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〔ショートショート〕残像屋

細い路地を抜けると、その喫茶店はあった。ドアを押して入ると、スーツ姿のマスターが一人。噂通りだ。
「いらっしゃいませ」
「あの、全財産がこれだけで……」
俺がおずおずと鞄を差し出すと、彼は微笑んだ。
「金額は問題ではありません。全財産ならそれで」
「じゃあ…琥珀珈琲を」
彼が出してくれた珈琲に口をつけた途端、懐かしい香りと若い俺たちの姿が鮮やかに蘇る。

「バンド組まないか?ミナがボーカルで」
「え?私が?」
「俺もやりたい」
「俺も」
その後俺たちはそこそこ人気も出て、メジャーデビュー。1年後、ミナと俺は結婚したが、俺の浮気癖が原因で3年で離婚、その後バンドも解散。仲間と会うこともなくなり、俺はドラッグに溺れた。
珈琲を飲むほどに、最も幸せだった頃の残像に俺は吸い込まれていく。もう現実を捨て、残像の中で生きていけるんだ。やっと俺は……

男は微笑んだまま、煙のように消えた。マスターは残されたカップを、セピア色のケースにそっと仕舞った。
(完・409字)



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