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広がる虚言の波

虚言癖が振りまく印象操作がじわじわと広がっている。

事実と真逆のことを他人に吹き込み洗脳してゆく様は、さながら病原菌が増殖する過程を見せられているようだ。

よくもデタラメをドヤ顔で撒き散らせるものである。
虚言癖の連中には恥も外聞も無いのだろう。
だからこそ虚言癖なのだろうが。

恥も外聞も無いくせに、ある種のプライドの高さはこじらせているから虚言癖が熟成されていくのだろうか。

馬鹿馬鹿しさと苛立ちで上手く頭がまとまらない。
何を書くかも決めていないが、何かしていたいので記事を書くことにした。

低次元すぎるがゆえに諦めが先行しているので、感情的な苛立ちはない。
しかし、頭の整理が必要だ。

なにゆえこのような化け物が生まれてしまうのか、頭がグルグルしていることへの苛立ちがある。

化け物が生まれる理由も分かるし、なぜそのような行動を取るのかも理解はできるのだが。

なぜこのようなバケモンみたいな世界観の下に生を受けてしまったのかという壮大な苛立ちがある。
壮大すぎて解決しようがない。

なぜこんな虚言癖だらけの生き物がトップに君臨してしまったのか。
虚言癖が勝るシステムになってしまっているのか。

なにより自分にも虚言を弄して発展してきた人類の血が流れていると思うとひたすらに気持ち悪い。

あれらと俺は同じ生き物なのかと。
これはもう生物的な嫌悪である。
生理的に無理というやつだ。

虚言癖とコミュニケーションを取ること自体はさほど不快ではないのだが。
低レベルな虚言癖に人権が認められていることに腹が立つ。

やはり誰彼構わず人権を与えるべきではない。
虚言癖はずっと檻に閉じ込めておけばよいだろう。
とはいえ虚言癖が社会システム作ってたりするからこの世は救えない。

あらゆる人が皆目の前のウサギのように素直な生き物だったらどれほど話が早いだろうか。
裏切りも嘘も必要なくなるではないか。

それともこのウサギも実は嘘をついていたりするのだろうか?
素直に見える行動にも演技があったりして。

結局はみんな嘘つきなのは避けられない。
社会も人も嘘で構築されてる。

なんぼ命が大事だの言ったって何かの命を奪うことを肯定しているから生きている。
命が大事なんてのがそもそも嘘であることが分かる。

殺して食べてるくせに命大事とか言ってる時点で世界からして嘘つきだ。
実際は人含めて命は軽い。

嘘から生まれた世界の中で正直なつもりで生きることができることは貴重なのかもしれない。
正直なことか当たり前ではない。
それは建前で、本来は嘘つきが自然な姿なのだろう。

なるべく正直に素直に生きようという試みすらも大いなる嘘の一瞬なのだろう。

嘘から逃れられない運命から逃れるための嘘として正直なフリをしているに過ぎないのだ。

結局のところ虚言癖も正直者も嘘つきという点で同類である。

そのように納得でもしないと虚言癖への不快感にケリをつけることができない。

正直者と虚言癖の違いはプライドの置き所だろう。

正直者は自分や人に嘘をつかないことで誠実性を保つ。
正直というのは通貨に等しいのではないか。

嘘だらけの世界の中では何も取り引きできない。
互いに正直であるという信用があることでようやく取り引きが成り立つ。

通貨は信用であって、その信用は正直であるという互いへの信頼感から生まれるのだから、正直という通貨をトレードしていると考えてもいいだよう。

互いに正直であることで信用取引のルートを確保する努力をする。
それが誠実性だと考えるのが正直者の特徴ではないだろうか。

他者とのコミュニケーションを取るにあたり、互いに気持ちよく過ごせることを意識した誠実さをもつのが正直者だと思う。

一方で、虚言癖の誠実性は他者を考慮しない。

実は、虚言癖にも虚言癖なりの誠実性があると思う。

虚言癖が重視する誠実性は「自信」である。

自信を失ってしまうと自我が崩壊してしまうから、なけなしのプライドを守るために己の自信を保つことに対して誠実であろうとする。

他者を裏切ろうが迷惑をかけようが自分さえ満たされればいいという利己的な欲求。
逆に言えば、どんなに他者を満たそうが自分の自信が揺らぐとすぐに崩壊してしまう心の弱さ。

他者との関係性よりも自信を保つことの比重が大きい人間が、自らに対する誠実性を示すために虚言癖となるのだろう。

他人を自慰の道具に使い、どこまでも信用を失おうが自己への承認欲求のみを優先する。
そうしないと不安で生きていけない。
そんな弱い人間が開き直って虚言癖となるのである。

要は心が強いか弱いかの違いだろう。

正直者の誠実性は他者に向けられるわけだから、自らが社会の一員であることを自覚している。

他者あっての自分であることが分かるから、他者に対して誠実であろうとする。

自分1人だけでは世界は完結しない。
そう認めることは勇気のいることだ。

そういった勇気の持てない人間が虚言癖になる。
自分を囲う檻を強化するためだけに誠実性を浪費する。

外の世界と交わる勇気がないから虚言に頼る。
実に哀れだ。

晴れて虚言癖のコミュニティに仲間入りした彼も、どこかで精神が崩壊してしまったのだろう。

外の世界に橋をかけたいという野望とは裏腹に、小さい心が耐えきれなかったのだ。
彼は橋の建築を放棄し、自らの檻に閉じこもってしまった。

檻に閉じこもるだけならまだしも、虚言を正当化して檻を補強しまくる始末である。

彼が自らの檻から出られなくなるほどまでに檻の強度は高くなってしまっているだろう。
最早他人はもちろん、彼自身も彼を救い出すことは容易ではない。

僕は彼らを檻から救い出すことは諦めようと思う。
精神崩壊に待ったをかけるために、なけなしの素材で作ったギリギリの檻なのだろうから。

素材が不足した時、虚言癖共は他人の体を削って素材を調達しようとする。

僕や仲間が略取されそうになったら抵抗すればいい。
我々はお前らの弱い心を補強するための素材でもなければ餌でもないと。

正直者はみんな弱い自分を守るために人と手を取り合ってる。
信用を拡大して補い合ってる。

みんなは虚言癖の弱さを埋めるための餌になるために生きてるわけじゃない。

虚言癖が侵略してくるなら檻ごと壊してやればいい。
結果、精神が崩壊しようが知ったことではない。

自分や仲間が檻作りの餌食になる様を見過ごすくらいなら、僕は檻を破壊しよう。

僕達は嘘だらけの世界の中で、檻を作るよりも交易ルートを確保するためにリソースを割いて頑張ってるんだ。

なんで僕らが虚言癖のコンプレックスを埋めるための餌にならなくてはいけないんだ。

それこそ不公平だろ?

人を餌にしていいのは自らが誰かの餌になってやったやつだけだろう。
一方的に餌を求めるなんて贅沢だ。

虚言癖が正直者を餌にするなら、僕は虚言癖を餌にすることにするよ。

俺の餌にされたくない虚言癖は、正直者の住処を荒らさない努力をするようになるだろう。

そういった抑止力の作り方をさせてもらう。

頭がまとまったのでこのへんで。



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