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マインドフルネスを始めて3年9ヶ月経過
暑中お見舞い申し上げます。われわれも、いつになく激アツな日々に少々まいっておりまする。以前は夜は扇風機のみをかけて寝ても全くなんの問題もありませんでしたが、今年は翌日が激アツだと前の晩が大変寝にくくなることを発見。あまりに寝にくいときは、エアコンを入れるようなりました。
このエアコンがよく冷えるので、15分もかけると身体が冷えてまいります。これが難点ですね。
人生猫生、何も考えないこと
瞑想中にこの通達をいただき、一体何のことやらわからず、受け流しておきました。
何も考えないで人生猫生は生きられません!
何も考えなければ詐欺にもあい、仕事もできず、買い物だってできませんぞ!
何も考えなければ路頭に迷います!
馬鹿なことを言うんでないわ、と金平も怒っておりましたが・・・
ある日気づきました。般若心経をあげておるとき、やたらと「無」と言う文字が目につきます。もしかしたら、あの「何も考えないこと」=「無」ではないかとひらめきました。
悩んでも悩まなくても時間は同じに過ぎていきます。同じ時間でも過ごし方によって変わり、しかも進む方向も変わるんです。これは体験にてわかったこと。
ばぁさんは6月に目の検査をしてからというもの、健康が一番、生きていられるだけで、そんなに考えこまなくてもいいのでは?と感じたそうな・・・経済のことだって、先のことを考えても仕方がない。使う量は決まってるんだし、思いっきり好きなことができるだけの消費活動をすればいいと思ったそうな・・・
楽しいとか苦しいとかそんなことは横に置いといて、淡々と、今目の前にあることを片付けていき、合間にわれわれの好きな買い物や食べ物作りをすればいいよと、金平と語り合っております。
世間一般のお話や決め事などに悩もうとしても、「それはわれわれには関係なし。自分のことを進めましょう。」と思えるようになったんです。
のんきもの、のんき猫になったといいましょうか・・
流れの変化
「こうしよう、ああしよう」と苦しみぬくことはもう終わったのではないかと思っています。確かにわれわれも、急流の川下りをするような切羽詰まる時もありましたし、死ぬほど頑張った時もありました。(猫目石なりの苦労です)
そうやって頑張り抜いているとふっとどうでもいいやという気持ちになる時があるんです。今があのときのような、無欲な時かなぁ??とも思います。
頑張ってもこれ以上できないんだから、結果がどうなろうがいいのじゃない?
ベスト尽くしたんだしね。われわれの力にはこのくらいしかできないよ。
このような時って爽快な気分ですし、顔つきもにこやかになるんですね。
何か頼まれても無欲のまま、受けてしまうものですから、相手がたにもこの無欲さが伝播するようでして・・・頼まれごとの結果も上々で、依頼が続いたりするんですね。
気持ちの余裕っていいましょうか・・・「そんなに頑張らなくてもいいよ」という心の声が聞こえてくるんです。
これがなくても何も困らない。別の方法もあると言うふうに臨機応変な考えに自然となってきています。
今は
良き結果を切望したわけではないのに、欲しいものがどこからかやってきています。察するに・・・執着や心配はどことなく、人族猫族に伝染していくようです。
必死な族さんにはあまり近づきたくないんでしょうな。見えた世界だけではなく、時空を超えた見えない世界(無意識の領域)にも伝播していって、今の我々に限っての話ですが、楽なほうへ楽なほうへと、流されていっているようにも思えます。
何も考えられないほど一生懸命やり、心を手放せば、それぞれの人生猫生にあった楽しみが、自然とどこからか何かがやってくることは確実です。
なんだか、スピリチュアルカウンセラーさんのようですけど、われわれはスピリチュアルセミナーなぞは全く興味ありませんので、念のため。これは実体験から出たお話です。
マインドフルネスを開始した頃とは全く変わってしまいました。また書きますので、お暇な方は読み飛ばしてくださいませ。