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『青のパンドラ』第7回目――「大きく息を吸って」――

そろそろ続きが出るはずだから、なにも言わないでおいたけれど、
やっぱり第7回目について言っておこうかなあ、という程度の気持ちで書く。

話は少し進んだ気がした。

というのは、ようやくバリーが眠れる男――フォンティーン――の前にたどり着いたからで、
それでほんとうに彼がどうするのはか知らないが、
ポーの村が壊滅するだのなんだのといった一大事にかかわる物事だけは進むことになる。

しかし、問題はアランが人間に戻ってしまったことだ。

そして、それに対するエドガーの言い草だ。

「きみが人間のままなら… …もう…僕らとは暮らせない」

どういうこと!? と面食らって聞き返すアランに、

「だってそうだろう ありえないだろう
――人間は"食料"だ "食料"と暮らすなんてありえない」

なんという短絡思考! 四角四面のトントンチキ! 
これが、一つ前の号では、
アランが復活した喜びに、錯乱したのかと思うほど笑いながらベッドの上を転げ回って、

「(きみの)ツメが青いくらいなんだ! きみは目を覚ました 起きあがってしゃべってる 髪もある! 手もある!」

と感激していた男と同じとはとても思えない。

もし、その時と同じ気持ちをエドガーが持ち続けていたら、

「きみが人間になったぐらいなんだ!」

と言って、ふたたびアランをぎゅっと抱きしめるはずでしょう?

だいいち、人間(元・人間を含む)は、これまでだって食料と平然と暮らしてきたんだよね。
豚だの鶏だのといった家畜に、大きくおなりー、と餌をやって、
育て続けたあげくに、ばっさりと殺して食べてしまう。
そんなことは、生きていくうえで普通にやってきたことなんだ
(その是非について、ここで問う気はないので悪しからず)。

登場人物の言動に一貫性がないどころか、
人格まで統合性があるのか疑わしく、
こんな硬直した思考法の男、エドガーを主人公にして、この先どう話を進めていくのかといった気がした。

そしてこれを書こうとして読み直してみて、初めて気づいたのだけれど、
この第7回目には、「大きく息を吸って」というタイトルがつけられているのだった。

これは誰に向けての言葉なのだろうか、アラン? エドガー?
アランは大きく息を吸ってもいいことなんかない、息を吸ったがためにエドガーに捨てられようとしているのだから。
そしてエドガーは、仮に大きく息を吸って落ち着こうとしても、バンパネラなので呼吸をしていないから、息を吸いようがない。

息を吸ったところで――吸おうとしたところで――誰にもなんの救いにもならないのに、空しく投げかけられたタイトルだと思った。

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