荻窪随想録30・団地内での自転車遊び
現在の杉並区の公園のルールで、子どもが自由にしてはいけないものの一つに、園内での自転車乗りがあって、
今はルールの見直し期間中だから、保護者のつきそいさえあれば、乗れるようになるための練習だけなら可、とはなっているけれど、
それ以外の乗り入れはやっぱり禁止だ。公園には自転車で入ってはいけないことになっている――まあ、都会では、今はほとんどはそういうことになっているんだろう。
自分が子どもだった頃である昭和3、40年代、そんな取り決めがあったかというと、もちろんあるわけがなく、誰もかれもが好き勝手に敷地内で自転車を乗り回していた。
ただ、初めて自転車に乗ろうとしてみた時には、やはり私も、保護者のつき添いの下でだった。
でもきっとそれは、親が周りに迷惑をかけないように、と思ったからではなく、自分の子どもがけがをしないように、という思惑からだったと思う。
練習は、団地の西側にあった駐車場でやった。
ほかにもなにかしらして遊んでいる子たちがいる中、父親の見ている前で補助輪のついた自転車で駐車場内を何度か回ってみて、乗れそうだね、ということになって、以後、自転車に乗るようになったが、実は私は長いこと補助輪つきのまま乗っていた。
ところがある時、団地内のゆるやかに曲がった道路を自転車で家に向かって走っていたら、向こうから来た幼稚園帰りの知らない二人連れに、
「小学生なのに補助輪つけてるー!」
とげらげら笑われ、それが悔しくて、それ以後はようやく補助輪をはずして乗るようになった。
親に補助輪を取ってくれ、と頼んだら、「大丈夫なの?」と心配されたけれど、特に問題はなかったようだ。
内心では、ちょっと不安だったのだが。
自転車というものはどこかに行くために乗る、というよりも、乗ること自体が楽しくて、それ自体が遊びだったような時期もある。
友だちと、今日は自転車に乗ろう、と言って、持っていない子は持っている子の自転車を借りて、自転車で団地内の通路を行ったり来たりして遊んだこともあった。
ある時、そんなふうに、一人で団地内の公園と、その横に並行してあった舗装された歩道とを自転車でぐるぐる回って遊んでいたら、
ほかにもそんな子たちが何人かいたせいか、
小さな女の子が、ひとところに立って、交通整理の役をやりだした。
その子が笛を吹きながら、ピッ(止まれ)! と手で合図したら止まって、ピーッ(進め)!と合図したら、またそのとおりに進むのだった。
それは、東側の21号館から23号館の横のあたりの通路で始まったことだった。
最初のうちはこっちもおもしろがって、その子の言うとおりにやっていたのだけれど、
そのうち、自転車はスピードを出すのが楽しいのに、
飛ばしたいところで、笛を吹かれて止まらされるのがつまらなくなって、
「やーめた!」と言って、くるっと自転車の向きを変えてその流れから脱け出したら、
ピーッ! ピーッ! とけたたましく笛を吹かれ、
にわかに手下と変じた男の子たちに自転車で追っかけてこられた。
それでこっちもあわてて、猛スピードで10号館に帰り着き、自転車から飛び下りて、1階の自分の家に駆け込んだのだが、
これで一安心、と思ったのに、ふとガラス窓からベランダを通して家の外を見たら、その男の子たちがいつの間にか芝生のある南側に回って、植え込みの陰にしゃがんで家の中のようすをうかがっていた。
ぎょっとして、これは今日はもう外に遊びに行けない――交通違反ということで、逮捕されてしまう――と、思ったけれど、しばらく家にひそんでいたら、見張っていることに飽きたのかいなくなったようだった。それで、ようやくほんとにほっとした。
もしやこの後もつけ狙われるんじゃ、という思いもあったけれど、幸いそのようなことにはならなかった。
知らない男の子たちだったし、そのこまっしゃくれた女の子にも、同じ団地内ではあったものの、その後、二度と出会うことはなかった。
自分が島としていたような10号館のすぐ横の公園ではなくて、道路を渡ったところにあった、もう少し大きな東側の公園でのことだったからかもしれない。
そんなふうに自転車でどこを飛び回るのも、昭和の時代――いつから、こんなに規則が厳しくなったのか、正確には私は知らない――にはまったく自由だった。善福寺公園の草地に乗り入れるのも自由だった。
今のシャレールの敷地内にいくつかある公園も、当然自転車で入ってはいけないことになっていて、花火ができないのも、ボール遊びをしてはいけないのも、ほかの公園の規則と変わりない。大きな声や音を出してはいけないとも書いてあって――これはたぶん、公園で歌の練習をしたり、演奏をしたりするな、という意味だとは思うけれど――受け取り方によっては、公園とは静かにおとなしくしているところだ、と言われているように思われてもしかたがない。
これでは、子どもたちが交通整理ごっこをすることなど思いつくわけもないし、自由な発想は奪われてゆくばかりだろう。今少し、自由にふるまえる世界に戻ってもいいのではないかと思う。
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