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我需要書,有奶茶的話很高興。

※和訳:本があればいいですが、ミルクティーがあればもっと嬉しいです。ミルクティー、最近は金木犀とか山茶花のフレーバーがあって本当中毒…

高校生の頃、数字アレルギーで赤点続きだった私が唯一満点を取れたのが数1「十分条件と必要条件」でした。

どんなんやったっけ、という方(と自分)のためにざっくり国語的に書いてみると、

十分条件…あったらいいな(あれば十分)
必要条件…なければいけない(これは必要)

という感じになります。かなりざっくりやな…

数1「十分条件と必要条件」では真/偽の文章(というかp⇨qが真である時、など出題者が定義したもの)をこれらの条件に当てはめていきます。pはqであるための必要条件である。qはpであるための必要十分条件である。などなど、、

ややこしくしてしまいました。
ところで、この考え方、高校なんかじゃなくてもっと早い時期に学ぶべきでは…?と思っていて。

私は台湾や中国に行く機会が多いので、余計に差を感じるのですが、
例えば日本では電車内でメイクをする人について、車両の端と端くらい離れていても、ガラ空きの電車でも、なんなら又聞きでこういう人がいるよ、と聞いたとしても、「嫌だ」「許せない」と感じてしまう人が多いですよね?

「彼らがマナーを守っていないからイライラするんだ」と言う主張、ではメイクをしている人たちから直接的に迷惑を被っているのか、と言われれば少し疑問。少なくとも眉を顰めてI hate them! というくらいではない。それなら汚職問題や女性蔑視の方が「嫌だ」「許せない」です。私は。

つまり、日本においては他人に対する期待値が高すぎる、他人に要求する必要条件(なければならない)が多すぎ、強すぎるのではないでしょうか。

ちなみに台湾や中国では(おそらくアメリカも…ですかね)他人に無関心なので、電車内でメイクをしようが何をしようがお構いなしです。
ただし、自分の利益のために、決まりは守ります(例えば台湾の地下鉄は飲食禁止です)守らない人のことはどうでもよい、と。自他の境界線も日本よりはっきりしている感じがありますね。

なので、日本でも、ここまでは相手に要求して良い、ここからはこうであったらいいな、別にそうじゃなくてもいいんだけど、と線引きをできるようになれば(それを幼い時期に身につけることができれば)もっと楽な社会になるんじゃないかなあ、、、

追記:一応立場を明らかにすると、明文化されているなら、ルールは守った方が良いと思います。でも他人が守るかどうかの期待はしません。ファンデーションの粉が飛んでくるくらいなら私も嫌です。が、私に影響がないなら、どうでもよいです。
ちなみに電車内における他者への(からの)目線を考えるには、ゴフマンの「儀礼的無関心」が役に立ちます。ご興味のある方はぜひ。

余談:ちなみに最近は数学が解けるようになってきたので、ウキウキしております。(以前は一種のノイローゼでしたので)
ラカンなどは結局数式を扱うし、考え事のメモを書いていても数列化してしまったり、どうしても数学ができないと勉強や考え事は捗らないのです。
少しずつ昔のテキストを出して勉強してみようかなあ。本当時間が足りないな。


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