愚者の道と賢者の道~竹中平蔵は悪なのか~
竹中平蔵を擁護する動画を出した際に、批判のコメントを頂きました。
考えているうちに興味深くなってきてしまい、愚者・賢者の道などという壮大な内容の返信となってしまいました。
思いのほか長文になったので、せっかく考えて書いた内容をコメント返信だけで終わらせるにはもったいないなーと思ったので、ここにもまとめておきます。
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【批判要約】
竹中平蔵は政治に入り込み、自らと関係の深い会社や権力者に利権をもたらす行為をしている商売人だ。
民間企業では会社の利益になるように考えて動くのは当然だが、政治に関わる人が自らの利益になるような社会構造を優先して作っていった状況を認められない。
政府や政策の立場では、民間とは異なる視点をもち、国益・公平性・国家の繁栄などをについて考えるべき。
そうした政策のなかに竹中平蔵は入り込んで、海外の状況を例に出して、商売人気質で自分たちへの利益誘導をしてきた。
それが新自由主義の裏側だと考えている。
そこに先見性とか社会の公平性というのを絡めて語ることは愚かではないか?
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頂いたコメントは上記のような内容です。
僕が「非正規雇用を導入した竹中平蔵は先見の明がある!(ドンッ」って感じの動画を出したんだと思います。
説明は割愛しますが、個人的には非正規雇用は必要なシステムだったと考えています。
しかし、商売人として利権を貪る人間に対する怒りはもっともだとも思いましたので、興味深く考えさせていただきました。
僕自身、竹中平蔵に関しては「非正規雇用をもたらして叩かれてる人」程度の認識しかなく、彼が実際に「自らの利権優先で政治を貪る商売人」にあたるかは知りませんが、この方は色々知った上で書いてそうだなと思いました。
僕も竹中平蔵の全てを知れば「え、もっとヤバかったんだ・・・」ってなるかもしれませんが、僕の分かる範囲で返信しました。
動画などでは考えをきちんと伝えることは難しいですが、自分は日ごろからこのような考えに基づいて喋っているということが改めて整理できたと思っています。
参考に載せておきます。
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【返信要約】
非正規雇用は現実的に導入しなければ将来的に難しい面があったと思うので、竹中が悪だとは思いません。
国益のために仕組みを変えたついでに、自らの利権も構築したという印象です。
先行者利益が存在するのは当然で、発起人や先駆けとなった人間が得をするのは自然ですし、そうでなければ熱意をもって行動する人間は生まれません。
竹中は賢いのでその利益にブーストをかけてきただけでしょう。
僕は政治家だからといってその利益を捨てろとまでは思わないです。
国益のために個の利益を捨てろというのであれば、議員報酬も0にすべきですし、富や名声も利益となってしまうため、あらゆる政治家は匿名で政治をしろという話になるでしょう。
政治家も利益を得つつ国益を「優先」しているのであれば問題ないと思います。
非正規雇用に関しては、竹中自身は国益になると考えていたと思ってます。
本人が国益になると信じた非正規雇用を実現した上で利権をむさぼっていたのであれば、特に問題ないと感じます。
(その利権は、非正規雇用という国益の種をもたらした人間が得る正当な報酬であると考えるからです。国益にならない方向に進んでしまったというのが世論のようですが。)
賢者(竹中ら)が利権で固まるのは仕方がないことです。
利己的な動機に基づく意見であっても、説得力があれば社会はそれを受け入れます。
それを僻んだ愚者は暴れて抵抗しますが、賢者はそれに対する防衛行動として更に強固な利権を築きます。
自らの思惑とは裏腹に、賢者の利権を強化してしまう戦い方をするのが愚者の特徴です。
(もしくはもっと暴れて国自体を崩壊させます)
批判をくれた方がおっしゃる通りの状況であるならば、賢者に対抗可能な別の賢者が存在しないため、利己的な商売人が闊歩する状況になっているのでしょう。
しかし、竹中のような商売人気質の人間を叩いても仕方がありません。
彼個人を潰したとて、彼と似たような商売人が台頭するだけでしょう。
商売人として有能な人間がその席に座れるということは、商売人として有能な人材を国が求めているということになります。
彼が消えても、また別の有能な商売人が空席に座るだけです。
資本主義である限り、優れた商売人が上位に立つヒエラルキー構造は変えられません。
構造から問題視しているのであれば、竹中個人ではなく資本主義自体を憎むべきです。
竹中が私腹を肥やす構造も、資本主義を受け入れてきた国民のある意味「民意」です。
ここからは対策の話です。
賢者の利権構築力を逆手に取り、彼らが作る利権を国民全体の利益に変換する機能を置くことでバランスを取ることができます。
「個人にとっての利益」=「国益」にスイッチさせてやればいいわけです。
竹中の例の場合では、「国民が非正規雇用に適応する努力」を行い、国益に変換することが可能でした。
国益を求めるのは国民なので、国益を得るための努力は国民がしなくてはなりません。
いずれは誰かがもたらさなければいけなかった非正規雇用を竹中平蔵が国家の代表としてもたらしてくれたのであれば、それに適応する努力は国民側の責務でした。
どうしても非正規雇用が嫌であれば、非正規雇用に頼らない形で国を導く政治家なりを育てる努力をすべきでした。
この努力を行うことが賢者の道であり、全ての責任を竹中に押し付けて喚いている連中は愚者の道を進んでいます。
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以上が僕が返信した内容の要約です。
ロスジェネで例えるならば、ロストされてから騒いでいる者は愚者です。
賢者であればロストする前から騒ぐべきだったということです。
親が賢ければロスジェネが生まれることも無かったのだから、親の世代が愚かだったということです。
今を生きる我々も同様に、今後愚かな親として子孫をロストする可能性があります。
子孫から愚痴を言われないためにも、未来のことを含めて考えることができる賢い親を目指さなくてはいけません。
また、ロストされてしまった子供も、親の文句を言って未来が改善されるわけではありません。
改善されないことが分かっているのに愚痴を続けるのであれば、その子供も愚かでしょう。
ロストされた過去を取り返すために前を向いて進む賢い子供にならなくてはいけません。
賢者の道は今と未来を考え進む道です。
過去の産物に対して愚痴る行為は、文字通り愚者の道というわけです。
非常にシンプルだと思いませんか?
竹中平蔵が実際どのような人間なのかは僕にも知る由もありませんし、よく分からない人間に優しくしろと言う気もありません。
僕ものちに彼のアンチになる可能性だってありますから。
しかし、今回述べた考え方(賢者・愚者の道)に関しては広く浸透してほしいです。
これを当たり前に皆が目指せる社会になれば、数段良い未来が訪れると思います。
自分が負うべき責任と、向き先を知ることが重要だと考えています。
他責思考で間違った方向に努力しても空回りします。
自己責任で正しい方向の努力をすることを心がける人が増えたらいいと思います。
他責の言い訳として「自己責任だろ!」と言ってくる人もいるので、自己責任という言葉自体を信奉するのはやめましょう。
まだまだ書きたいことが出てきてしまいますが、今回はこのへんにしておこうと思います。
ありがとうございました。