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0.はじめに-サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
音楽が、好きだった。
だった、というのはそれがもう過去の話で、つまり今はそうではないということだ。 いや、実際音楽は好きだし今でもときたまCDを買ったりはする。 でも、なんとなく「音楽が好き!」と声を大にして言うことが躊躇われるのは、きっとあのころのようなふるえを感じることがなくなってしまったからなのかもしれない。
ふるえ。
思春期のあのころ、GRAPEVINEやNUMBER GIRL、くるり、それからART-SCHOOLの曲を初めて耳にした瞬間、わたしは確かに小さくふるえていた。
耳から飛び込んだ音がわたしの身体を内側から揺り動かすようなふるえ。 そんなふるえを感じることは、最近ではもうなくなってしまっていた。
それは確かに思春期特有の病に似たものだったのかもしれない。
いい大人がいちいちふるえてなどいたら、いけないのかもしれない。
でも、今わたしは再びあのころのふるえに似た想いを感じている。
短歌だ。
穂村弘や五島諭、早坂類の短歌に触れた瞬間、確かにわたしはあのころのふるえを思い出していた。
そのふるえを逃がさぬよう、胸の内で呪文のように唱える。
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか
かつて同じようにして胸の内で唱えていた呪文と、その言葉が重なる。
noteで何をしよう。
そう考えて、短歌と音楽、言葉と音とイメージの中で、小さなふるえをつかまえるような作業をしてみたいと思った。
どうなるかはわからないけれど、まずはほこりをかぶったゲームのスイッチに手を伸ばすところから。
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい(穂村弘)
※この記事につづきはありません。でも、このnoteがつづくかどうかはあなたのおひねりにかかっています!(どーん!)
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