「なぜ助けた」
今日も暑いですね。連休、いかがお過ごしでしょうか。
私の住んでいる地域は、果樹園があるので、たくさんのお客さんが来て賑やかです。
なんか、SNSを見ていて思い浮かんだことがあるので、書かせていただきたいと思います。
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お医者さんと揉めた話があったのです。
要するに
「体が悪いのだから、
趣味をやめればいいじゃないか、私は間違ったこと言っていますか?」
と医師が言ったのだそうです。
その趣味は、その人にとって、物凄く大切なことのように思いました。
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これを聞いていて、思い出したことがありました。
私の知っているお医者さんですが、こんなことを言っていました。
ガンの治療をしている先生です。
「医療が生活の邪魔をしないようにと考えています」
とおっしゃっていました。
私は感動してしまいました。
こんなふうに言い切る先生は、初めて出会ったので。
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以前、ちらっと話した、私が参加さいたガン患者の会に来ていらっしゃった方です。
私は、ガンではないのですが、あるガン患者の会の会長さんのご厚意で、
その会に参加させていただいていたのです。
病気だけを見て、その患者さんの生活や人生を見ない先生も多い。
あんまり、焦点を広げたら、医師も過労で潰れてしまう。
どこかで、線引きや枠組みは、必要。
それは、物凄くわかるのですが、あんまりにも病気だけを見てしまうと、治療が難しくなったり、
別の問題が起こったりします。
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ある患者の病気を治した医師がいて、
「なぜ私を助けた」
と言われて、
物凄く考え込んだと言っていた医師を知っています。
患者は「声」を失ったのです。
そして、患者は「声」を使う仕事をしていた人でした。
「命が助かったんだから、いいじゃない」と言われれば
そこまでだし、
「医者にそこまで求めるのは無理だ」
と言われれば、医師の過重労働のことを考えれば、
そうなのですが、
「病気は治ったけど、患者さんは人生を諦めた」
というふうにならないような何かが必要だと思います。
難しいですけどね。