荻窪随想録23・どうぶつ公園(西田第二公園)
ところで、「西田たんぼ」のそばにあった、あの動物の置物があった公園はどうなったのだろう。
ふとそう思い、それらしき位置にそれらしきものがあるのを、ネット上の地図で確認してから、いつものように歩いていってみた。
今までこの公園を本気で探したことはなかった。しかも、どういうわけだか歩いていて見つけたこともなかった。
たとえば、田端神社に表参道のほうから入って、裏門を抜けて――今は裏木戸はないので――坂道を下りていったとしたら、元荻窪団地であるシャレールのほうに出る途中で見かけてもよさそうなものだった。でも、これまで見かけたことがなかった。
今回、シャレールのほうから目指してみて、初めてそのわけがわかった、行き止まりの道の横に押し込められていたのだ。そこから神社に通じる道には出られないし、その道は1本の横筋をのぞいて、シャレールのある側からしか入れない。
突き当たりは人家で、公園の周りにもすぐそばまで人の家が迫り、周囲には金網が張り巡らされていた。さらに公園の正面は昔から隣接している保育園――運営は変わっているようで、当然建て変わってもいるみたいだったが――のアルミのような板塀でふさがれていて、その先は見通せなくなっていた。いつの間にかそのような狭苦しいところに、公園は追いやられていた。
入り口からして記憶にある公園とは変わっている。中にある遊具もすっかり入れ変わっていたが、いかにも以前は私たちが、勝手に「どうぶつ公園」と名づけていたところらしく、動物の置物が2体、地面の上に据えつけられていた。
私たち、とは、「はやし」の「なか」に「やす」い「え」があったさん、はっきり言えば「やすえ」と、「はじめ」から「さわ」があったさん、あるいは「はじめっこ」の、仲よし3人組――で、それと同じだけけんかもした――の、団地の遊び仲間で、クラスメートのことだが。
昭和40年代初めのその頃には、そのような動物の置物――オブジェと言ったほうがいいのか――がある公園はまだめずらしかった。
それで、ここは動物の置物があることが特徴の公園、ということに私たちの中でなって、私たちは「どうぶつ公園」と呼んで、そこに行った時には、それらを使って椅子取りゲームのようなことをしたり、鬼ごっこの特殊なルールに使ったりもしたのだった。
私の記憶が正しければ、以前は確か、薄水色の大きなカメと、薄ピンク色の小さめなカメとがあって、それとウサギと、もしかしたらリスもあったかもしれないが、今あるのは、カメ1匹とウサギ1匹の2体だけだ。
そして、カメはあの頃のようなやさしい淡い色――昔よくあった、硬くて甘い香りのしたバナナのような形の駄菓子のような色――ではなく、はっきりとした濃い青色と、目立つ赤色との2色に塗り分けられていて、ウサギのほうも、かつてとは違って、なんだかてかてかした白いペイントで塗り上げられている。
これはもしや、昔あったものに色を塗ってまだ使っているのだろうか。
だとすると、そこにあるのは大きなほうのカメだと思えるが、とすると、小ガメはどこに行ったのか。
それ以外はなにもかもが、かつてとは違っていた。やはり今風にはでな色に塗られた、すべる部分がローラーになったすべり台や、最近はあちこちの公園で見かける、子どもがまたがって揺らすことのできる、ロッキングアニマルや。
手の洗えるところは今もあって、これはこんな位置だったろうか、と思ったけれど、水道を別の場所に引くのは面倒だから、以前からこのあたりにあったのかもしれない。それとは別に、奥には存在感のあるトイレ。敷地の中ほどにはかなり幹の太い大きな木が2本植わっていて、見上げると緑の葉が十分に茂っていた。これは公園としてはおもしろい造りだと思うが、こんなものは以前から生えていただろうか。
なんということもなく、てかてかのウサギに腰を下ろしてみた。むろんなんの感慨も湧かなかった。でも、なにかが私の身に伝わってくるようでもあって。
しかし、昔から思っていたけれど、こういったウサギはなぜ、このように不自然に首をもたげているのだろうか――よく見ると、カメもだけれど――もしかすると、菜っぱでももらう仕草を表わしているのだろうか。子どもが餌をやる真似ごとができるように。でもそうだとすると、ちょっと大き過ぎるような。
ほかにベンチかと思ったら、それよりも細長いので、どうやらその上をバランスを取って歩くための台のようなものがあり、かつてこのあたりにあった畑の肥え溜めに落ちた男の子といい、水たまりに板きれを渡して歩くのをおもしろがった自分たちといい、子どもというのはそうやって体を動かして遊び回ることが好きなんだな、と感じた。
やがて、元来た道を戻ってシャレールの前の通りに出てから、右側の田端神社のほうに行ける道を回り込んでみたところ、その保育園の正面側に出たが、そうしたら、そちらも入り口以外は周りにぴっちりと人の目の高さよりも高い板塀を巡らしていて、園内がいっさい見えないようになっていた。それが目隠しになって、神社のほうから下りてきても、その向こうに公園があることがわからなかったのだ。
それで、今まで見つけられなかったのか。もうこの公園はなくなったのか、と内心思っていた。
この板塀はなんのためなのだろうか。幼児がよからぬ思いを抱く者に目をつけられたり、みだりに盗撮されたりするのを防ぐためなのだろうか。それはわかるが、かえって子どもたちを檻の中に閉じ込めているようにも見える。玄関は玄関で、ステンレスの格子の向こうにあって、24時間監視カメラが作動している、という警告も出ていた。ずい分と厳重で、息苦しいものを感じた。
以前はこのあたりはどんなふうになっていただろうか、と考えてみても、はっきりとしたことは思い出せない。でも、公園のできる前は当然ここも畑か空き地だったわけだから、きっと周りはもっと人家がまばらで、ずっと見通しもよかっただろう。保育園も、格子の向こうになどあったはずがなかった。
かろうじて残されていた公園は、そのようにずいぶんと見つけにくい場所にあって、立ち寄る人も少なそうだった。でも、それだけに、かえって近隣の親子連れにはのんびりできるところとして親しまれているかもしれない。私にとっても、動物の置物がある限りは、思い出のよすがともなりそうなので、できればこのまま、「どうぶつ公園」であってほしい、と思った。
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