『ソフィの選択』と言う映画
むか〜し、むかし私がまだピッチピチの20歳の頃、『ソフィの選択』と言う映画をテレビで観た事があります。メリル・ストリープ主演で、1982年に公開され、主演女優賞を獲った作品。
あの頃の地方のテレビは、深夜の時間帯の隙間を埋めるように、昔の映画を放送していました。「サウンドオブミュージック」や「クレイマークレイマー」や、「ローマの休日」「タワーリングインフェルノ」「めまい」「ガス燈」なんかは、この頃に観ました。
『ソフィの選択』と言う映画のタイトル名だけは聞いた事がありました。内容は1ミリも知らず、タイトルからイメージしてたのは、美貌のメリルストリープを巡って、「2人の男が争う」的なもの・・・。
「喧嘩をやめて〜、2人を止めて〜、わたし〜の〜ためぇにぃ〜あらそっわなぃぃでぇぇ〜」的な?河合奈保子的な?話?
スペック高い男2人を、どちらにしようかな〜っと『選択』する、まぁ、浮世離れした話なんでしょ?と思っていました。
リンダ困っちゃう〜、と口では言いつつも、ぜんっぜん困ってないリンダに感情移入出来ないのと同じで、ソフィがどっちの男を選ぼうと知ったこっちゃないよってね。
お正月の、まったり気分のまま深夜に「なんかやってないかな〜」と、テレビをつけると、いきなりあっていたのが『ソフィの選択』。
やっぱり、想像通りヒラヒラした白いドレスを着て儚げで繊細な印象の女性をメリルが演じていて、それを眩しそうに見る2人の男。
1人は恋人で、もう1人はたまたま同じアパートに住むことになった青年。やっぱり、思った通りの映画じゃん。
だけど、そのまま見続けたのは『メリルストリープ』と言う外国の女優さんが好きだったから。『クレイマークレイマー』で、ダスティンホフマンの妻役で出演しているのを見てから、『綺麗だな〜』と思っていた。『クレイマークレイマー』、大好きな映画です。特にあの男の子が可愛くてね〜。綺麗な金髪をぱっつんにした髪型に、いつも少し不機嫌な表情。大好きなママが出て行ったのは、自分のせいかもしれないと小さな胸を痛めていたんですね〜。ダスティンホフマンは撮影当時、実生活でも離婚調停中だったそうで、実体験から出るアドリブがたくさん使われているんだとか。
仕事一辺倒だった夫と、父不在の生活で濃密にならざるを得なかった母子の関係は、妻が家を出た事で一変します。
途中から登場するメリルストリープの美しさは、本当に素敵です。
はたから見ると、何の不満もないような夫婦だったのに、何も言わずに家出してしまう身勝手な妻を演じる女優さんを決めるのは難しかったでしょうね。メリルストリープの美しさと繊細さと神経質なキャラクターだからこそ、成立する設定。
セリフで説明しなくても、一目で彼女がどう言うタイプなのか観客が理解できる俳優さんって、すごいと思う。
青白い肌、いつも充血した鼻、涙が溜まっている目。下唇が少しだけ前に突き出しているから、いつも何かを堪えているように見えます。
余談ですが、私は小さい頃から『金髪美人』に対して強烈な憧れがありました。テレビの『金曜ロードショー』なんかで、金髪美女が出ると、「こんな顔に生まれたかったな〜!」とため息をついたもんです。
極東の島国のさらにさらに端っこの末端の漁師町に住む芋ガールの私が、逆立ちしても『金髪美人』にはなれないと言う悲しさ。
しょうがないですね〜、歴史が違うもん。
あっちは、創世記だ、ピラミッドだ、十戒だ、ローマ帝国だ、新大陸発見だ、フランス革命だ、タイタニックだ、アポロだ、スーパーマンだ、007だ、ビートルズだ、スピルバーグだ、マドンナだ・・・・と、なんかカッコいいのに、
こっちは、古事記だ、古墳だ、戦国時代だ、百姓一揆だ、ええじゃないかだ、黒船だ、大正デモクラシーだ、吉幾三だ、俺ら東京さ行ぐだだ、ずうとるびだ、たいやき君だ、たのきんトリオだ・・・
って、ださいんだもん(←個人的な感想です)
マドンナが『like a virjin』を歌った時、日本はまだ主食は『大根めし』でした。
あれ?違ったっけ?
同じ時期に放送してた『おしん』と勘違いしてた・・・あはは。
あれ?『ソフィの選択』どこ行った?
話を戻しますね。
『ソフィの選択』の内容・・というか話の核心部分である『選択』の事を、今でも時々思い出します。そしてとても苦しい気持ちになる。
ここからは、この映画の『ネタバレ』全開で、感想を述べたいと思います。感想というより、正確にいうと『妄想』ですね・・
映画は、20歳の時に観ただけなので、参考として他の方のレビューを読みました。
あらすじをざっくり説明すると、スティンゴと言う若い男が、引越したアパートに、ソフィとネイサンと言うカップルが住んでいた。
2人と仲良くなり、次第にソフィに惹かれるスティンゴ。
3人の奇妙で浮世離れした生活は、何か危ういバランスの上に成り立っていました。特に、アウシュビッツにいた事があると言うソフィは、ガラス細工のような精神世界に生きているよう。一方、ソフィを愛するネイサンも、感情の起伏が激しく、時に暴力的に彼女を愛する男。
色々あって、銃を持ち出したネイサンから逃げ出すスティンゴとソフィ。求婚するスティンゴに、結婚できない理由を話し出すソフィ。
ソフィは、アウシュビッツに行く時、実は男の子と女の子、2人の子供と一緒でした。
門のところで、ドイツ軍将校に声をかけられたソフィは、『自分はユダヤ人ではない。キリスト教だ』と言いますが、聞き入れられません。
将校は、「お前はポーランド人でユダヤ人でない。だから選ぶ特権をやる」と言います。「2人の子供のうち、どちらを生かすか選べ。さもないと2人ともガス室行きだ」と選択を迫る。
ギリギリの状況で極限の選択をしなければいけなかった彼女。
「2人の子供」のうち、どちらかをガス室に・・・。
大勢のユダヤ人が、門の周りで命の選別をされている中、いきなり迫られた「子供」の取捨選択に狼狽、混乱していると、「じゃあ、2人とも(ガス室に)連れて行くぞ!」と言われ、咄嗟に「女の子を連れて行って!」と叫ぶ。
この世界には、選べないものがある。
それを選ばせようとすると、魂が真ん中から引き裂かれる。
その後の人生で、自分と同じように虚無を抱えたネイサンと出会い、たった1日で死んでいく蝶のように生き、最後は2人で心中する。
辛すぎて、多分この先観ることはないだろうけど、
時々、ふと思い出す映画『ソフィの選択』。