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六月の雲
こんにちは。
そちらの天気はいかがでしょうか、曇り空かな、雨降りかな、意外と晴れ間かも。どんな天気でも穏やかな日であることを願っています。
昨日の夜に「六月の雲」という詩を書きました。
六月に見た雲のこと、突然降り出した雨のこと、その瞬間に見えるやわらかい愛のことについて、大切に綴っています。そんなやわらかくて温かいものを、読んで感じていただけたら幸いです。
詩を書くとき、割と浮き沈みの多い日に書くことが多いです。例えば、愛する人への愛を強く感じた時とか、悲しいことを聞いてそんな悲しさを和らげてあげたい時とか。
でも時たま、何も浮き沈みのなく平坦な草原を眺めるかのように、さらさらと吹く風のように、ふと気づけば詩が書けている時があります。そんな詩のことがわたしは好きです。
わたしが書いているものなのに、わたしが書いていないもののような気がして、言葉とは不思議なものですね。
誰かにとって鞄の隅っこに入れておくお守りみたいに、たまに座りに行きたくなる公園のベンチみたいに、なんとなく安心するような、そんな言葉を選べていたら嬉しいなあと思います。
誰かに優しさを手渡すには、愛と理性と余裕が必要だなと、最近よく考えています。最近、余裕がなくて少しいやな言葉を使ってしまったことを、すごく後悔していて、それからずっと。
これまでも優しさについて色々と書いていますが、それでも優しさを使えない時ってあります。ピリピリしてしまう時ってあります。
そんな時に、どれだけ相手のことを想える理性があって、相手のことを傷つけたくないと思う愛を持って、優しさを手渡せる余裕ができるように。そんな環境をつくっておきたいなと思いました。
きっと、これからもそのことについてたくさん悩むことでしょう、たくさん傷ついたり傷つけたりすることでしょう。
でも、それときちんと向き合って、角ばった部分を撫で続けたらきっと、最後には丸くつやつやとしたものが残って、周りにもそんな人が居てくれるだろうと思うので、考え続けようと思います。ゆっくりと。
そのために、わたしはたくさんの優しさを目にしようと思っているので、呟いていることをたまにのぞかせてください。それは怒りだっていいんです、誰かを助けたいための優しさなら。
くそくらえとか言ったっていいですよ、やわらかい言葉だけが優しいものではないですから。誰かを傷つけてやろうとか、陥れるものでなければ、ストレスをぶちまけましょう、毒のある言葉だってたくさん言いましょう。
優しさにはいろんな形があって、それがはまる人もいればはまらない人もいます。完璧にははまらなくとも、擦り合わせてもし馴染んだらきっとそれでもいい。
あなたのもつ優しさのこと、もしよかったら教えてください。それをわたしは胸のポケットに入れて歩きます。
では、今日はこの辺で。ここ最近悩んでいたことの記録みたいになってしまいました、読んでくださってありがとうございます。
今日もいい日でありますように。
また。