前髪を整えてから、冷蔵庫のサイダーを取りに立ち上がった。

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