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仕事とスポークンワーズ⑥(職業訓練校)

※この記事は前回の内容「仕事とスポークンワーズ⑤(高校受験塾)」の続きです。

喋りの仕事を直撃したコロナ禍

司会業+講師業+ライブ活動の生活は、自分に合っていましたし、順調でした。面白いことに、3つの活動はリンクしていきました。ライブの現場で授業を頼まれたり(イベント内でパフォーマーが好きなテーマで授業をするというユニークな出演依頼)、講師の現場ではライブ活動で出会った歌人の作品を朗読したり(中1の国語で定形詩の単元がある)、学校の教室でライブをさせてもらったり(中高生が主体となってアーティストを招く課外活動があった)日々めちゃめちゃ楽しかった。
しかし、順調だった反面不安もありました。このままこの生活を何歳まで続けられるのかという不安です。司会業も講師業もライブも文化的に見えて肉体労働。例えば、50代後半になった時に3つを並行してできるパワーがあるかどうか不安がありました。そのタイミングで起きたのが、新型コロナウィルスの流行です。

新型コロナウィルスの流行で、ライブは中止が続き、ブライダルの仕事は軒並み日延べ(延期)、緊急事態宣言下では塾の授業も止まってしまいました。急に自宅で待機する時間が増え、収入が途絶え、YouTubeでの朗読配信やツイキャスのオープンマイクに救われたのを覚えています。今後、緊急事態宣言が繰り返されたら、人前で声を出すフリーの仕事は詰むと思いました。震災の教訓からダブルワークで生活していた俺ですが、皮肉なことに司会も講師も人前で声(飛沫)を出す仕事であり、両方の収入が同時に断たれました。
やはり、ダブルワークをするなら全く違う業種の組み合わせが良いと思う。力士でプログラマーとか、行政書士で落語家とか、ソムリエでグラフィックデザイナーとか。そういう組み合わせじゃないとあまり意味がないということを身をもって知りました(笑)。実際、司会も講師もライブパフォーマーも俺の中では同根のものでした。

こういった経緯で、コロナ禍のモヤモヤした気分を払拭すべく、一念発起して再度カタギ(正社員)を目指すことに決めました。やっぱり途切れない月給が欲しいと思ったのです。22歳だった新卒の頃の話からスタートしたこの自分史ですが、2020年の時点で40歳を迎えていました。カタギに戻れるラストチャンスかもしれないという思いもありました。
久しぶりの就職活動は、緊急事態宣言直後の不景気なの世の中の空気もあって、かなりキツかった記憶。4週間で職は決まりましたが、それ以上就職活動を続ける気力がもたなかったのが本音です。最初に内定をくれた企業に飛び込みました。なんとか決めた仕事は、職業訓練校の講師。奇しくも、コロナで仕事を失くした人たちの就職を助ける仕事に就きました。コロナ禍でダメージを被るどころか、むしろ「失業者が増えると繁盛する」業種。まず、世の中にそんな仕事があることさえ想像していませんでした。


職業訓練校でぶつかった壁(2020年〜)

職業訓練は求職者たちが自主的に応募し、仕事に就くための職能を身につける「授業料が(基本は)かからない学校」です。訓練校は行政の認可を受けた上で受講生を募集し、行政からお金をもらって運営します。そういった仕事は未経験でしたが、俺は講師歴が長かったことからオフィスソフトを学ぶコースの講師として採用されました。教える内容は、Word・Excel・PowerPoint・Access・ExcelVBAの基礎・ITパスポート(素人でも取れるIT基礎知識の資格)の6科目で、応募書類作成や面接のポイントを伝える就職支援の授業もありました。入社後9ヶ月で必要な資格を全て取り、入社後15ヶ月ほどで安定したクラス運営ができるようになりましたが、業務に慣れるまでのその15ヶ月は過酷でした。

この連載を読んでくださっている方はお気づきかもしれませんが、俺はこれまでの職歴で壁にぶつかって乗り越えた経験がありません。どの仕事も山に登るような緩やかな傾斜で、困難は時間(慣れ)が解決してくれました。コロナ禍という特殊な状況下で逃げられない中、工夫して壁を乗り越えるという試練がついにやってきたのです。。

    ◆    ◆    ◆    ◆ 

この連載では、これまで「仕事歴とスポークンワーズの関連」をテーマにしてきました。しかし、職業訓練校の職歴で身についたものは、スポークンワーズ以前のもっと原始的なもので、「闘志やアティテュードを示すことの重要性」や「危機察知能力」などのサバイバルスキルでした。ですから、この最終回はスポークンワーズのスキルの話がほぼ出てきません。ご了承ください。(この時期の仕事とスポークンワーズとの関わりは、技術的な成長ではなくリリックが捗ったことにあるかもしれません)それでは、以下に乗り越えた壁を列挙します。

    ◆    ◆    ◆    ◆ 

《入社後15ヶ月で厳しかったこと》

★業務に必要な知識がほとんどない!
オフィスソフトは使ってはいましたが、受講生が取得を目指す資格の試験内容は、普段使わないような特殊な機能が多く、それらを全て習得しなければなりませんでした。また、ExcelVBAとITパスポートは未知の分野。自分でできるようになるだけでなく、短期間で教えられるようにする必要がありました。
受講生の中には優秀な人もいて、講師のレベルは常に見られています。塾と違って1日の授業時間は長く、平日は毎日授業。そのペースに追いつくように予習するのがキツかった!

→解決策 / とにかく作問する
実機操作は反復練習が大事です。テキストに載っている問題だけでは足りないため、Word・Excel・PowerPoint・ExcelVBAに関しては自作の問題を大量に作りました。入社10日目くらいで講師デビュー。その後は毎日授業しながら放課後は問題・解答を作っていたので、最初の4ヶ月くらいはマジで死にそうだった(笑)。
自分で作問することによって、より理解する。自作の問題なら解説にも心理的な余裕が持てるため、自分よりスキルの高い受講生を相手にした時に場を優位に進行できるという狙いもありました。自作の問題をスピーディーに解けるようになり、自信を持って解説できるようになったことで、知識・技術が身に付き、なんとか壁を越えました。

★大人の集団をまとめること
初めて大人の集団に授業をすることになり、子どもとは違った難しさに苦しみました。まず、実力差がハンパない。受講生には、もう人生に行き詰まってどうしようもなくなり、ハローワークの職員が公助につなげたという人もいれば、クレバーに訓練を「利用」するタイプの人もいます(例. 訓練受講により失業給付が延長されることを利用して、高難度の資格の勉強時間を確保する)。また、とんでもなく誠実で穏やかな人もいれば、クレーマー気質の人や半グレみたいな人もたまにいます(笑)。そういった能力も気質もバラバラの20歳〜70歳くらいまでの老若男女が約30名、3ヶ月〜6ヶ月も毎日同じ教室で生活するのです。当然軋轢も生まれます。まとめるのが大変でした。

→解決策① / ドライな立ち振る舞い
クラスの人間関係において、例えば講師が特定の明るく積極的なグループとだけ仲良くなってしまうと、不幸の手紙みたいな匿名メールが届いてディスられます(笑)。距離感を大事にし、時には絡んでくる相手を流すこともしましたし、仲良くなりたい気持ちをグッと抑えてドライに振る舞ったりと調整しました。クラス運営は高度な政治の力を要し、何度か痛い目に遭いながら立ち振る舞いを会得しました。30人くらいで無人島に漂着して共同生活をするみたいなサバイバルスキル…

→解決策② / トラブルの芽を摘む
進学塾はアグレッシブにいろんな手を使ってクラスに「仕掛け」をしていくような側面がある業種でしたが、訓練校はもっとディフェンシブです。最終目的はクラス全員の就職ですが、最悪就職できなかったとしても、卒業まで全員が平和に学習できれば良い。そのためのリスク管理というかトラブル対応を身をもって学びました。
クラスの中にトラブルメイカーが何人いるかによって対応は変わります。言動が極端に粗暴だったり、異様に神経質だったりする人は初日からわかるのでマークします。何らかの理由で、そういった人の「スイッチ」が入った場合、そのまま放置すれば誰かと衝突するか、学校側に攻撃を始め、クレームに発展する可能性があります。
トラブル対応でそういった受講生に接する際は「怯まずこちらから距離をつめる」のが吉ということを学びました。バンバン話しかけて、その人が抱える不安は速やかに解消。本人の価値観・性質をいち早くキャッチして、逆上したりストレスで潰れてしまうのを未然に防ぎます。それを繰り返していると、その人とは自然に距離が縮まり、少なくとも俺に対する態度は軟化します。そうやってクラス内の人間関係のトラブルを解決または中和してきました。

クラス運営が上手くいくと、卒業後に就職した受講生から感謝の手紙が届くことが多い。


キャリアコンサルタントになる

職業訓練校の講師として一通りの授業ができるようになり、学校説明会のスピーカーをレギュラーで任されるようになった入社3年目。次のステップとして進路面談を担当する国家資格「キャリアコンサルタント」を取得しました。気合を入れれば誰でも取れるけど、約1年はかかるし数十万円かかる資格。40代の初めに会社のサポートで取得できてラッキーでした。
職業訓練校では、キャリアコンサルタントの有資格者が受講生たちに毎月面談をすることになっており、就職活動のアドバイスをしていました。資格取得前から履歴書・職務経歴書の添削と面接対策はやっていましたが、自分の担当クラスだけでなく訓練校の受講生全員に面談を行うポジションに昇格しました。

人にはそれぞれライフヒストリーがあり、それによって生まれた価値観があります。全生徒と面談してそれを聞いていきながら、職務経歴書の自己PRなどを一緒に考える仕事。声優専門学校とイベントMCに次ぐ3つ目の適職を得た実感がありました。考えてみれば、友人は弾き語りミュージシャンや詩人やラッパーばかり。ライフヒストリーを聞くことはライブの現場で慣れていました。
また、最も得意としていた就職支援の座学授業において、俺はコロナ禍で就職活動をした実体験から就活のポイントを語っていました。つまり、授業ではライブ同様に自分語りを通して支援を行い、面談では逆に人の話を聞くという二刀流です。今後も「話す・聞く」のバランスをとって仕事をしていきたいです。

資格取得のためのスクールに入学を申し込んでから登録証を手にするまで1年弱かかった。


人生全部伏線

残念ながら、勤めていた職業訓練校は経営者のメンタル疾患により昨年秋に事業を畳んでしまいました。しかし、俺には上記の経験値と資格が残りました。4月からはそれを活かして新しい仕事に就きます。キャリアコンサルタントの資格がないと応募できない仕事だったので、伏線回収です。人生は伏線回収の連続。就職活動は割とすぐに決まりました。この3年間、職務経歴書の添削や面接練習が日々の仕事だったので、そりゃスムーズだよね。人生全部伏線。

今、俺は社会学とか考現学に興味があって、社会学者 岸政彦さんが編集された「東京の生活史」(東京で生活する市井の人たちのインタビュー集)を朗読する活動をしています(Twitterのスペースという機能を使って、不定期開催中)。人々が暮らしてきた生活の記録・自分史(特に仕事歴)・時代による都市の景色・風俗の変遷などに関心があります。今回、4月から新しい職に就くにあたって、自分なりの生活史(職歴と芸歴の関連)をまとめてみました。皆さんの仕事と表現の話も聞いてみたいです。今度会った時にでも是非教えてください。

また、キャリアコンサルタントの資格取得以降、仕事についての相談をしてくれる友人が増えました。基本は話を聞くことしかできませんが、よかったら話してください。友達であれば職務経歴書の添削や面接練習もやるからね。

               連載【仕事とスポークンワーズ】 END



◆おまけ 〜コロナ禍で生まれた猫道のスポークンワーズ〜

2020年〜2023年までの時期、新型コロナウィルスの流行・転職活動から複数の作品が生まれました。一部を以下に紹介します。


① 2020年4月20日 自宅待機中の #ワンバースチャレンジ


② コロナ禍での転職活動で生まれた曲
 猫道(猫道一家)【転職節】▼


③ コロナ禍の吉祥寺の街を歩いてつくった曲
 猫道 with Hummingbird【2021年8月】▼


④ 職業訓練校に勤める中で書いた詩
 猫道(猫道一家)【どうぶつえん】▼


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