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【日記】強迫性障害について

こんばんは。ヤマネミトです。台風が過ぎ去り、こちらは今日は晴れでした。お盆ということもありお墓参りに行ってきました。途中たくさんのツバメが空を滑空していて、ツバメのフォルムや飛び方ってこんなに美しかったんだなと感嘆しました。

突然話は変わりますが、私が昔から共に生きている「強迫性障害」について、少し書かせていただきたいと思います。少し重い話になりますが、お付き合いいただければ幸いです。


強迫性障害とは…?

強迫性障害、あまり聞きなれない言葉かもしれませんし、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

強迫性障害(英語名中略)は、不安や心配を生み出す考え(強迫観念)が頭から離れず、その不安や心配を払拭するために、「儀式」といえるようなある行為(強迫行為)を何度も繰り返してしまうという病理のことです。

「精神科医が教えない『プチ強迫性障害』という『幸せ』気になってやめられない『儀式』がある人の心理学」杉山崇著 株式会社双葉社




ちなみに私の場合は「確認強迫」(戸締りや火の元、忘れ物などを執拗に確認してしまう。経理関係の仕事をしていた時は数字の確認に非常に時間がかかってしまっていました)、「加害強迫」(気が付かないうちに誰かを傷つけ加害者になってしまうのではないかと心配する。私の場合は刃物やガラスの破片などで人を傷つけるのを恐れ、ガラス容器などが割れていないか執拗に確認してしまう)などがあります。

もちろん、どんな人でも「カギ閉めたかな?」と戸締りなどについて心配になることはあると思いますが、その心配を払拭するために、度を越して何度も確認したり、きちんと確認して外出したのに途中で心配になり戻り再び戸締りを確認してしまう、などが強迫性障害です。また、冷静な状態では当の本人もこの「強迫行為」を非合理的なもの、人に見られては恥ずかしいものという自覚があるのもこの障害の特徴です。そして非合理的だと分かっているので強迫行為には疲労感が伴います。


強迫性障害について読んで良かった本/「精神科医が教えない『プチ強迫性障害』という『幸せ』気になってやめられない『儀式』がある人の心理学」杉山崇著 株式会社双葉社


この障害についての自覚が生まれたのはだいぶ昔でした。そして一時期メンタルクリニックに通おうとしたこともありました。

クリニックの先生はこの強迫行為をリストアップして、日常生活で強迫行為の回数を減らしていくというやり方を提案して下さいました。おそらく続けていけば、強迫行為をしないような方向に向かうことができたのだと思います。でも、その時の私は「なぜ自分はこのような非合理的な行為をするようになったのか知りたい」という気持ちが強く先生の方針に合わず、通うのを止めてしまいました。

実用的なトレーニングだけでなく、ただただ、じっくり話を聞いて欲しかったのかもしれません。

それから10年ほど過ぎてしまいましたが、冷え取り健康法などを続けていく中で、そろそろこの強迫性障害とも向き合いたいという気持ちが湧いてきました。

そして、取り寄せたのがこちらの本です。

強迫性障害を治すも治さないも、最終的には自分で選んでいい、治さない場合も工夫して苦しくないようにコントロールできればいい、なぜなら非合理的で精神的な疲労を伴うと思われる強迫性障害にもメリットはあるのだからという趣旨の本でした。私は読みながら「え、治さなくてもいいの?」と驚きました。

そのメリットはいくつかあり、ご興味のある方は本書をお読みいただければと思いますが、私が腑に落ちたのはこの箇所でした。

(中略)「成功強迫」と呼ばれているものがあります。「惨めな負け組になるかもしれない」「尊敬されて一目置かれていなければならない」という強迫観念です

本書より

(中略)それでは、成功強迫はどんな人に多いのでしょうか。これは私の個人的な印象になりますが、小さい頃から「優等生でなければ!」と追い込まれてきたタイプの人や、小中学校でいじめられた反動から「成功して優位に立たなければヤバい!」と自分を追い込んできたタイプの人が多いように思われます。

本書より

(中略)いじめられた体験をきっかけとするタイプの人は、いじめられて惨めな思いをしたことへの反動が背景にあります。多くの場合でいじめ体験は無力感ももたらすわけですが、無力感は不快な感情です。この感情を緩和するために、必死に成功を求める場合もあるのです。(以下略)

本書より

実は私も小中高といじめなどを経験してきました。本書の説明では、成功強迫といじめとの関連について説明されており、私は自分に「成功強迫」の傾向があったことにも気づきました。(大学受験をめちゃめちゃ頑張ったなど)

また、本書では「成功強迫」といじめとの関連についての記載でしたが、私の場合は「確認強迫」「加害強迫」もこのいじめられた経験に紐づいているように思われました。

あくまで素人判断ですが、そもそも「確認強迫」の強迫行為をしてしまうのは、火の元を確認しておらず火事になったら周囲から避難されることを恐れるから、「加害強迫」も本当に他者を心配しているのではなく、最終的に自分は責められるのが怖いからでした。

周囲から避難されれば、また嫌われてのけ者になってしまうという架空の恐怖から強迫行為を繰り返していたのだと、やっと腑に落ちました。(もちろん素人の見立てで、ひょっとしたら直接のきっかけはもっと幼児期にまでさかのぼるのかもしれませんが、今はこのことに気づけたのでとても満足しています。)

このように、私は対人関係の不安を払拭するために強迫性障害を長年患っていたのかもしれません。この障害に心を守ってもらっていたのかも。まだ打たれ弱いところもありますが、歳を重ね面の皮も厚くなったし、今自分を故意に傷つけようとする人がいれば、その人と距離を置いて自分自身を守ることもできます。強迫性障害にお礼を言いつつ、卒業することもできそうな気がしてきました。


本書ではもちろん強迫性障害を「卒業」するための手立ても説明されています。また、脳の構造(便宜上「ワニの脳」「ウマの脳」「サルの脳」「ヒトの脳」と呼ぶ脳のシステム)の観点からみた強迫性障害の説明も記載されていて、知的好奇心をそそられる内容でした。

自己受容の旅はまだまだスタート地点ですが、これからも愉しんで歩いきたいと思います。



長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました☆彡


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