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ナイアガラの愛
きのう、ソファでアプリゲームをやっていたら、「ごはんできた」と夫が私に声をかけてくれた。
振り返らなくてもわかる。夫の機嫌が悪い。
いま私は、猫の赤ちゃんを育てる人に向けたハンドブックを作っている。猫ボランティアで獣医師でもある友人が執筆した原稿を、製本化に向けて編集し、イラストを添えるのが私の仕事だ。全部で80ページある。
猫が赤ちゃんを産むのは、春と秋。自宅の庭やガレージでピャーピャー鳴く赤ちゃん猫の処遇に困った人が、小さな段ボール箱に入れて保健所や動物愛護センターに持ち込む。その猫を預かり育て、里親さんを見つける活動を長年続けているのが友人である。(うちにいる2匹の猫も、目が開くまでこの友人が世話してくれた)
猫は1匹で5匹ぐらいの赤ちゃんを産む。町のあちこちで出産ラッシュが始まり、動物愛護センターは臍の緒がついたネズミみたいな赤ちゃん猫の鳴き声でいっぱいになる。この現象を友人は「春の乳飲み子祭り」と名付けた。祭りが始まるのは3月中旬。あと2週間しかない。
80ページのハンドブックは、果敢にも祭りに参加する決意を表明した「ミルクボランティア」さんや、うっかり道端で赤ちゃん猫を拾ってしまい、母性が唐突に開花した人のために作っている。生まれたばかりの赤ちゃん猫が2ヶ月齢に育つまでには、幾多の試練が待ち受けており、下痢や風邪などで弱ったとき「母」としてどう対処すればいいのか、獣医師である友人がわかりやすく説明する本なのだ。
春の乳飲み子祭りに間に合わせなければならない。2週間後には完成し、世に放たねば。友人も私も休日返上で作業を進めている。やっと6割ほどできた。ここからさらに急ピッチでエンジンをかけないと、祭りには到底間に合わぬ。
朝からパソコンに貼りついてキーを叩き、イラストを描いて夕方になる。スーパーに行って食材を買い、キッチンに立つ時間も惜しい。きのうは日曜で夫は休み。幸い彼は料理がうまい。
「ごはんできた」
声のトーンが低い。理由はわかっている。このところ連日、料理当番をやらされているからだ。休日なのに私がパソコンにかじりついているから。僕こんなにがんばってるのに、サラちゃんが相手してくれないから。
昼の間ずっと寝転んで漫才見ていた彼の横で、私はひたすら祭りの準備に奔走していた。やっとひと区切りついたのが夕飯時で、ちょっと休憩とソファに座り、アプリゲームでリフレッシュしている間に、夫の眉間に深々と縦皺が刻まれていたのだ。
さあ、どうするか。
まず笑顔。にっこり彼に笑いかけ、急いでキッチンへ行き、サラダを作ったりお皿を出したりする。鼻歌なんかも歌う。夫はまだ不機嫌。
「サラダまだ?もっと早く作れよ。ゲームやる暇あるくせに。来るのが遅いんだよ」
えへへ。とりあえず笑っておく。食卓が整った。夫が買ってきたワインで乾杯。
「なんかもう疲れた。あんまり欲しくない」
私はかまわず食べる。おいしそうに笑顔で食べる。彼がかわいがっている会社の後輩が、4月から本社に異動する話を思い出し、あれこれ話を聞き出す。さみしくなるねえ、などと言う。夫の眉間の皺が、少し薄くなる。
「来月ゴルフするんだよ。送別会がわりに」
その話、乗った!どこでやるの?メンバーは?プレゼント何にするの?久々に打ちっぱなし再開して練習しなきゃだね。
1時間半の食事はあっという間に過ぎ、夫が半分残したサラダを私が平らげて終わった。片付けは私の役目。蛇口を閉めてリビングに行ったら、夫は録画していた漫才に笑い声を上げていた。
*
操縦術、というのでもないけれど、不機嫌な人の心をほぐす方法はある。
まず笑顔。それから相手のペースにこちらが合わせることだ。いままでたくさんの人に試してきた結果、ほぼすべての人に効果があるとわかった。
町内に気難しい男性がいる。70歳ぐらい。一人暮らしで庭は荒れ放題。誰からも敬遠されている。
町内会費を集める当番が私にまわってきた。
「車があったら在宅してるから、家に電話をかけてから集金に行って」
前年の担当者からそう引き継ぎ、そのとおりにしたが電話に出てくれない。4回繰り返して全滅。直接インターホンを鳴らしても応答なし。町内会長に訴えてもよかったが、赤十字や赤い羽根の共同募金などがあとに控えていたため、できればスムーズなやりとりを確立しておきたかった。
私は自分の携帯電話の番号をメモに書き、「集金に伺いたいので、ご都合のいいときにお電話ください」と言葉を添えてポストに入れた。翌日、見知らぬ番号から着信があった。表札にあった名字を名乗る、案外張りのある声。私は笑顔ならぬ「笑声」で応対し、彼の家の玄関に出向いてあっさり集金できた。
それ以降、なにか用事があるときは彼の携帯電話にこちらから連絡する。3回ほどやり取りがあったが、すべてに即対応してくれた。相手に笑顔はないが、こちらは満面の笑み。マスクをしていてもわかるよう、目をにっこり細める。
笑顔は伝播すると言うけれど本当にそうで、こちらがずっと笑っていれば、相手の表情筋も徐々に緩んでくるものだ。笑顔にはならないまでも、への字口が横一直線ぐらいには変わる。
相乗効果を発揮するのが、相手のペースに合わせること。夫のように、興味のある分野がこちらでわかっていたら、その話題を振る。笑顔でどんどん言葉を引き出す。重い口が開いたら、心から興味を持って耳を傾ける。これでたいてい、相手の機嫌は直っている。
*
笑顔になる。聞く耳を持つ。その根本にあるものはなんだと思いますか?
「愛」なのだ。
不機嫌な相手に愛を注げば、その人の心が自然と穏やかになる。少なくとも怒っていたときよりは。
だからぎこちない笑顔じゃダメ。話を聞いてるふりもNG。相手に向き合っている間、ほかのことはいっさい考えず、全身全霊を捧げる。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、これがとても重要なこと。
全身全霊。つまり、愛を「向ける」などというレベルではなく、ナイアガラの滝のようにどうどうと「流す」。相手がそれを「受け取ろうか拒否しようか」、そんなふうに考える隙も与えないほどの勢いで、大量に愛を流し続ける。
これで相手の機嫌は100%直ります。
ただし。
この技を使うにはひとつ、とても大切な条件がある。
自分が滝であること。
相手にどうどうと流せるほどの、流しても流しても到底枯れないぐらいの愛が自分の中にあること。
(そうか、不機嫌な相手には愛を流せばいいんだな。自分もやってみよう!)
素直で真面目でやさしい人ほどそう思いがちだけど、ちょっと待って。あなたのその愛は、ナイアガラ級ですか?ちょろちょろ流れる湧水ほどの愛しかない場合、相手にそれを全部注ぐと自分が枯渇しちゃう。相手が機嫌よくなったかわりに、自分が無表情になってしまいます。やさしい人ほど疲れやすいのはそのためです。
湧き水しかないときは、その水を自分に注ごう。誰かの機嫌を直すのは、ちょろちょろが滝になってから。
私の中の愛がナイアガラ級になったのはいつからだろう。若い頃は傍若無人で、愛は与えるものではなく捧げてもらうのがあたりまえという生き方だった。当然痛い目を見たし、孤独感にさいなまれた時期もあった。毎日愉快だったけど、幸福ではなかった。
いまの私はすべてに満ち足りています。
貯金は雀の涙だし、フライバーグ病だし、猫を3匹看取ることを考えたら泣きたくなるし、脳梗塞で昇天した家族が二人もいるから、自分も猫より先に同じ道をたどる確率が高いかもしれないけど。
自分自身にも置かれている環境にも、これ以上ないぐらい満足しています。満足し、感謝している。新たに欲しいものはなにも思いつかない。もしなにかが手に入ったらそれはもうオマケです。
私の人生、万々歳!
このぐらいね、のんきでいられると、愛はナイアガラになります。自分にも相手にも、もうドバドバ流しちゃう。ちょっと水量が弱まってきたなあと感じたら、早い時間でも寝ます。翌朝、「太陽さん、おはよう!」また滝になってる。
あなたの愛は滝ですか?もしそうなら、どんどん流してほしい。
湧き水だったら、自分を潤してください。そして、滝の人から愛をもらってください。心から楽しそうにニコニコ笑ってる人がいたら、その人が滝です。もらいっぱなしでいいんです。滝の人の愛を全身に浴びてください。まずはそこから。
くれぐれも無理はしないでね。もらえるものはもらいましょ。
ナイアガラの愛を、あなたに。
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