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京都の旅 2016年8月②

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霊雲院のお堂です


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お堂に上がるとガラスケースの中に木でできた古そうな楽器が飾ってあります


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額に入った説明を読んでみると日露戦争の時にロシア人捕虜1500人が
東福寺に収容されて、そのうち50人が霊雲院に居たそうです。
収容された8ヶ月の間自分たちで楽器を自作して楽しく暮らしていたと
あります。

読んでいて「楽しく暮らして居りました」のくだりで
ええ〜〜〜!?本当に?と驚きました。
捕虜なのに?
しかし、バラライカとかまぎれもなくロシア人が作ったであろう楽器があり
これを寄贈して帰ったって事はそんなに悪くない待遇だったって事なんだろうなぁ
と思いました。

お寺という事もあってそれなりに手厚くもてなしたような気もします。


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捕虜の中にはいろいろな職業の人も居たとあるので
服飾関係の人も居たのか刺繍も残されていたり、たぶん記念になるようなものを
残していきたいと思ったんでしょうね


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わかりにくいですがロシア兵と日本人との記念撮影のようでした。

後で調べてみましたが、クーリエ・ジャポンという所で取り上げられた事が
あるようで
「軍の幹部は比較的快適な仏教寺院に送られた」とあり
外出も自由で旅行などにも出かけていたそうです。

温泉などにも行っていたそうですからそれなりに日本を楽しんでいたんでしょうね
牧歌的な時代だったんだなぁと思うと同時に
東京裁判で問題になった日本側の捕虜の処遇とか
本当はどうだったんだろうとか いろいろ考えてしまいました。


*この記事は2016年8月にブログに書いたものをそのまま転載しています

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