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友人をやめるとき

そもそも私にとって友人と呼べる人は少ない。それでもこの人とは今後関わりをやめようと思って、実際に連絡を断ったことが一度ある。様々な感情が渦巻くこととなったその出来事についてお話ししたい。

えせお悩み相談室


私は中学のころからやたらと人の相談事を聞かされていて、誰が広めたのか知らないが高校に入学しても、お悩み相談室まがいのことを細々と続けていた。
ある日、メールアドレスをこれまた誰から手に入れたのか、私宛てに知らないアドレスからのメールが一通届いた。その送り主は高校のクラスメイトで、あまり接点はなく、よく体調を崩して学校を休んでいるなというくらいの認識しかなかった。
例に漏れず、そのメールには相談事が書かれていた。詳しくは書けないが、高校生の私には、いや、今の私でも到底解決できそうもないような重い相談だった。同情するより他なかったし、実際話を聞くことくらいしかできなかった。それでもやり取りを続けるうちに、卒業する頃には彼の体調は持ち直していて、話を聞くだけでも少しは役に立てたかもしれないと若干自己満足していた。
私は地元から離れた大学に進学し、彼は地元に残ったが、そのあともメールしたり、私の帰省に合わせて夕飯を食べに行ったりするような関係の友人になっていた。

お守り


今度は私が体調を崩した。社会人二年目の冬だった。
実家で療養を余儀なくされ、その友人にも体調不良の経緯だったり病状だったりを伝えた。
数日後、お守りを渡したいと連絡が来て、なんて優しいやつだと心を動かされたのも束の間、なにやら様子がおかしい。
てっきり持ってきてくれるのかと思えば、そのお守りを授かるための「儀式」があるから指定した場所まで行かなくてはならないらしい。そしてそこはマンションの一室だった。
こういうとき好奇心が邪魔をする。こんな怪しい状況に突っ込んでいくのは明らかにまずい。しかも療養中だ。でも、なにが起こるか見届けないと気が済まない。
マンションの最寄りの駅で友人が待っていた。そこからは徒歩でその場所へ向かう。扉を開けると、中からお経の一節が書かれたたすきをかけた妙齢の女性が現れた。うろたえて目線を後ろに移すと、部屋の一室を占拠する祭壇のようなものがその後ろにあった。間違いなく怪しい。

新事実


危ない目には遭わずに済んだ。お茶と茶菓子を囲んで話をするとても穏当な時間だった。
ただ、話を聞いている私の心のうちは穏当とは呼べなかった。
聞けば高校の頃から、友人はこの教えに心酔していたらしい。全く知らなかった。
たすき姿の女性によれば、学校を休んでいても遠く離れた都市で行われる会合には参加するほどだったというから驚きだ。
そして、卒業の頃には体調がよくなったのも、この教えの効果らしい。二人はそう口々に言って目を見合わせて頷いた。そうか、私のお悩み相談室ごっこは勘定に入っていないのか。
人の役に立っていると自負していたのは、ただの勘違いだった。くだらない好奇心のせいで自尊心はひりついた。
しかし合点もいった。今度は私の番で、体調が悪いなら、この教えが「効く」というわけか。わかってはいる、これはきっと善意だ。全くの善意から出たもので、私を陥れようとか不快にさせようとか思ってやっていることではないのだ。
ただそう言い聞かせても、病気の人間を掴まえて、お守りをあげると言って呼び出して、教えを広めようとするのは、残念ながらそのとき持っている一般常識からすると受け入れられるものではなかった。

帰り道


袋に入った経典を手に、彼と先程の駅へと戻る。様々な感情が交錯していたので、一刻も早く帰って休みたかった。そういうときの道のりの長いことといったらない。
やっとの思いで最初に待ち合わせた駅まで戻ってくると、彼は改札の前でこう言い放った。
それ、千二百円ね。
こんな場面には全く似つかわしくないが、あまりの衝撃でお笑い芸人(ツッコミ)がどこからか飛び出してきて、いや金とるんかーい!と頭の中でおどけていた。
我に返った私は、これは手切れ金だ、そうだ手切れ金、と財布の中身を相手に押し付けるように渡したあと、改札を急いで通り抜けた。
それからというもの、この間教えた日々のお勤めはやっているかとちょくちょく連絡があった。
当然全く実践する気にはならなかった。最初は気が向いたらとかで言葉を濁していた。
しかしどうにもしつこいので、教えてもらっておいて悪いがお勤めはやらない、と返信して、メールと電話を着信拒否した。そこから全く連絡をとっていない。

一人減


こんなことになったのは、私の自尊心が傷ついたからというのも原因のひとつだ。ただ、三年間も相談に乗ったのだから、そのくらいの勘違いは許してほしいと思う。
教えを勧めるのも善意からだったと思うし、そう思いたいが、そう割りきれない自分もいる。
この話をなかったことにして友人としてこれまでどおり接することもできたかもしれない。しかし、これまでの友人関係の上に、何か別のものがべったりと塗り広げられたようで、引き続き友人でいられる自信がなかったのだ。こうして、私の数少ない友人が一人いなくなった。


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