〔短編〕報い(中編)
(中編)麻森家の内乱1
麻森家はこの集落一の金持ちで、その大半は先日亡くなった家長の麻森巌が築いたものだ。父親から受け継いだ小さな土建屋を、県でも有数の会社にまで育てた。が、そのやり方は強引で情に欠け、時には恩を仇で返すようなこともあったらしい。先代に当たる巌の父は、いつも穏やかで情に厚く、人望もあったと言うのに、巌は真逆のような男だった。
巌は家族に対しても、同じような態度だったそうだ。巌のやり方を諫めようとした父を馬鹿にし、父子の間に立とうとした母をも見下した。取引先の娘とお見合い結婚したものの、最初から妻は便利な家政婦扱い。更に二人の息子たちは、今ではもう片腕として働いているというのに、忠実な僕でいることばかりを強要していた。
「俺に口答えするな!百年早いわ!」
が口癖だったと言う。会社でも家でも、周囲の皆が巌の顔色をうかがい、ビクビクしながら過ごしていることは、この集落の者なら誰でも知っていた。
「あれだけやりたい放題しとったら、みんな亡くなってホッとしただろうに。何で本人だけ、そんなことも分からんかったんやろ」
白い犬は翔の横で座ると、優しく彼の顔を見上げ、軽やかな母の声で話している。
「まあ、巌さんは自信過剰やったから。お山の大将みたいなもんで、いつまでもみんなが言うこと聞いてくれると思い込んどったんやなあ。そんな訳、あるはず無いのに」
キジトラの猫は犬の隣で香箱座りをし、落ち着いた父の声で、ゆっくりそう言った。
ここ甜庄村には、村人以外に決して知られてはならない、大きな秘密がある。どういう訳か昔からこの村の住人は、亡くなって四十九日を過ぎると、人以外の動物に生まれ変わって帰ってくるのだ。その姿は誰にでも見えるが、触れようとして手を伸ばしても空を切るばかりで、手触りや温もりを感じることは出来ない。いくら見た目はハッキリしていても、実体ではないのだから当然なのかも知れないが。
帰ってくる時は犬や猫が多いが、中にはフクロウや雀、狸などになる者もいる。亡くなった本人の望む姿に近いそうだから、考え方も好みもそれぞれと言うことだろう。
彼らは家族が相手なら話も出来るが、家族以外の他人には動物の鳴き声にしか聞こえない。ただ、転生した者同士は、触れあうことは出来ないが言葉は通じるので、いろいろな情報交換が行われているという。翔の両親が麻森家の出来事に詳しいのも、そのネットワークからの情報なのだろう。
そして帰って来ても、ここにいられるのは短くて半年弱、どんなに長くても5年ほど。期間がまちまちな理由は誰も知らないが、その間に家族とゆっくり話し、お互いに別れの準備をしていく。やがて永遠に消えてしまう日までに、伝えたかったことを伝え合い、残された者が前を向いて生きていけるよう猶予を貰う。それは、この土地の神様が与えてくれる時間なのかも知れないと、翔は思っている。
翔の父は3年前、たまたま仕事で街へ出ていて、そこで交通事故に巻き込まれて亡くなった。慌ただしい葬儀の後、四十九日を過ぎて父が猫になって帰ってきたときは、母と驚いたものだ。どちらかというと寡黙で真面目な父だったから、二人とも何となく犬だろうと思い込んでいたから。心の中ではもっと気ままに生きてみたいと、父は思っていたのだろうか。猫になった父は、生前よりも気楽でどこか楽しそうにも見える。
母が病で倒れたのは、それから2年後。懸命の治療のかい無く、半年前に他界した。そしてその後、母は白い犬になって帰ってきた。きれい好きで働き者の母は、まさにそんな犬のイメージだったから、翔も今度は驚くことなく受け入れられた。それから今まで、この家で1人と2匹、別れの日が来るまでの日々を静かに過ごしている。
そして麻森家の暴君、麻森巌は、灰色で長毛の大きな犬になって帰ってきた。見るからに「高そうな、怖そうな犬」だ。そこまでは翔も知っていたのだが、どうやら留守中に何かあったらしい。犬の姿の母が続けた。
「巌さんね、家に帰ったらすぐに、ダメ出ししたらしいんよ。息子さんたちには『商売のやり方が甘い』とか、奧さんには『掃除がいい加減だ』とか。あの人、自分で家事なんかしたこともない癖に、ホコリ一つ見えても許さんかったそうやから」
それは酷い。思わず顔をしかめた翔に、今度は猫の姿の父が続ける。
「生きてるときは、巌さんはそら怖かったやろ。体も声も大きいし、怒らせたら何するか分からん。身内でも平気で痛めつけかねん人やったから。けどなあ……」
父は香箱座りに飽きたのか、うーんと伸びをしてから毛繕いを始めた。それを見て、母がそっと話を引き取る。
「まずは息子さん達の反乱や。犬の言うことや分からん、って顔で、完全無視しだしたんやって。そしたらまあ、巌さん怒る怒る」
そりゃそうだろう。これまでやりたい放題やって周囲を従わせてきたのに、突然無視されたのだ。そこでおいそれと反省するようなタイプではない。
「で、奧さんに怒鳴り散らしたらしいけど、奧さん、息子さんから渡された耳栓しててな、こっちも完全無視や」
おお、そう来たか。母と息子たちは、もう準備が出来ていたのだろう。
「それだけとちゃう」
毛繕いを終えた父が続けた。
「会社は元々村の外に移転してたけどな、家族も明日にでも引っ越すらしい」
「え!?この村、出ていくん?」
翔は一瞬驚いたが、ストンと腑に落ちた。なるほど、そう言うことか。何かを悟った翔の顔を見て、父が頷く。
「そうや。生まれ変わって戻ってきても、この村は出て行けん。村から出たら、誰にも見えんし、声も聞こえん。何にも出来んから、おらんのと同じや」
母が笑いを含んだ声で続けた。
「結局、巌さんは捨てられたんよ。家族にも会社の人たちにもな。あの人は、酷いことやり過ぎたんよ」
【続く】