津島ひたち『風のたまり場』感想|最強の新人賞ハック作品だと思う。
松たかコンヌです。
今回は、第三十六回歌壇賞受賞作である、津島ひたち『風のたまり場』を読んだのでその感想を残していきます。
なお、色々とフィードバックを頂いた結果、「もっと話し言葉で書いていいんじゃない?」と言われたので、以降の文章は砕けた文章で書きます。次の記事では変わるかもしれません。
今回も例によって僕の意見に過ぎないので、なにか意見がある方は自分の記事内で意見の発信をよろしくお願いいたします……。リンク送っていただければ絶対に読みます。
では、本題に入っていきたいと思います。
津島ひたち『風のたまり場』は超完璧な新人賞ハック連作だ。
『風のたまり場』は、ものすごく優れた新人賞ハック連作だと思う。
以下、審査員のコメントを引用する。
新人賞はどこかでやはり、青春なら青春の自画像の共感度の高いものをなるべく選びたい気がします。
上記は、座談会終盤の三枝昴之の発言だ。この言葉に『風のたまり場』が新人賞ハックを完璧に行ったと言い切れる所以が詰まっている。
もちろん、技術はめちゃくちゃ優れていて、短歌も美しいと思う。(本当にすごい)だが、もっともすごいと感じるのはやはり「誰が自分の短歌を評価するのか?」という点をしっかり考えて連作を作っているところだ。
まずは『風のたまり場』の構成を整理する。
津島ひたち『風のたまり場』の構成の整理
『風のたまり場』の構成は、以下のようになっている。
1.室内パート(1~10首目)
2.移動パート(11~18首目)
3.回想パート(19~29首目)
4.エンディング(30首目)
状況を理解するために詩性を削ってまとめると、「昼頃に起きて公園で妄想のオーボエを吹く」というストーリーだと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1738516352-Q2b4AljLwfIs1tVqh7vcRpxd.png?width=1200)
室内パートではかなり首数をかけて自分自身を説明しているように見えるが、移動パートでは回想パートへの前フリとして19首目までかなりゆったりとぼんやり移動しているようにみえる。移動パートは、19首目まで物事を観察して出しているだけで全く元気がない。
回想パートではオーボエを妄想で吹きながら(あるいは回想しながら)、29首目で回想が終わり、30首目でエンディングのような余韻を残す短歌を置いているという構成になっている。
29首目を回想の終わりとしているのはスカートのランディングという言い回しからスカートがふわりと着地した=座ったと認識したため。
『風のたまり場』は場面転換がしっかりと計算されている連作だ
構成を整理するとわかるのだが、風のたまり場は構成がしっかりと計算されて分けられている連作である。
この短歌が場面の切り替わりである、という提示をしっかりと行ってくれているので、詠む側はすんなり受け入れられるな、と思う。
個人的に、まだまだ短歌を詠み始めて日が浅いので、このように詩形の形でも場面をエンターテイメントや物語のようにしっかりと切り替えてくれる連作はなんだかありがたい。わかりやすいから……。ひょっとしてわかりやすいほうがいいということの示唆……?と思ってしまった。
ここからざっくりとそれぞれのパートについて思ったことを書いていく。
室内パートのダウナーパートに見える丁寧さと乱暴さのバランスが面白い
室内パートは、めちゃめちゃダウナーで面白い。一首引く。
足裏をフローリングにすべらせてほとんど歩かないで進んだ
これとか、映像的に見たらなんかSyrup16gに憧れたバンドのPVの映像っぽい。絶対パジャマ着てるし。いや、ずっとパジャマを着ているようには感じるんだけど、なんだかめちゃくちゃ青さを感じる。こういう感じなるよね、という意味で。
本当に部屋を出て階段を降りるまではめちゃくちゃスローだ。「学校は昼だと思いつつ~」と言っているからおそらく休んでいるんだと思うが、(一首目も休んでいることを示唆しているようにみえる)でもこの部屋の中のあらゆるものがしっかりと目に映るダウナーな感じは二、三ヶ月引きこもっているときのようにも感じる。解釈を完全に委ねてきているのが面白い。
あと、このパートだけではないのだが、連作を通して全体的に『この描写の時間軸』はわかるのだが、『この苦しみの時間軸』はよくわからなかった。
それが一番現れているのがこの室内パートで、そこのぐちゃぐちゃさがすごく面白い。室内パートは説明したように、目覚めから外に出るまでを執拗なまでにたっぷりと時間を使って描いている。一方でオーボエをやめた理由を「銀賞」の二文字だけで押し通しているのがめちゃくちゃ面白い。そこに主体があるのに。わかるだろ?って言われてるみたいでパワフルだ。
一方で階段を降りてから外に出るまでは一回キッチン寄ったのかな?ぐらいのスピードで速攻で進むのと、右半身で押して開ける扉はどうしても「換気扇が強めに回っていてなかなかあかないマンションのワンルーム」を想起してしまって、この一人称の人物の一人暮らし感が急に増してしまったことの二点だけ気になった。この連作はしばしば実体験なのかフィクションなのかわからなくなる描写が存在する点が、新人賞を取るための連作なんだという印象をすごく感じさせた。(ガチの詩性ではやらないと思うから)
移動パートの疑問
何度考えてもちょっとわからないのは何の原動力が主人公(ちょっと分かりづらくなるのでここからは主人公と書きます)を外に出したのかがわからない。ストンストン、って感じでテンポよく外に出たからびっくりした。なので「こいつそれわかってねーんだな」って前提で読んでほしい。連作における機能だろ、みたいな話は無しね。
移動パートは目に映るものをスルーしながら目的地まで向かっているような印象だ。目的地というのは「家から公園のベンチまで」のような「ある地点から地点への移動」を指しているのではなく、ある種「連作の機能として無気質な自分が空想のオーボエを吹く」という行為へと向かって思考の電車で進んでいっているような印象だ。
なので、読み手は「こいつは今公園に移動したんだな」というふうに受け取るが、実際は「ダウナー感のある主人公がオーボエを吹く」というという思考的移動を受け取っている。伝わるか?
![](https://assets.st-note.com/img/1738516440-vQciP6kBjzSYR5lUnKEs1D80.png?width=1200)
図にしてみたけど、この物理的移動と思わせておいて、思考的移動――つまり意識の移動をさせてるなあという感じがたまらなくかっこいいなと思ったのがこの移動パートだった。マジでうますぎ。
だからオーボエを吹くところまで動くまでの間の移動は正直どんな移動でも良かったのかもしれない。座る描写だけは必要な気がするけど。
一首このパートで気になった短歌を紹介させてほしい。
しば犬が飛び出してきた戸口から上裸の男の人が出てくる
これはめっちゃ遊び心の短歌だと思った。めちゃくちゃ遊びだなと思って次の首で羽織物を脱ぐので、なんだか楽しそうじゃん、って一瞬思ってしまった。柴犬をしば犬としているところとか柴犬出てきて上裸の男の人も出てくるところとか、サザエさんっぽいし、なんだかここには「津島ひたち」という人が顔をのぞかせてる感じがして、すごいよかった。
そして回想パートですね。
回想パートの激しいラッシュ攻撃
回想パートの回想しているなー感すごい。とにかく曲のように畳み掛けてくる。これって本当に公園でやってたら結構面白いなあと思って読んでいたけど、とにかく読み手の想像や思考をどんどんリンクさせていきながら、これが今の姿なのかかつての回想の姿なのかわからなくさせるのがすごいと思う。一首引く。
制服でいちばん汗に濡れていた部分に風がシャワーみたいに
これは「今」じゃなくても回想でもどちらでも受け取れると思うんだけど、なんかパッと見た感じ主人公が制服を着ているように見える。めちゃくちゃ青春だ。この後の短歌も部活中って感じがすごい。
曲を聞きながら、映像がラッシュで流れてくるみたいに、さっきまでダウナーだったのにめちゃめちゃ激しく脳が動かされる。この脳の揺さぶりをするためにこの構造にしているんだろうなと思うけど、すごいうまいなと思う。
このパートの終わりの短歌も紹介させてください。
ひざまずくひとの動作にワンテンポ遅れてスカートのランディング
これは曲が終わったときに人がお礼をしたりするのに遅れてスカートがはためいているような動きの絵を想像した。ランディングとはおそらく着地のことを指していると思う。ラストにも繋がるし。
ただめっちゃ気になるのはオーボエを外で吹く絵が思い浮かばなくて(痛むから)、夏の公園でなんで吹いてるんだろうと思ったら、このパートの頭でも語ったけれど結構面白い。「この連作は風景の描写もあるけど最初から最後まで自分の中だけで話が完結している」ということがすごく現れている。でも、この「ちょっと嘘くさいな」感を脳に飛び込んでくるラッシュで押し切ってくる感じが強引で静かな迫力を感じる。そして青春感も感じる。『響け!ユーフォニアム』感も感じる。フィクションと現実の境目感があるのがすごく面白かった。
ラストの一首は残響のように残る感じが個人的には好き。しば犬の短歌を除いたらこの短歌が一番好きかもしれない。まだ読んでない人はぜひ歌壇を買ってほしい。
津島ひたち『風のたまり場』感想まとめ
『風のたまり場』はやはり、新人賞ハック作品だと思う。年齢がわかる以上若さの息吹が感じられる方がいいのかもしれないし、それをよくわかっててやっていると思う。
なぜなら読み手、言い切ってしまえば審査員を意識してハックするように連作を作っているように見えるからだ。何が刺さるのか、受賞するうえで最後の決め手として何が必要なのかということをよく考えている連作だと思う。
例えば、水原紫苑が座談会で言っていた「なんでオーボエをやめたかわからない」という発言も、「そこは重要じゃないから押し切ることができる」と思って二文字で処理しているように感じる。水原先生、僕も何故かわからないけどオーボエやめた理由は正直めっちゃ引っかかったよ。でも、関係ないんだと思う。それは連作を読むということにおいてはという意味で。
多分僕らがそこについて思ってしまったのは「ここまで短い時間軸をしっかり描写しているからこそ、その背景はなんでなのかが確定的でない」ということへの読み手の不安なような気がする。だからそれは僕らに問題があるのであって、この作品には関係がない。もしそういった点を強く重視する選者で構成されているのであれば、それを変えてきたかもしれない。でも実際座談会はそんなに連作そのものに対して深ぼっているようには見えないから、津島ひたちは「いらない!」って判断したんだと思う。完全にハックされている。令和ロマンみたいだ。
選ばれるためにはどうしたらよいか、ということを考えて削ぎ落とすところは落として、詩形と別のアプローチでも戦うところはめちゃくちゃかっこいいと思った。新人賞を出している人は必読の連作だと思う。
個人的には短歌研究に出されていた作品も好きだったし、これからのご活躍がめちゃくちゃ楽しみです。
ありがとうございました。