懐かしい本屋さんのお話
以下は、昔に書いたweb日記エンピツからコピーした文章です。
このお話、というか日記、『心にいつも猫をかかえて』に入れたような気がしていたのですが、もしかして入れてなかったかも、とわからなくなったので、とりあえず。
今日2024年11/7、この中に登場する書店さんと再会したような出来事がありまして。
その話は以下の、古い日記のあとに。
………
2003年09月10日(水)その書店の名は
それはもう、二十年以上も前(村山注…この日記を書いた当時のこと。今からですと四十年以上も昔のことになります)のこと。
ある街の、繁華街のメインストリートに、その書店はありました。
店の中には階段があり、二階か三階までも、本棚が並んでいました。
書店の名は、「青春書店」。
そこではなぜかいつも、小鳥のさえずりの音のテープ(村山注…有線だったのでは?)が鳴らされていました。
ブックカバーは、くすんだ黄色の紙に、緑色の樹のシルエット。
「小鳥の声が聞こえる青春書店」というのが、店のキャッチフレーズでした。
その作家は、まだ中学生だった頃、その書店で文庫本を買いました。
外国の作家の短編が好きで、O・ヘンリやサキや、あるいは「シャーロック・ホームズの冒険」あたりも、その書店で買ったのかもしれません。
作家は、小鳥の声が聞こえる、その書店が好きでした。
そして、階段を上り、見上げるたびに、
「ここはなんて大きな書店なんだろう」と、うっとりしていました。
作家は、子どもの頃から、本が好きでしたから、大きくて立派な、その書店が大好きだったのです。
それから、二十年以上の年月がたち、おとなになった作家は、その書店を訪ねてみました。
「まだ続いているかどうかわからないけどね」なんて、周囲にはいいながらも、心の底では、あの店はきっとまだあるに違いない、と、信じていました。
かつて、バスで通っていた街に、作家は電車に乗ってたどりつきました。
残暑のまぶしい日差しに包まれた街は、昔通りに人々が大勢行き交い、にぎやかに栄えていました。
作家は、ここまできたものの、どうやって店を探せばいいものか、一瞬、とほうにくれました。でも、いい年をして、「なるようになるさ」と思うたちでしたし、店を探しながら歩くのも、楽しいかと思いました。
歩き出してまもなく、一軒の店が目にとまりました。
大きな看板をつけた、書店です。
古いタイルが壁に貼ってある、歴史がありそうなお店でした。
しかし、看板の文字は、青春書店ではありませんでした。
あたりまえだ、と、作家は思いました。
「なんか気になる本屋さんだけど、青春書店じゃない。あそこは、あんなに小さな店じゃなかったもの」
それから、ぐるぐると作家は街を歩きました。
けれど、残暑の街をいくらさがしても、青春書店はありません。
ふと不安になって、ちょうどでてきた、古そうな薬局の薬剤師さんにきいてみました。
「あの、もう二十年も昔のことになると思うんですが、このあたりに、青春書店という本屋さんがなかったでしょうか?」
「ああ」と、妙齢の女性薬剤師さんは、白衣の腕を伸ばしました。
「あそこは名前が変わっちゃったんですよ。あっち、駅のそばに、ありましたでしょ」
「え」
駅のそばにあった書店というと、通り過ぎてきたあのお店しかありません。
薬剤師さんは、言葉を続けます。
「なんだかね、経営者の方もたぶん、変わっちゃったみたいで」
作家は、そのお店まで戻ってみました。
そして、中に入ってみました。
見上げるとそこに、昔確かに見上げた記憶がある階段がありました。
小鳥のさえずりは聞こえませんでした。
まだ、信じたくないような気がしながら、作家は、レジにいた若い青年に尋ねてみました。
「ここは昔、青春書店という名前だったんでしょうか?」
めがねをかけた、まじめそうな青年は、どこかに電話をかけて、
「はい、そうだったみたいです」と、答えました。
作家は、まあしょうがないか、と思いました。
いくらなんでも、二十数年の歳月は長すぎます。店の経営者がかわるなんてことも、ありそうなことです。
それに、と、作家は思いました。昔は本当に大きな書店だと思っていたけれど、昔の自分は、子どもだから背が低かった。それにだいたい、いまの自分は、これよりもいくらも巨大な書店さんを知っている。だから、店が思ったより小さく見えてしまうのも、仕方がないことなんだわ。
児童書のコーナーに行きましたが、作家が書いた本はなかったので、雑誌と文芸書を買いました。レジでお金を払うとき、「実は自分は童話作家でね。子どもの時に、ここでよく本を買っていて…」と青年に途中まで話しかけて、なんとなくやめて、笑顔で書店を出ました。
商店街の大通りは、ところどころ昔のままで、ところどころ新しい、キメラのような街になっていました。
作家は、模型やさんの店長と話し込み、通りすがりの老いたチワワをつれた老婦人と犬の話をし、化粧品店で、珍しい香水を見つけて喜んだりしました。
作家と同世代の、模型やさんの店長さんは、「もうこの街も、すっかりかわって悪くなっちゃって。悪い子が増えたし」と苦笑していましたけれど、作家にはこの街は、そう悪い街だとは思えませんでした。
化粧品店の、街の生き字引のような妙齢のお姉さまは、作家が話のつれづれに、この街への思いを話すと、目を潤ませて感動してくれたので、作家はつい、気前よく、「記念に一本だけ買うつもり」だった香水を、二本も買ってしまったりもしました。
お姉さまはいいました。
「お客さんは、引っ越しと転校の連続で、そりゃあ大変だったかもしれない。でも、それで、いまの積極的な誰とでもお話しできる人になれたのなら、いいんじゃないの?」
駅のそばの、どのお店かの入り口に、電光掲示板が飾ってありました。
作家が最初、そのそばを通り過ぎたとき、そこにはたまたま、「お帰りなさい」の文字が、点滅しながら表示されていました。
時間は夕方近く、その駅に降り立つ人々のために、そこにはその文字が映るのでしょう。
でも、作家は、街の魂が自分に、「おかえり」をいってくれたのかもな、と、少しだけ笑いながら、思いました。
昔、ある街の繁華街に、小鳥のさえずりが聞こえる書店がありました。
子どもの頃の作家は、そこで、O・ヘンリやサキの本を買い、そしてやがて、自分も作家になりました。
昔、青春書店という名前の、立派な書店がありました。
………
そして、今日、11/7。
新刊『街角ファンタジア』の刊行に伴い、東京都内や千葉県の書店さんにご挨拶にうかがっていたのですが、葛飾のブックスオオトリ四つ木店さんにうかがったとき、
「村山先生、青春書店をご存じだと小耳に挟みまして」と、柔和な笑顔の店長さんがひと言、そうおっしゃったのです。
実は、ブックスオオトリは青春書店と同じチェーンのお店、かつて青春書店はブックスオオトリと名前を変えたけれど(日記には書きませんでしたが、お店の名前はブックスオオトリに変わっていたのです)、それは当時の私が思ったように閉店するなどの悲しいことが起きたせいではなく、ただ名前が変わっただけだったらしく。
そして、ご自分は元青春書店であったところの、ブックスオオトリで働いたこともあるので、私が青春書店というお店を覚えていることが嬉しかったのです、と。
ブックスオオトリさん、私の本をいつも推してくださっていて、それで今日もうかがったのですが、一体いつから、そんなふうに思っていてくださったのか。
ブックスオオトリのチェーンの他のお店にもぜひ、と色紙をお願いしていただき、書かせていただいたのですが、そのとき一枚、青春書店に宛てての色紙を、とリクエストいただきました。
胸をつかれるような思いがしたのは、私は昔、あのお店を本八幡に探しに行ったとき、作家になりました、と報告したかったのだと思ったからでした。
今日、何十年かの時を経て、作家になりましたよ、書き続けていますよ、と懐かしいお店に報告するような気持ちで、色紙を書かせていただきました。
ブックスオオトリ四つ木店の店長さんに、あらためて、作家になりました、と報告させていただきました。
こんなこともあるものですね。
ずっとずっとさまよっていた、本と本屋さんが大好きだった子どもの魂が、いまやっと、帰るべき所に辿り着いたような思いがしました。