見出し画像

優しさのかたち


こんにちは、ねこです。
今日は風が強いですがお日さまがあたたかくて、春みたいなお天気ですね。ここまでくると、春が待ち遠しくなってきます。

みなさんは、どんな風にお過ごしでしょうか。お仕事の人はおいしいもの買ってゆっくりしてくださいね。お休みの人は存分にごろごろしましょう。どんな人も、いい日であることを願っています。

わたしはというと、買った洋服のお金を支払いに行くついでに少しお散歩して、コンビニでジュースとドーナツを買ってしまいました。(買った後に気づいたのですが、ドーナツひとつで400カロリー…)
…お休みだしまあいいか!と、もぐもぐしながら書いています。おいしい。

さて、今日は大好きなバンドが25周年の日。たくさんの思い出をその人たちの歌と共に過ごしてきたので、なんだか感慨深い気持ちです。

それと同時にいろんなことを思い出したので、今回はすこし昔の話を。

わたしは小学生と中学生の頃、不登校だったので近くの教育センターに通っていました。全部で6年間くらい通っていたので、ほとんど母校みたいな場所です。

そこでは、みんなで運動したり工作したり、調理実習があったり、たまに近くの公園までお散歩して遊んだり。季節の行事でさつまいもの収穫とか、一泊二日の山登りとかもありました。

外の世界との繋がりがなかったわたしにとっては貴重な体験で、どれも鮮明に覚えています。

センターにいた人たちはみんな優しくて、人といるのが苦しかったとき「ここにいるのが辛かったら別の部屋にいていいよ」と言ってもらって、はじめてちゃんと「ああ、優しさってこういうものだ」と思いました。それまではずっと、みんなと同じことをしなきゃいけないのがすごく辛かったので。
今わたしの中にある優しさは、その人たちにもらったような気がします。

いろんな優しさの形があること、それぞれに合った選択肢があること、誰かのための優しさ。そういう、学校とはまた違ったことを学ぶ場所でした。

今もし、わたしに似た子たちと接する仕事をしている人がいたら、そんな風に受け取っている子がいると伝えたいです。
もらった優しさにどう答えていいか分からなくて、うまく答えられないけど、何年経っても心の中に残っている温もりがあります。

あなたが渡した優しさは、きっと未来につながって、その子にとって大切な誰かに渡す優しさになります。こんな生きづらい世界に、必要なのはきっとそういう光だから。

人それぞれの優しさを、その人のための形で。
いつか消えてしまいたくなったとき、もしそれを思い出して踏みとどまることができたなら、と思いながらわたしも言葉を綴っています。

逃げることができる現実なら、逃げたっていい。大きな声では言えませんが、逃げられない現実があってこの世界から逃げてしまっても、きっとそれでいいんです。責める権利なんて誰にもないから。

だからわたしは、「苦しくても絶対にいいことがあるから、生きて頑張れ」なんて言いません。
でも出来ることなら、いつも書いていますが「あなたと生きて会えたら嬉しいです」と何度でも言います。実際に会わなくても、SNSで会えたなら、何かしらの光になっていたら嬉しいです。

あなたにとっての優しさはどんな形でしょうか。言葉でも、絵でも、写真でも、音楽でも、いろんな形で見せてください。
もらった優しさを粘土みたいにこねて、また形を変えて誰かに渡します。そんな循環が生まれたらいい。

また、木曜日にここで会いましょう。
明日も明後日も、その先もいい日でありますように。

いいなと思ったら応援しよう!