荻窪随想録13・荻窪団地の集会所
荻窪の駅前からは、今も住宅地である「シャレール荻窪」へ行くバスが出ているけれど、
その前身であった、南口から出ていた荻窪団地行きのバスは、
環八を迂回して団地を目指し、南側にあった11号館に近いところに停まるものだったから、
私の意識の中では、常にそこが荻窪団地の入り口だった。
でも、団地のそれぞれの棟の外壁に大きく書かれていた黒い通し番号からすると、
1から3までの独身者向けに造られた、棟がつながって立ち並んでいた北側のほうが、ほんとうの入り口だったのだろう。
確かに、駅から歩いてくれば、最初に足を踏み入れる団地の敷地はそちらになる。
その入り口に近いところに、クリスマスになると飾りつけがされる大きな木が植わっていて、
そして、その木の道路をはさんだ向かい側には、団地の人たちのための集会所があった。
平屋の建物で、もしかすると、自治会などを行うために建てられたところだったのかもしれないが、
そこでも、折りにふれ、いろいろな催しものが行われた。
年に1回は、子どものための子ども会をして、お芝居を上演してくれたし、
子ども会に行くと必ず、お菓子の詰め合わせの入ったビニール袋をもらえるのがうれしかった。
それからある頃から年に何度か、「中国物産展」と称して、中国の産物の販売会もするようになった。
友だちと連れ立って、少ないお小遣いを握り締めてそれを見に行くのも楽しみだった。
食品のほか、きれいな中国製の小物がいっぱい売られていて、
中でも透けるように薄い乳白色の生地に、美しい鳥が描かれたデザインのうちわが私はとても気に入り、
カワセミのように嘴の長い、青い鳥が描いてあるものを、1枚買った。
それだけでは飽き足らず、また別の機会に行った際に、ウグイスのような黄緑色の鳥が描かれたうちわも、もう1枚買った。
どちらもとても大切にして、使わずに取っておいたのだけれど、そうやって使わないまま長年のうちに傷んで破れてしまった。
中国物産展についてはほかにも思い出せることがある。
ある時、友だちといっしょに会場をあれこれ見て回っていたら、
お菓子売り場のおじさんが、セロハン包みにした棗の山からす早く小さなスコップで棗をすくい上げ、ざらざらと紙袋に入れて笑顔といっしょに私たちに差し出してくれたのだ。
まるで、しぃっとでもいうように、唇に指を当てながら。
面食らったが、くれたんだろうと思って、私たちは黙ってそのまま受け取った。
ろくにお礼も言わなかったような気もする。
たぶん、中国の人だったのだろう、向こうも一言も言葉を発さなかったから。
それから、これもある頃から大人のために俳句の練習会を催すようになり、
母が夜になると俳句をしに、集会所に出かけていくことがあるようになった。
団地には猫がいっぱいいて、夕暮れになるとあちこちから集まってきて、ひとところにうずくまって謎の集会をしていた。
私には、母もそんな集まりに出かける猫の一匹になったかのように見えた。
今では、「大谷戸(おおやと)さくら緑地」と名づけられているあたりで、
そこは現在では公園になっていて、腰を下ろせそうに大きな石が、観賞用なのか、草むらのあちこちに置かれている。
集会所は跡形もなくなってしまったけれど、団地の人たちのみならず、近隣の人たちのための、空に開けた憩いの場となっているようだ。
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