〔雑記帳〕読書熱はどこへ
天気のせいか、それとも歳のせいか、最近とくに活字への熱が足りない。買ってある小説を読もうという気にもならず、普段なら好きな詩を読む気力も湧かない。どうしたんだ、私。
学生の頃は、活字中毒と言えるほど「読むこと」が好きだった。買った本も、図書館で借りた本も、読まずに置いておくことなんて出来ず、寝る間を惜しんで読みふけっていた。残りページが少なくなってくると、「ああ、もうすぐ終わってしまう…」という焦燥感すら感じていたほど。
本を買う余裕が無く、図書館に行く暇も無いときは、朝一番に新聞を隅から隅まできっちり読んでいた。記事だけではなく、少し胡散臭いような広告にも突っ込みながら、だ。それでも物足りないと、移動のために乗った電車の吊り広告、街角のポスター、看板、手渡されたチラシなど、目につくものは片っ端から読み倒した。とにかく、活字に飢えている状態だったのだと思う。
それが今はどうだ。読めていない本は一向に減らず、自分が情けなくなってくる。老眼なんてただの言い訳だ。どうしても本を読みたいという、気力や気合がなさ過ぎるのだ。小説に関しては、ここ数年、段々と悪化しているような気がする。自分がこんなに活字を敬遠するようになるとは、若い頃には想像もしていなかった。
読みかけると一気に最後まで行くこともあるが、最初の数ページを読むところまでなかなか進めない。「面白そう!」と張り切って買った小説さえ、家に帰ってしまうとなかなか開けないのだ。絵本と漫画は読んでいるし、新聞も読んではいるが、もともと大好きだった小説が読めないのは淋しい。まして、最近では詩を味わう気力すら出なくなったのは悲しすぎる。何より、このまま面白い本を読まずに積んでおくだけなんて、本にも申し訳ないし、あまりにも勿体ない。
こんなにやる気が出ないのは、きっとこの気候のせいもあるはず(だと思いたい)。暑すぎる夏が終わって、涼しい風が吹くようになれば、もう一度本を手に取ってみるつもりだ。その時、詩でも小説でも、また昔のように夢中になれたなら、カラカラに枯れかけた心も潤いを取り戻せるのではないか。そうであって欲しいと、心から願っている。