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余白


こんばんは。個展の準備などで忙しくなってしまったため、しばらくお休みをいただいていて、7月ぶりのエッセイとなりました。

8月16日から31日まで、自身の二回目の個展となります、詩と写真の展示「余白」を開かせていただきました。実際に足を運んでくださった方、遠くから画面を通して見守ってくださった方。応援してくださったみなさまに心から感謝しています。

こんなご時世ですが、無事に個展を開くことができて、それを見てくださる方たちがいることを幸せに思います。そしてこんなご時世だからこそ、とても見に行きたいですが今回は遠くから見守ることにしました、というメッセージをいくつもいただきました。

見に来たいと言ってくれる人が見に来れないこの時代を憂いながらも、いつかこの状況が落ち着いた頃、そう言ってくれた人たちと出逢えるように、また展示をできるように精一杯やろう、という決意に変わって。

いつかきっと会いましょう。その時はおいしいものを食べながら、好きな飲み物を飲みながら、ゆっくりたくさん話をしましょう。きっと。ここに約束をします。

さて、今日のエッセイはその振り返りをします。

今回の展示は「余白」と題し、“愛する人へ手向けるために書いたひとつひとつの花のような詩を、美しく纏めて贈るための花束へ“というコンセプトをもった展示でした。

そして、展示の題名であり、最初に目にする作品である「余白」の意味について。「余白」は愛する人へ向けて、はじめて特定の誰かへ向けて書いた詩であり、わたしのもっている愛を言葉として形容し、「わたしはあなたが美しく輝くための余白でありたい」という祈りを込めた詩です。

今回の展示は、愛する人と過ごすなかで生まれた詩たちを時系列で並べていて、「余白」はそのはじまりの作品となりました。その後に続く作品たちは、わたしのなかで「余白」から生まれた「色彩」のような意味合いを含んでいます。それは、真っ白だった場所に美しく乗せていく色たちのこと。

余白は余白として今も美しく残り続けていますが、ある意味で余白というよりも「空白」だった部分に、経験や記憶が結びついて生まれた「空白を埋める色」のような詩たちが、絵筆をのせるように続いていきます。

空白を埋める色彩、それは何ヶ月も何年も掛けて一枚の大きな絵を描いているような感覚で、あるいは完成することのない絵かもしれません。

その余白に映る色彩や光のことを目に映してもらいたいと思い、今回の展示名を「余白」としました。

写真や詩に映る色彩を目にしたとき、余白に気づかなくてもいいんです。それだけのせた色が美しく輝いていると感じてもらえたなら、わたしの願いそのものですから。

もう一つ、以前「白黒の写真が多いのはなぜか?」と質問されたことがありました。今回の展示も、すべて白黒の写真に詩を載せた作品たちを展示していました。

この世界を目に映すのは光と影であって、もちろん美しい色は存在していて写真に残すことも多くありますが、“作品にはあなたが美しいと思う色を着彩してほしい”という思いから、作品にそのための「余地」を残しています。

わたしの目に映った光にあなたはどんな色をのせて、どんな世界を描いているんだろう、そうしてできたあなたの中にだけある作品が、わたしの作品の完成形だと思っています。よかったら、どんな色の海が見えたよとか、どんな色の花が見えたよとか、教えてもらえたらとても嬉しいです。わたしはその完成された作品を、心の中に映します。

ここに書いたことを読んでから、はじめてもしくはもう一度、作品たちや今回の展示の写真を見ていただくと、少し違った視点になって面白いかもしれません。それがあなたの心に灯るほのかな光に変わったのなら幸いです。

「余白」は、わたしの想像していたより何倍もやわらかく、美しい空間となりました。それは応援してくださっているみなさまの優しさや愛の光で、その光に照らされた空間に、わたしは余白に映るあたらしい色彩を見ました。まだ出会ったことのないあなたの光。

その光を道標にまた少しずつ進んでいきます。進んだ道の先で出会うまで、どうか穏やかな日々でありますように、そこできっと会いましょう。心待ちにしています。

ありがとうございました。
そして、このエッセイも長々と読んでくださってありがとうございます。またいろいろと書きはじめるので、読んでもらえたらうれしいです。

ではまた、このひだまりで会いましょう。

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