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〔ショートストーリー〕小さなオルゴール

きっかけはYouTubeだった。大学で付き合いだした有香とふたり、いつものように廃墟や心霊スポットの潜入レポートを見ていると、見覚えのある建物が映った。
「あれ?これ近いよ!川沿いにある廃病院じゃん」
「あ、ほんとだ!私、夜になると真っ暗で怖いんだよね、あの辺…」
普段は強気な有香が、心底怯えたように言う。
そのYouTuberは「恐怖度5」とランク付けし、「行くなら2階まで、3階はヤバい」とか、「絶対に何も持ち帰るな」とか、いかにもという感じで動画を終える。実際、そいつは2階までしか行かず、散々躊躇った挙げ句、3階は「怖すぎて無理」だと断念していた。その動画を見て震える有香を、俺はちょっとからかいたくなってしまった。
「今夜、ここに行ってみる?」
案の定、有香は断固拒否だ。
「いや。絶対にいや。行くなら私が帰ってからにして。私は行かないから」
そんな彼女に向かって「なんだ。普段は威勢が良いのにその程度か」「ま、女子にはハードル高いか」と挑発する。負けず嫌いの彼女には、こういうのが一番効くのだ。結局、
「行くなら行けば?前までならついていってあげても良いけど、私は車から降りないから」
と、深夜のドライブが決まった。

午前1時。そろそろ出発するか、と立ち上がると、有香がげんなりしたように聞く。
「ねえ、ほんとに行くの?」
「当たり前だろ。怖くて無理なら、有香は留守番でいいぜ」
「い、行くわよ。そう言ったでしょ」
立ち上がる有香を見て、俺は内心ホッとする。あの病院、昼間でも何か薄気味悪い。医療ミスがあったとか無かったとかもめて、どんどん患者が減り、最後は院長家族が夜逃げのように姿を消したと言われている。院長家族には小学生の子どももいたそうだが、転校の手続きもしないまま消えたことも、様々な憶測を呼んだとか。
正直なところ、俺もあの病院に近付きたくはない。が、有香の手前、今さら怖いなんて言えるわけがないので、一人で行くハメになったらどうしようかと思っていたのだ。


車で20分ほど走ると、目的地に着いた。が、その荒れ果てた病院の前には、既に軽自動車が一台停まっている。俺は少し手前で車を停めて様子をうかがったが、どうやら誰も乗っていないようだ。もしかすると、先に廃病院の中に入っているのかも知れない。
「…先客かな」
「そうね…。先客もいることだし、もう今日はこのまま帰らない?」
俺も有香の言葉に乗ろうとした時、病院からバラバラと人影が走り出てきた。はっきりとは見えないが、男子大学生が4人、と言ったところか。彼らは口々に何か叫びながら、アタフタと走っている。
「おい、早く乗れ!」
「で、でも、マサトは!?」
「あいつはもう無理だ!置いていくしかない」
「そ、そんな…」
「嫌ならお前だけ残れよ!」
「や、やだよ!マサト…ごめんよ!」
4人を乗せた車は、猛スピードで隣をすり抜けていく。

「……何か、ヤバくない?」
しばらく沈黙した後、有香が囁いた。本音では俺もすぐに帰りたかったが、変なプライドがそれを邪魔する。
「いや、邪魔者が居なくなったから、これでゆっくり見て回れる」
「ちょっと!本気で言ってるの?マサトとか言う人、帰れなくなったみたいなのに?」
俺は努めて明るく笑った。
「いやいや、あれは俺たちを怖がらせるための芝居だよ」
「芝居?どういうこと?」
怪訝な顔をする有香に、俺は更に明るく言う。
「さっきの車、軽自動車だろ?男が4人も乗れば満員だよ。もともと4人しか来ていないのに、まるで5人で来たように芝居したんだよ」
「え…。でも、それって何で?」
「決まってるだろ。男4人で肝試しに来たけど何にも無くて、そこへカップルがイチャイチャしながら来たんだよ。普通に腹立って、俺らをからかおうとしただけさ」
有香は黙り込む。俺は自分の言葉にツッコミを入れたいのを、グッと堪えていた。
軽自動車に男が5人、狭いが乗れなくはないし、俺にも乗った経験がある。更に、俺たちはライトを消して停めていて、このあたりは街灯もない。あの4人が俺たちに気が付いていたかも怪しいが、更にカップルかどうかなんて分かるはずがない。有香がそこに気が付いて、俺を止めてくれれば…。だが俺の願いも虚しく、やがて彼女は渋々という風に頷いた。
「分かった。でも早く帰ってきてね。長くても20分、それ以上は警察を呼ぶから」
「け、警察?何で?!」
「だって不法侵入だから…っていうのが表向きの理由。ほんとは心配だからだよ。私も待ってるの、嫌だし」
「わ、分かったよ。20分な」
もう後へは引けない。俺はライトを手に車を降り、建物へ向かった。


廃病院の中は、ひんやりしていた。暗く不気味で、すぐに引き返したくなったが、あまりに早すぎるのはカッコ悪い。20分、とにかくそれを目安に戻ればいいんだ。そう自分に言い聞かせながら、おずおずと進んでいく。
虫の声や風の音に怯えながらも、1階と2階を歩き終えた。あと10分。3階に上がる階段の前で、俺は足を止める。
「3階、行かなくても有香にバレないよな…」
そんな考えが頭を過ったとき、3階から突然オルゴールの音が聞こえてきた。軽やかに響くその曲は、確か「エリーゼのために」。音楽に詳しくなくても、これぐらいは知っている。だが、何故こんなところで?このタイミングで?ライトを持つ手が震え、歯がカタカタ鳴る。すぐさま帰ろうとした時、若い男の声がした。
「おおい、みんなどこへ行ったんだよ…」


オルゴールと同じ、声も3階から聞こえる。俺は聞こえないふりで立ち去ろうとしたが、あまりにも弱々しい声に一瞬迷った。そこへもう一度、
「みんな、どこ行っちゃったんだよ…。俺一人なんて、怖いよ」
今にも泣き出しそうな声だった。俺はつい可哀想に思って、震える声で問いかけてしまった。
「だ、誰かいるんですか」
オルゴールの音が止まる。そして少し元気になった若い男の声。
「友だちと肝試しに来たんだけど、途中でライトが消えちゃって。そしたらみんな、叫んで逃げていって…。暗くて何も見えないんだ。ライト持ってたら、迎えに来てくれないかな」
迎えに行く?3階に?それは絶対に無理だ。あのYouTuberもダメだと言っていたじゃないか。
「手探りで降りてきてくれませんか。僕は…そちらには行けないので」
「えっ…」
少し悲しそうな、驚いたような声だったが、すぐに気を取り直したように言った。
「分かったよ。何とか行ってみる」


やがて頼りない足音が階段を降りてきたので、俺はそちらにライトを向ける。すると、大学生ぐらいの男が右手で手すりを掴んで、ゆっくりとこちらへ向かっていた。左手に何か持っているようだが、よく見えない。
「あ、ライトがあると歩きやすいよ。ありがとう!」
俺を見て、ホッとしたように微笑む。どこか気の弱そうなその男に、俺も少しホッとした。
「あの、もしかして、マサトさんですか」
男は驚いて立ち止まる。
「え?何で俺の名前…」
「さっき外で、あなたの名前を誰かが言うのを聞いたんです。その人たちは、もう車で行ってしまいましたけど」
「ええっ!ひどいなあ…誰かが引き返して助けに来てくれるの、待ってたんだけどな…」
しょんぼりした彼を放っておけず、また余計なことを言ってしまう。
「じゃあ、どこか明るい所まで、車で送りましょうか」
「ほんと!助かるよ!」
その時、彼の左手から小さな黒い箱が転がり落ち、メロディを奏でた。曲は…エリーゼのために。驚く俺の前で、彼は慌てて小さな箱を拾い上げ、ポケットに仕舞おうとする。
「あの、それは?」
「…オルゴールだよ」
さっきまでと様子が違う。俺から目を逸らし、顔にも声にも感情がない。俺は嫌な予感がした。
「そのオルゴールはどこで?」
マサトは何も答えない。俺はもう一度、さっきよりも大きな声で聞いた。
「そのオルゴールは、どこにあったんですか!」
「…3階の病室…」
ボソボソと彼は答えた。


「それはダメです。置いていきましょう」
あのYouTuberも言っていた。何も持ち帰るな、と。だがマサトは拒否した。
「嫌だ。持って帰る」
「ダメです!それを持ち帰るなら、車には乗せませんよ。歩いて帰りますか」
「そ、それは…」
マサトは一瞬口ごもった後、オルゴールを鳴らしながら突然早口で捲したてる。
「こんな誰もいない廃墟に置き去りにするなんて可哀想だろ?こんなに美しくメロディを奏でているのに。誰も聞いてくれないんだよ、ここだと!どんなに綺麗なメロディを奏でても、聞いてくれる人がいなきゃ意味ないじゃないか!どうしてみんな分かってくれないんだよ!」
その取り憑かれたような様子を見て、全身が粟立つ。さっきの男たちの声が甦った。「あいつはもう無理だ!」…
虚ろな目で捲したてるマサトと呼応するように、オルゴールの音は不自然に速くなっていき、音階まで微妙にズレていく。もうこれ以上ここにいては危険だ。俺は震えながら後ずさると、マサトを置き去りに全力で走り出した。背後では、まだ彼が熱く語る声が響いている。


車に戻ると、有香はホッとした顔で迎えてくれた。
「あと2分遅かったら、警察に電話しようと思ってたんだよ!…どうしたの?何か顔色が悪いけど…」
「と、とにかく帰ろう!話は後でするよ」
俺は慌ててエンジンをかける。良かった、1度でかかった!アクセルを踏み込もうとした時、有香の手元から軽やかなメロディが聞こえた。そう、これは…
「エリーゼのために。可愛い曲よね」
小さな黒いオルゴールを手に、有香は俺を見てニッコリ笑った。
(完)


こんばんは。こちらに参加します。

ええと、まず言い訳から。こんなに可愛いタイトルなので、今度こそは可愛いストーリーを考えていたのです。が、弟が帰省しまして、お勧めのYouTubeということで何本かホラーな動画を見てしまい、その結果こんなストーリーに…。
ま、動画は面白かったし、良いんですけどね。でも、次こそ怖くないストーリーを!とひそかに決意しています。こんなこと言って、次もこうなったらどうしよう…

と、とにかく。
山根さん、お手数かけますが、またよろしくお願いします。
読んでくださった方、有難うございました。

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