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第十六首-こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

十六首目。生きていると、ときどき出来事に感情が追いつかないときがあります。そんなとき、ひとは瞬間、笑うことも怒ることも泣くこともできずに、ただしどろもどろになってしまうものなのかもしれません。

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妻が逝った。
脳梗塞だった。切れた煙草を買いに近所の煙草屋まで散歩をして、一服。戻ってきたときには妻はもう意識を失っていて、声をかけても身体を揺さぶっても反応はなかった。

救急車の到着を待つ間握っていた妻の手はごわごわと角ばっており、それをさする自分の手もまたごつごつと不格好で、お互い随分歳をとっちまったな、とそんなことを思った。

結婚生活を始めるにあたって購入したちゃぶ台はもう随分くたくたで、どうにかその役割を果たしているという具合だった。その上にはお揃いの湯呑茶碗が並べられ、うっすらと湯気をあげている。

お茶を淹れて、待っててくれてたんだな。
ねぎらうように妻の頭をゆっくりと撫でる。妻の顔をまじまじと見つめるのは随分と久しぶりのことのような気がした。ありふれた例えだが、まるで深い眠りに落ちているようだった。

結局式には誰も呼ばなかった。
息子や娘もなく、ずっとふたりで、ふたりだけで生きてきたのだ。
そして今、わたしはひとりになった。実感はまだ、湧かない。

家に戻ると、数日間の疲れがどっと襲ってきた。
ただいま、と口にしても返す者はいない。靴を脱ぎ玄関のたたきをあがる。一歩ごとにみし、みし、と何かが軋む音がする。部屋は、まるで主を失った古城のようにゆっくりと朽ちていこうとしていた。その先、ちゃぶ台の上はあの日のままで、それが逆に妻の不在を際立たせていた。

そっと湯呑茶碗に手を伸ばす。
と、それはまるでついさっき淹れられたかのように、冷えた手のひらにじんわりと温かった。

妻は逝った。
そしてわたしはひとりになった。
それでも、生活はつづくのだ。

こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり(山崎方代)

星野 源 「くせのうた」

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