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めちゃモテ愛され哲学女子
19世紀のドイツに、ルー・サロメという女性文筆家が居た。あの女嫌いの哲学者・ニーチェに求婚された女だ。大学で哲学を学び、その後は作家やヒーラーとして活動していたそう。
そして、ニーチェのほかにも詩人リルケ、心理学者フロイトという、
そうそうたる顔ぶれの知識人たちに愛された、めちゃモテ愛され哲学女子である。笑
ニーチェはルー・サロメの影響を受けて『ツァラトゥストラかく語りき』を書き、
リルケはサロメに影響を受けて、詩を書いた。
才能ある男に影響を与えて作品を作らせるという面から、『男を妊娠させる女』ともいわれたそうだ。
ちなみに、ニーチェの妹はルー・サロメをいたく嫌っていたそう。
確かに、身近にいたら同性としてはちょっと、いや結構イヤかもしれない…。
しかし、ニーチェに求婚され、リルケと愛人関係を結び、フロイトのもとで精神医療を学ぶとか…なにその知性的な意味で豪華すぎる素晴らしい人生…!
そんな彼女が言った。
「愛されなかったということは、生きなかったことと同義である」
って。なんて残酷な言葉だろう。
さすがは、めちゃモテ愛され哲学女子。
閑話休題。突然自分の話をしてすいません。
以前交際していた男の人は、幼くして家族と死別したり、いじめに遭ったりして、そんな辛い現実から逃れるために、子供の頃は本ばかり読んでいたらしい。
そのときに出会った、上記のルー・サロメの言葉に打ちのめされたそうだ。
「愛されない俺は生きていないのかって思った」
子供の頃を思い出して、そう泣きながら話してくれたことがあった。
「わたしはそう思わないな」
と私は言って、傷ついた子供時代の彼を抱きしめたのだった。
寂しかった頃のことを話してくれて嬉しかった。
飄々としていてスナフキンみたいな人だった。
(ちなみに、後に私がメンヘラ化しいろいろ酷いことを言って絶縁された。恥の多い人生を送ってきました)
私は、ルー・サロメのこの言葉を全力で否定したい。
だって、リア充の思想じゃないですか。思想は孤独な反撃であってほしいのです。
満たされた人間の思想など、思想である必然性がないじゃない。
すみません。独断と偏見です。そしてルー・サロメの本はちゃんと読んでないです…。
いっぽう、ニーチェの思想を、芸人の有吉弘行さんは「童貞の論理」だと言った。どうかとは思うけど、言いたいことは分かる。
そんなニーチェ思想とルー・サロメの思想は、どう考えても相容れない気がするんだけど、それでも、ニーチェはルー・サロメに求婚した。(そして断られた)
男と女の面白いところですね。
孤独な人や辛い人ほど大いに思想を使うべきであると思う。
最後の砦であり、反撃でもあるような言葉が、わたしは好きです。
愛されるってなんだろうね。
「愛」について話し出したら、これまたきりがないけど(エーリッヒ・フロムとか、レヴィナスあたりが愛について色々語っていますね)、
「愛される」というのは、食欲や性欲や睡眠欲となんら変わらぬ「愛する」という欲の捌け口にされるだけのことじゃないのかなって思ったりもする。
たとえば山奥で、人知れず咲き、人知れず枯れる花に価値がなくて、
花屋で売られ飾られ愛でられる花には価値があるのか?
そんなことはないと思う。
愛されないことの誇り高さも、あるんだと思う。
ところで私は、枡野浩一という人の、こんな短歌が好きです。
「誰からも 愛されないということの 自由気ままを誇りつつ咲け」
素敵だなあ。
ルー・サロメの考え方(ってほど知らないです、すいません)にはあんまり共感できないけれど、
才能ある男性に刺激を与えて、存在ごと愛されるような生き方には憧れる。
彼女は、男を惑わせ破滅に導く女「ファム・ファタール」(宿命の女)ともよばれたそうで。
破滅はともかく、自分の尊敬する好きな人に刺激を与えられるだけの知性やセンスを持ちたいし、
知性とか感性とかそういうとても深いところで認められながら、好きな人と繋がっていたいものです。リルケがサロメについてそう語ったように、
「あいつだけはわかってくれる」
って、どんなに離れていても思われたいし、思いたい。
そしてそれを糧にして、自分も表現して生きていきたい。
わたしは恋愛すると相手ばかりを見てしまうけど、自分の人生における目的を見失わずにいたいなあと思います。
雑誌の表紙には「モテコーデ」「愛され女子」などの言葉が並ばない日はないし、
「こじらせ系」ライターたちが、いろんなモテ女を分類してたりする。
そんなわけで世の中にはいろんなモテ女子がいるけど、
わたしは、ちゃんと思考して自分を偽らずに表現して愛されるような、
「愛され哲学女子」になりたいです。