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文章書けなくなる時ないですか?

友達がいなかった。
小中学生の頃は学校という何かにつけペアを組んだりグループでの活動を求められる場が苦痛だった。
教室にいても自分の居場所がなくて、どこのグループにも入れず。
そもそも入りたいグループもなかったから昼休みは校庭をぶらぶらしたり図書館で過ごしたり、早く大人になりたいなと思いながらなんとなく毎日をやり過ごしていた。

幸い母自身もそういうタイプだったから、私がうっすら学校を嫌いなことに気付いていたし「今日はなんだかお腹が痛いから休みたい」と仮病を使っても学校行きなさいとか病院に行こうと言われることもなく、休ませてくれていた。
それだけが救いだった。

冬はこたつでぬくぬくしながら昼ドラを母と観たり、母の読んだ本をまわしてもらって小学生が読んではいけないような性描写のある小説を読んだりしていた(それほど過激ではない)

私が本や文章を好きになったルーツはそこにあると思う。
休みの日に遊ぶ友達がいなかったこと。
娯楽の一切ないど田舎で育ったから唯一の楽しみが本だったこと。
母が本が好きで家に本がたくさんあったこと。

純文学から田辺聖子や瀬戸内寂聴、正直なんでもよかった。
自分の空白を埋めることができて少なからずその世界に没頭できれば。

村上春樹を読んでみたかったけど「ノルウェイの森」はさすがにR指定だと思ったのか高校生になるまで読ませてもらえなかった。

当たり前のことではあるけど本を読むと語彙が増える。
こういう言い回しや表現、慣用句、四字熟語があるのかと自分の言葉のストックが増えていく。
何か自分の感情を表現しなくてはならない時によりフィットする言葉を選ぶことができる。

今よりずっと真剣に言葉や文章に対して貪欲に切実に向き合っていたと思う。
それが私の全てだったから。

それに対して今はどうだろう。
手軽なSNSの文章に慣れてしまって(そのなかにももちろんきらりと光る文章はあるけれど)
すっかり読むことにも書くことにも前ほどの情熱も欲望もない。
読みたい本が手軽に手に入らなかった子どもの頃に比べて、ネット購入で
翌日には欲しい本がすぐに手に入るのに。
クリスマスにサンタさんにお願いする本は厳選して3冊だったけど今は家計を圧迫しない程度ならいくらでも好きな本を買えるし、近所の大きな図書館で借りることもできるのに。

満たされた環境にいるのに読みたい、書きたいという欲望が枯渇してしまっている気がする。
他に娯楽があるから、というのもあるけど(酒)私のルーツは書くことだしそれ以上に好きなことなどなかったのに。

ここ最近書きたい気持ちはあるのに思うように書けず悶々としていた。
書いてみても全然納得いくものではない。
以前は自分の書いた文章面白いやん!って思ってたのに全然面白くない。
こんなものなら書かないほうがマシだとさえ思えてくる。重症だ。

いまは書くことから離れて読む時なのかもしれないという結論に達した。
年末年始の9連休、これと言って旅行の予定などないから本の世界に没頭しようと思う。
久しぶりに純文学も読みたい。
錆び付いてしまった自分の感性を少しでもいいから磨きたいな。

以下読もうと思っている作品 (まずはリハビリ)
月と六ペンス サマセット・モーム
地獄変 芥川龍之介
眠れる美女 川端康成
わたしを離さないで カズオ・イシグロ
三四郎 夏目漱石
こころ 夏目漱石
宮沢賢治詩集

ノルウェイの森も久々読んでみようかな!

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