私と音楽。
1、エレクトーンとの出会い
遠い昔、私は将来音楽で生きていく人になるだろうと思っていました。現在40代の私、5歳の誕生日プレゼントがエレクトーンだったのです。
当時ちょっとした病気で2泊の入院をし、家に帰る中古のエレクトーンが届いていました。おそらくYAMAHAのB-20という機種だったはず。
この頃の女の子はピアノかエレクトーンをやっているのが当たり前でした。当時千葉市内のマンモス団地に住んでいたのですが、あちらこちらから年中ピアノの練習曲が聞こえていました。でも貧乏だった我が家、ピアノは高額だし定期的に調律が要る、エレクトーンなら手頃なのが手に入ればあとは電気代だけで済む!そう思って決めたそうです。後に進級のために機種もグレードアップしていく必要があることなど、音楽無知な両親が知る由もありません。
初めてエレクトーンの前に座ると、母がなけなしのレパートリー“ネコふんじゃった”を私に教えました。黒鍵ばかりなのが面白くてすぐ覚えました。あとはきらきら星、ちょうちょ、チューリップなどのメロディラインだったと思います。母は音楽の授業で習っただけなので、そんなものです。『聖ちゃん(私の事です)面白いくらい覚えが良かったのよ。指番号で5-3-3、4-2-2、1-2-3-4-5-5-5って教えるとそれでスラスラ引けちゃうんだもん。』たったこれだけで、ちょっとは才能があるかもしれないと期待し、遊びで終わらせてはもったいないと、近所のYAMAHAエレクトーン教室に入れられる事になります。
2、先生怖い、エレクトーンやめたい
元ヤンみたいな女の先生でした。バッチリのメイクにソバージュ、口紅はいつも紫系統だったな。威圧感すごくて苦手でした。でも演奏は上手(当たり前だけど。)で憧れでもありました。発表会で先生がデモ演奏してくれるのが毎年楽しみだったのを覚えてます。
レッスンは嫌いでしたが時々楽しい時間があって、先生がキーボードで弾いたメロディーを私が聞き取ってエレクトーンで弾く、というものでした。耳コピは得意だったのですごく好きでした。私の絶対音感はここで身に付いたものかなとも思っています。今ではだいぶ低耳ですけどね、いつも440より随分低いです。絶対音感て言えないか(汗)。
小3の頃。先にも書いた通り耳コピは得意で、友達の家で見させてもらっていたファミコンのBGMを学校のオルガンで再現していました。ファミコン持ってないしどうせうまくできないからプレイには興味がない、でも友達が上手に進んでいくのを見てるのは楽しかったし、何より音楽がバラエティに富んでる!聴いてるのが楽しかったです。スーパーマリオとかドラクエとかのBGMを弾くと、クラスみんなが集まってきて褒めてくれるんです。リクエストやアンコールにも応えたりして、人見知りの私には至福のひと時でした。
こうして弾きたいものがある程度弾けるようになってくると、先生も嫌いだし、もうレッスンに行くのが嫌になってきます。YAMAHAエレクトーングレードも7級まで取ってました。小5くらいの頃『エレクトーン通うのやめたい』と母に相談しました。『ここまで頑張ったのにもったいない、もう少し頑張ってほしい』という返事。そうか、やめられないのか。
仕方なく通い続けていた数か月後、思ってもいなかったキラキラした世界に出逢うことになります。
3、THE SQUAREと出逢う
小5のある日、母からエレクトーン教室を変えてみようかと提案がありました。近所に住む妹の同級生が通っている教室です。今までの先生から逃げられると、それだけで救われた気持ちになりました。
A先生はとても可愛く、とてもやさしい先生でした。初めて披露した曲は稲垣潤一さんの“Just The Same…”。今まで指示されるままPOPSを弾いてきましたが、その中でも一番のお気に入り。コード進行が良いんです♪
A→Caug/G#→Em/G→F#7→DM7→A/C#→Bm7→E7
するとA先生が言いました。『聖子ちゃん、fusionやってみない?』
fusion?何それ⁉聞いたことないのですが…。
A先生は用意してあった譜面を取り出し、付属のフロッピーディスクをHS-8に挿入し演奏を始めました。あ、めっちゃカッコいい…。
A先生が弾いてくれたお手本の曲は、THE SQUAREの“Go For It”でした。母とレコードショップに行きアルバム“YES,NO”(1988年リリース)(当時の私はカセットテープ)を購入。あぁ、やっぱりかっこいい!と思いました。しかし練習してみるとまぁ難しい。今までのPOPSにはなかったメロディーラインの幅の広さ、キーボードやベースのアドリブに苦戦しました。左手だって、今まではトライアドコードを押さえるだけだったのに、キーボードのフィルなんかがちょこちょこ入ってくるようになりました。A先生に『難しい、弾けない』と弱音を吐くとその部分に指番号をふってくれました。それで何度も練習し、弾けるようになり、1曲ずつ制覇していきました。Omens Of Love、Travelers、El・Mirage、Truth…等々。どの曲の演奏も楽しく、先生からはなまるをもらってからも繰り返し弾くほどでした。
4、CASIOPEAと出逢う
それからしばらく経った頃、今度はエレクトーンの発表会の季節が来ます。普段は個人レッスンでしたが、発表会だけは同じ教室に通ってる生徒を数人寄せ集めたユニットでの発表でした。先生が持ってきた譜面はCASIOPEAの“TRANSFORMATION 1”。これがまたね、カッコよかった(鳥肌)。1986年リリースのアルバム“SUN SUN”に収録されている曲です。私はベースパートでした。初めはギターパートやキーボードパートでないことが残念でしたが、A先生から『この曲はベースがすごく目立つ曲だから、聖子ちゃんでないと任せられないのよ。』なんておだてられて、とても嬉しい気持ちで練習に励んだのを覚えています。先生うまいな~。たった2ヶ月ほどのユニットでしたが、誰かと一緒に演奏するのって楽しいなと思いました。一人で完結させるのとは違った楽しみがありますね。
5、その後…
まあ細々色々あるのですが、大体こんな感じでfusionと私は出逢ってます。その後もT-SQUAREとCASIOPEAは遡って何度も聴いていて、私のメインルーツだと思っています。
高校生になると入学祝いに買ってもらったシンセサイザーで、作曲もさんざんやりました。気が付いたら朝だったことも。もう音源ないのが残念。全部fusion系の曲でした。
聴くのも作るのも好きだったのに、ずっとfusionに対して消化不良だったのはこの楽しみを共有できる仲間に巡り合えなかったこと。今は大好きなバンドDEZOLVEを通して、たくさんの方たちと分かち合うことが出来ています。これからもっともっと楽しい時間を作っていこうと思います!
もっといろいろ書き残したかったのですが、キリがないのでそろそろやめます…(‐ ‐;)また別のテーマで掘り下げた話をしたいと思います。
長文乱文、読んで頂きありがとうございました!
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