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ポーの一族『青のパンドラ』第9回目の2と3――愛も感じられぬ

<flowers>の8月号に載った、9回目の2があまりに中身がなかったので、なにも書かないでおいたが、
二月待たせた最新号である10月号でも、見開きの表紙を含めて14ページしかなく、
かつ、「つづく」という文字はかろうじて最終ページの下にあっても、
その前、あるいはその後に、肝心の「○○月号に」がなかったので、
これはもう続きをいつまでに描く、という約束をできなかったんだな、と思い、
この話の続きがいつ載るのかがほんとうにわからないので、とりあえずここで2と3について少々書いておく(長い前置きであった)。

第9回目は「ヨーク・ロイヤル・ダイヤモンドホテル」と名づけられ、
少しずつしか描けないようなので、そのタイトルで、1、2、3(正確に言うと、01、Ⅱ、Ⅲ)と分断して短いページ数ながらもここまで続けてきたが、
その2は、ムダな話ばかりに見えた。

チェリーのスコーンだの、リストのピアノ曲だの、バレエの『ライモンダ』だの、シルヴィ・ギエムだの、作者のイギリス趣味とバレエ趣味と、つけ加えれば母親との確執の歴史をにおわせているだけのようだった。

もちろん人によれば、ホテルのレストランでのアフタヌーンティーのシーンを、すてきだと思うこともあるだろう。
でも、私個人に限っては、チェリーのスコーンだろうが、いちじくのスコーン(思いつき)だろうがなんでもいい。話をごちゃごちゃさせるだけだ。「プロビデンスの目」のペンダントも、この先、話の中で有効に使えるのでなければどうでもいい。

しかも、せりふがいくつも間違っていた。

「ダフネーはねェ かわいくないのよ骨っぽくて」というお母さんのせりふは、
ダフネー→ギエム、の間違いだろうし、
そのすぐ次のページの、
「ダフネー! あんた娘にそんなものを」という、やはりお母さんの小言も、
ダフネー→ライナー、の間違いだろう。

何度も書くけれど、こういうことは担当編集者さんがしっかりしていないといけない。

そして、頭が錯乱しているはずのアルゴスは、いつの間にかいやに落ち着いて、策略も練れそうな頭の回る男に変わってしまっているし、
寡黙なキャラクターで登場したはずのオリオンも、今ではすっかり普通にしゃべれる男になっている。

続いて最新号の3となると、もはや表紙のアオリから間違っていて、
アルゴスとするべきところが、「アラゴン」になっていた。
アラゴンって誰よ……これにはもう、ほんとうにげんなりした。

これは作者のミスではなく、担当さんのミスだが、校正を入れていないのだろうか。

ついでに言うと、たまたま気づいたのだけれど、枠外の登場人物紹介のところも間違っていた。
オリオンが、「一族のひとり」とされていたが、オリオンはシスターベルナドットの孫ということになっているので、ポーの一族ではない。ルチオの一族だ。担当さんは作品をちゃんと読んでいないのだろうか。

内容に関しては、まったくかつてのファンタジックな『ポーの一族』とは違った。

人間に戻ったアランに、今後は食っていく手段を考えなければいけない、とさとすエドガーだが
(この再開『ポーの一族』では、以前から、"食う、食う"とエドガーに言わせているけれど、
上流階級出身じゃなかったのか? 貴族の気品はどこに行ったんだろう)、
まずどこかに勤めるためには、「身分証明書」が必要だ、と言う。

普通、そんなところから心配するだろうか……生きていくにはいろんな方法がある。
たぶん、今の世の中だって身分証明書なんて持っていない人はいくらでもいる。
そして、どこかに雇われなくても、人間は仕事を選ばなければ働いて食べていくことができる。

次にエドガーは、マリアとアイザックに今後のことを相談しなければならない、ともアランに向かって言うが、
二人とも以前、人間に戻ったアランは殺すしかないだの、さもなくば記憶を消してしまえだの乱暴なことを言っていた人たちだ。
そんな相手に相談してなんのかいがあるだろうか。

確かに、現実的な対処はこの二人はお得意のようだけれど、相談するなら、むしろ現在は村長を務めているシルバーでは?
あるいは、8回目でいきなりポーの村が議会制ということになっていたから、会議にかけるべきでは?
土地としての村が壊滅しても、シルバーに統率力がある限り、制度自体はまだ崩壊してはいないだろう。あ、それより、そもそもアランは村に受け入れられてはいなかったか……。

さらにはエドガーは、
「生殺与奪って言葉知ってるか!?
 彼ら(注・マリアとアイザック)は君に対してそういう法を持っているんだ!!」
と、アランにたたみかけるが、
いや、持っていないと思う、一族の統率者でも、法律を制定する人たちでもなさそうなんで。
それを言うなら、その権利がありそうなのは一族の長である大老(キング)ポーのみだ。

どうして作者は、エドガーにこんなことを言わせたいのだろうか。
生殺与奪だなんてあまりにもとっぴ過ぎる。
「彼らは君が生き抜くための知恵を持っているんだ!!」
なら、まだわかるけど、なぜアランが生きるも死ぬも、突然マリアとアイザックしだいということになっているのか?
しかも、上から目線の者にも、いやでも従え?
時間からも、社会的規範からも自由に生きてきた(はずの――再開『ポーの一族』からまったくそういうことではなくなっているが――)バンパネラの言うことではないね。

元々、設定に無理があり、作中でもなにかと辻褄が合わない『青のパンドラ』だが、言っていることが「現実的」過ぎるのを超えて、もはや「理に合わな」過ぎる。

やはり作者がきちんと考えて、この物語を紡いでいるようには残念ながらとても見えない。
もちろん、作者の年齢を考えると、
気力、体力などを維持して、作品を描き続けるのは生やさしいことではないことは推察できるのだけれど、
作者にとっては『ポーの一族』は出世作であり、とても大切で、大事な作品のはず。
その大事なはずの作品をおろそかにしているようで、読んでいるこちらもじりじりしてくるし、
とりわけ『青のパンドラ』からは、作者自身の作品に対する愛が感じられないのだった。

最後に、オリオンがアランを連れ去ろうとするところで、3は「つづく」になったが、
オリオンは、ベニスから現実の川をたどってイギリスに来たようなことを、7回目で言っていたのに、
今回は、「影の川」をたどって帰ろうとしている。
まあそのほうが、もっともらしいとは思うものの、エドガーもその7回目で言ったのとまったく反対のことをアランに向かって最後に言い出すし、作者がこの話をどう持っていきたいのかがさっぱりわからない。

思うに、こう遅筆で、こう話に一貫性がないと、『青のパンドラ』は完結しないのではないだろうか。

仮に完結させるにしても、これまでに張ってきた伏線を回収することはもうやめて、
とりあえず、フォンティーンとキングポーのみ対決させて
(だが、ほんとうはフォンティーンとバリーとの間に向き合わなければならない問題がある)、
その後は、やっぱりエドガーとアランは永遠に時を旅する少年でした、ということにするのが、一番収まりがよさそうな気がする。

そうしてもう、『ポーの一族』は「封印」したほうが賢明だろう。

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