スクラッチャー&スクラッチャー ~格闘家たち~
強さには多くの方針がある。
勝ってほしいものを力ずくで手に入れる強さ、決して負けず奪われない強さ、何があったとしても揺るがない強さ。
それぞれが尊い。
だからこそ、人は強さに憧れる。
すべての格闘技選手、格闘技ファンのほぼすべてがそうだろう。
そしてその強さを見たい、見せつけたい、教えたい、普通はそう考えるだろう。
僕はまったくそう思わない。
僕はキックボクサーをしている。
某キックボクシング興行、フェザー級ランキング六位。
そのことを恥じたりはしない、むしろKO勝ちは勿体ないと思っている。
KOしてしまえば相手をもう叩くことができない。
それは、駄目だ。
三分何ラウンドかの試合時間を全部使いきって、なるべく多く殴って、なるべく多く蹴って、僕はやっと満足する。
法律に縛られることなく、大手を振って攻撃的な本能を発散できる。
これほど素晴らしいことがあろうか?
試合結果は自分がダウンさえしなければ、正直なところどうでもいい。
試合中は骨肉を叩きまくる心地よさに奮え、さらに試合後に相手が故障して長期離脱や引退してくれると残酷な気持ちで満たされる。
最後に立っていればいいのはリングの中だけじゃない。
僕の戦績中、引退が二人、足を壊して一年以上の離脱が三名。
故障した者たちは勇敢で根性があったが、それゆえ僕を悦ばせて本人たちは戦いを失った。
僕の試合は人気がない。
単調で派手さに欠けるためだろう。
僕は基本的にワンツーとローキックしか使わない。
それだけあれば相手を壊せる。
時間をかけて少しずつ少しずつ。
立ち技格闘技は絶えず足の位置を変える。
ステップイン、サイドステップ、バックステップ、スイッチ。
僕は常に相手の足の位置から相手ができる攻撃を想定し、常に「相手の攻撃が当たらなくて自分だけが攻撃できる」位置に立つようにしている。
イメージは将棋だ。
リングを9×9の81マス、選手の前に出している足を駒と考えてみよう。
僕が金将で、目の前のマス一個を隔てた駒が歩であれば横か斜め前に移動する。
香車や飛車ならば横か斜め前に、絶対まっすぐ後ろには下がらない。
逆に桂馬や角が相手ならばまっすぐ進む。
相手が金将や銀将ならば、先に手を出したほうが不利になるので状況が変わるまでキープ、もしくは間に歩を置く。
極端な話ではあるが、キックボクシングも似たようなものだ。
オーソドックスの相手がまっすぐ向かってくれば、相手の左側へサイドステップして相手の死角からジャブかローキック。
金銀のにらみ合いが始まれば、歩の代わりにジャブやローキックを差す。
相手は退くか前に出るかしかなくなる。
ただしこれは先に手を出したものが勝つ話だ。
だから僕は相手との間に二マス、三マスを保つようにする。
一マスになった時点で僕が先手を打てる状態になってなきゃ駄目だ。
歩を置くようにジャブとローキック、ローリスクだが効果的な打撃を間に置いていく。
軽い打撃でも痛いものは痛い、相手も何度か当てられるうちに足運びが慎重になっていく。
それが何回も何十回も繰り返されるとどうなるだろうか?
相手は前に出られなくなる。
さらに都合のいいことが続けば、リングの端まで自ら下がってくれる。
ここでも僕はジャブとローキック、ここまで来たらストレートも交えるが、距離をおいて、でも逃がさないように相手を痛めつけていく。
得意な距離を保ったまま、得意なことしかしない。
特攻なのか、体ごとぶつけてくる選手もいる。
大概がまっすぐ突っ込んでくるので御しやすい。
対応が遅れたならば、その時は首や腕に手を引っかけてすぐに首相撲、僕より首相撲が上手い相手ならばクリンチに持ち込む。
近距離は肘でまぶたをカットされてドクターストップなんてこともあるし、殴り合いなんてやったら僕はまず負けるだろう。
打たれ強いわけじゃない。
やられてしまったらそこで終わり。
リングに上がるために減量苦までしたのに、そんなのは許されない。
そう、もっと殴りたい、もっと蹴りたい。
もっと、もっと。
拳を顔面にめり込ませて、相手の脳まで達したであろう衝撃の反動が肘と肩を通して全身に伝わっていくのがいちいち快感だ。
ローキックはもっと味わい深い。
足を蹴るといっても、足は複数の部品でできていてそれぞれ役割が異なり、それぞれ蹴り心地が違う。
外側の腿は肉が厚く、蹴り応えがある。目に見えてダメージが蓄積していくのもいい。
内腿は一番おいしい、的が大きく蹴り応えも良いうえに、鍛えにくい部位であるゆえに相手の足の芯を弱らせやすい。
ふくらはぎは直に骨に響かせられる感じ、固いものがミシミシと軋むのが気持ちいい。
そして膝まわり、膝をすねに当てられる恐怖はあるが、とてもとても壊し甲斐がある。
内側を狙うのがベストだが、僕は外側から少しずつ壊していくのが楽しい。
硬くて複雑な関節を少しずつ壊す。
ローキックの蹴り方も色々ある。蹴り込む角度を変えたり、体幹のねじり込み方も変えてみたり、膝から先だけをスナップで走らせるようしたり、足一本を解体するにもたくさんの工夫ができる。
大小問わず魚一匹を解体するにも職人は包丁を鮮やかに使いこなす。
魚は解体すればおわりだが、僕は時間いっぱいまで相手を殴る蹴る。
倒さなくてもいい、力一杯叩きたい、血の詰まった肉と骨を叩き続けたいだけ。
そして満足してリングを降りる。
今日もいつも通り、それだけのはずだった。
1ラウンド1分42秒、初のKO勝ち。
セコンドも観客も騒いでいるが、これは楽しくない。
まったく楽しくない。
ローキックを十発も打たないうちに終わってしまった。
骨肉血肉を叩く愉悦をもっと味わいたかったのだが。