荻窪随想録8・大田黒公園とオナガ
いつの間にか、すっかりあじさいの美しい季節になった。
それどころかすでに真夏のような日が照りつける日もあり、咲きそろったあじさいが色褪せて見える時すらある。
さて、執行正俊バレエスクールに入る横道を越えて、さらに駅に向かって歩いていくと、
左手に、「旅館西郊」の古風なプラスチックの箱形看板が見えてくる。
その旅館といっしょになっている「西郊ロッヂング」と金文字の銘版が上部に取りつけられた――ちなみに、読みは右から左へ――二階建ての古めかしい建物を回り込み、しばらく道を下っていくと、今度は左手に、どっしりとした趣の木戸が見えてくる。
それが入り口である、大田黒公園は、かつては音楽評論家の、大田黒元雄という人の屋敷があったところだということだ。
氏の亡き後、杉並区に寄贈されたので、今は公園になっている。
中に足を踏み入れてみると、びっくりするほどきちんと整備されている。神社の参道のような、いちょう並木を両側に従えた石畳を歩いていくと、なだらかな起伏を持った芝地が見えてきて、園内には流れがあって水音がし、池には真鯉や緋鯉がたゆたっている。そして、四阿(あずまや)や茶室までがそろっている。
あまりに整っているので、初めて訪れた時にはかつての印象との違いに面食らった。
なにぶんここは以前はうっそうとした林で、
駅や、その先にあった耳鼻科に通うためにこの屋敷の横を通ると、ほとんどいつもと言っていいほど、木々の間を尾羽の長い謎の鳥が、ジェー、ジェーと鳴きながらばさばさと飛び回り、
その青灰色の姿を目にすると、なんだか不気味に思えたぐらいだったからだ
。
誰かがその鳥の名は、オナガというのだと教えてくれたが、
団地にいたのはスズメや、カラスや、鳩ぐらいで――当時、ムクドリは目につかなかった――そんな鳥はそこぐらいでしか見ることがなかった。
私にとっては、いささか神秘に近い鳥だったとも言える。
そのオナガは今、この公園に果たしてどのぐらい居残っているだろうか。
私がここを訪ねることがあまりないせいもあるかもしれないけれど、今までに一度しか見かけたことがない。
しかも、オナガらしき鳴き声に気づいて、高い木々の梢を見上げて探し、やっと一羽目にしただけだった。
もしかしたらもっとたくさん見られる時もあるのかもしれないが、以前ほどいるわけではないのは明らかだ。
やはり公園となってたくさんの人が訪れるようになり、オナガもあまり安心して棲んではいられなくなってしまったのではないだろうか。
もちろんここは個人の所有地であったので、私は塀のこちら側から見ていたことしか知らない。
薄暗い林のように思っていたけれど、公園のホームページを読むとなるべく原形を留めることに務めた、と書いてあるので、敷地の中ほどは、けっこう庭として整っていたのかもしれない。
でも、以前よりも木が減ったのは確かだし、それと同じくオナガの数も減少したと思われる。
とはいえ、広い園内には今でも巨木が多く残され、改めて見上げるとその大きさに圧倒される。
ここを個人が維持していこうとしたら大変だろう。
大田黒氏はこのようなさまざまな木が生えた一角に居を構え、日々、自然に包まれて、自然の恩恵を受けて暮らしていた。
朝日が緑の葉を輝かせるのを見て、夕明かりを背に木々の影が黒く浮かび上がるのを見ていたら、さぞ深遠な気持ちになったことだろう。
きっと孤独に耽りたい時には存分に耽ることもでき、執筆活動により専念できたに違いない。
今、私たちは氏が分け与えてくれたその自然の景観を、公平に享受するためにこの公園にやってくるけれど、
決して氏が生きていた時代、氏が感じていたのと同じだけの深さで、ここの自然を味わうことはできないのだ。