美術展雑談『展覧会 岡本太郎』
懐かしい! 会場には『タローマン』のコーナーが併設されておりました! もちろん私も、子供の頃からずっとタローマンが大好きです!
子供心にワクワクしながら、毎週観ていましたよ『タローマン』。親がハイセイコーで馬券を当てて買ってくれた、18インチのカラーテレビにかじりついていました。たしか『トリプルファイター』の裏番組だったと記憶しておりますが、私は断然タローマン派でした。
ソフビのタローマンはもちろん、変身サイボーグのタローマンや超合金のタローマンも小遣いをためて買いました。砂場に埋めて、よく遊びましたね。いい思い出です。
プラモデルのタローマンはロボダッチと抱き合わせで売っていたのですが、箱のイラストと中身がまるで違うタマタマタマゴローは、今でもどうかと思います。ロボZよりはマシですが。(イマイさん、塗装は子供にはハードル高いです)
『タローマン』に出演されていた役者の皆さんは今でもお元気で、あの頃とまったく変わらず活躍されているようです。やはり芸能人のかたは、いつまでもお若いままなのですね。見習いたいと思います。
今の子供たちにも、タローマンは大人気なのだとか。時を経て、なお輝き続けるタローマン。やはり不滅のヒーローです。
なんだこれは!
べらぼうです。べらぼうとしかいいようがありません。カタールで長友さんが叫んだように、私も「ベラボー!」と叫んでしまいました。(心の中で)
あらためまして『展覧会 岡本太郎』(大阪中之島美術館)です。頭がくらくらするほど楽しかったです。
太郎さんの作品は便宜上アートとなってはいますが、そんなジャンルの枠さえ太郎さんには意味がありません。いえ、意味がないと断ずることにすら意味がないと断じてしまうほど、意味がないでしょう。
美しくありません。心地よくありません。そして失礼ながら、上手いとも思えません。私には理解できません。説明もできません。
しかし、なぜ太郎さんの作品一点一点から目が離せないのか?
うまく言えませんが、私は太郎さんの作品の中に入ってしまいたいというバカバカしい衝動に駆られてしまうのです。太陽の塔に食われてしまいたい。あるいは太陽の塔を丸呑みして昼寝したい。きっと太郎さんのファンのかたには、そんな気持ちがわかってもらえるのではないでしょうか。
太郎さんは縄文美術からインスピレーションを得ていたとのこと。なるほど、なんだか共通するものがありそうですね。
それは太陽、大地、海、宇宙といった野蛮な脅威への畏怖、あるいはプリミティブな信仰の喜びといった人類の原始的な衝動、つまり心の内なる爆発の結晶であるということではないでしょうか。衝動の産物なのだから、太郎さんの作品に意味などないのは当たり前なのです。
芸術に意味など求めなくてよい。生きることに意味など求めなくてよい。はたしてそこまで言っているのかいないのか、結局私もわかっておりませんが、べらぼうなものに圧倒される喜びは感じています。
「でたらめをやってごらん」「マイナスにとびこめ」
ひたすら正解のみを求められるこの世界にあって、こんなに励まされる言葉はありません。
太郎さん、この世に存在してくれてありがとうございます。おかげさまで、今日も私は機嫌よく生きております。生きている限り、爆発だ!