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金だけではない、時間の投資先も考えろ

 スマホが普及する少し前、ガラケーをみんな持っていた時代があった。今と同様当時の若者はガラケーにかじりつき、LINEの代わりにメールを送りあっていた。

 彼女らの入力速度といったら半端ではなく、手元やディスプレイを見ずに操作することができた。


 しかし、ガラケーは10年と少しで消えた。
 その瞬間、この「特殊能力」は意味を失った。

 いっぽうで、パソコンやキーボード入力は消えなかったため、タッチタイピング(俗に言うブラインドタッチ)はいまだに有用な技術である。

 これもいずれは音声入力にとってかわられるかもしれないと考えると、いつかは「意味のない技術」になるのかもしれない。

 車の運転もしかりである。


 生成AIのプロンプト最適化技術も、おそらくは一瞬で消える(変化が激しすぎる)タイプの技術だ。

 なぜならば、生成AI側に人間が合わせるよりも、生成AIを人間に合わせたほうが売れそうだからである。

 したがって「プロンプトの勉強をしないといけない」からと言って、そのために多額の情報商材を購入したり、有り得ないほど多く時間を投入して技術を身につけるのはリスクでしかない。

 趣味だというのなら話は別だ。ガラケーの例でも、彼女らからしたら勝手に入力技術が身についていただけであって、意図して習得したわけでもなければ、効率的なやり方を高値の教材で習ったわけでもない。

 だが、もし趣味でないのなら、何か強制されているような感じがするというのなら、いちど立ち止まって考えて欲しい。

「どうしても、いまAI用プロンプトの書き方を自分が身につけないといけないか?」

 どうしてもいま必要であるというのなら仕方がない。将来意味のなくなる技術であっても、いまどうしても必要なら身につけるしかない。将来、自動車がまさに自動で走ることが決まっていても、そのような車が自分レベルの庶民へと普及するまでは、自分で運転しなくてはいけない。

 ただもし将来性を考えるのならば、お金も時間も、すぐに消えそうな技術の習得のために投入するべきではない。

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