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〔ショートストーリー〕あたしの約束

北風と約束したんだ。だからあたしは行かなくちゃいけない。パパにもママにもサヨナラを言わずに家を出なきゃ。早くしないと、ふたりとも仕事から帰ってきちゃう。
「おねえちゃん、どこに行くの」
4歳下のユウタがあたしのリュックを見て、泣きそうな顔できく。あたしは出来るだけ楽しそうに笑ってみせる。
「遠いところ。でもあたしはずっと、ユウタを見てるから。元気でね」
「イヤだよ!おねえちゃん、ひとりで行っちゃだめ。行くんなら、ぼくもいっしょに行く!」
ユウタがあたしにしがみついて首をブンブン振ると、涙がちぎれて飛んでいく。あたしも泣きそうになったけど、ガマンしなきゃ。
「泣かないで、ユウタ。おねえちゃんは6年生なんだから、ひとりで大丈夫だよ」


あたしは昔から耳がよかった。風が吹くと、遠くにいる友だちの声が急に聞こえたり、誰かの笑い声や泣き声が聞こえることもある。それを変だとか怖いとかは全然思わなくて、むしろあたしにとっては普通のこと。けど、みんなとは違うことぐらいは気が付いていたし、その声は風が運んでくることも分かっていた。だから、風はあたしの友だちだって何となく感じていた。
そして3日前の夕方、学校からの帰り道。さきちゃんとみっちゃんと別れた後、ヒューッと吹いてきた北風が、直接あたしの耳元で言った。
「ユウタが危ないよ」
「悪い人に着いていこうとしてるよ」
「今は公園だけど」
「もうすぐ車に乗せられるかも」
風の声を聞いたのは初めてだったけど、それどころじゃない。あたしは驚いて叫んだ。
「えっ!お願い、止めて!」
北風はゴーッという声で応えた。
「もし止めたら」
「ユウタをくれる?」
「ずっと友だちが欲しかった」
「通り過ぎるだけは淋しい」
まさか、そんなこと!イヤだよ、絶対に。パパもママもあたしも、ユウタが宝物なんだから!
「じゃあ代わりに」
「何をくれる?」
「もうユウタは車の前」
「どうする?」
とっさにあたしは言った。
「あたしが行く!あたしが友だちになってあげる!だからユウタを助けて!」
北風は少しだけ柔らかい声で言った。
「分かった。約束ね」


後から聞いた話だと、知らないおじさんの車の前にいたユウタは、急に吹き付けた強い北風にあおられて転んでしまったそうだ。ちょうどそこへ、吹き飛ばされた帽子を拾いにやって来たのは、パトロール中のお巡りさん。知らないおじさんはビックリして、慌てて逃げようとしたんだって。でもすぐお巡りさんに追いかけられて捕まって、ユウタは無事に帰ってきた。
知らないおじさんは、ユウタ達が大好きなキャラクターのグッズをたくさん持っていて、車の中にもっと置いてあるから見においでって言ったらしい。多分、そうやって誘われたのはユウタだけじゃなかったって、大人たちが話してたっけ。


あたしが帰るまでちゃんと家に居てねって言ったのに、公園に行っちゃったユウタ。でもきっと、ひとりぼっちは淋しかったんだね。しょうが無いや、まだユウタは2年生だもん。
あたしが2年生の頃は、ママはまだお仕事をしていなくて、いつもあたしを待っていてくれた。でも、これからあたしたちにお金がかかるからって、お仕事始めたんだよね。
今日、あたしがいなくなったら、ユウタのこともママが待っていてくれるようになるかな。ゆうべも「やっぱり大人が家にいないと……」って、パパと遅くまで相談してたみたいだし。そうだといいな。


北風はあたしのお願いをきいて、ユウタを助けてくれた。だから今度は、あたしが約束を守る番だ。約束は守らないといけないって、あたしは知ってる。自分だけズルをしたら、きっと後で怖いことがあることも。
北風は3日だけ待ってくれるって言った。その間にお別れをすませてね、って。だから、さきちゃんともみっちゃんとも、いっぱいおしゃべりをした。パパとママにもいっぱい甘えて、いっぱいギュッとしてもらった。ユウタともいっぱい遊んで、いっぱい笑って。3日なんてあっという間だったけど、待ってくれた北風には「ありがとう」って言わなきゃいけないよね。


あたしはお出かけするみたいに、パパとママに買ってもらったお気に入りのリュックを引っ張り出してきた。そして、ずっと前にサンタさんからもらった絵本を本棚から抜き出し、折れないように気を付けてその中に入れる。知ってるよ、本当のサンタさんはパパとママだって。小さい頃からいつもあたしが喜ぶプレゼントをくれたよね。サンタさんがパパとママだって分かってからも、ずっと嬉しかったんだ。
あとは、さきちゃんとみっちゃんとお揃いで買ったハンドタオルと、キラキラのノートと鉛筆、ユウタがくれた金色の兜の折り紙。……うん、もうこれでいいや。大事なものはちゃんと入れたから。
リュックを背負うと、ユウタがますますしがみ付いてくる。
「おねえちゃん、ぼくのせいなの?ぼくが知らないおじさんについていって、いい子じゃなかったから、とおくに行かないとダメなの?」
あたしは驚いた。どうしてユウタが知っているんだろう。北風が何か言ったのかな。そんなこと、言わなくていいのに。あたしはユウタの頭をなでて言う。
「違うよ、ユウタ。これはおねえちゃんの約束なの。おねえちゃんが約束したんだから、ユウタは何にも悪くないよ。それにね」
あたしはそっとユウタの体を押して引きはがすと、目を見ながら言った。
「ユウタが笑っていてくれたら、おねえちゃんは一番うれしいの。だからもう、泣かなくていいんだよ。ね、ほら、涙ふいて」
「おねえちゃん……」
ユウタはしゃくり上げながら、あふれる涙をゴシゴシこすってみたけど、やっぱり笑うのは無理みたい。それでも一生懸命強そうな顔で、しっかりとあたしの目を見てきた。分かってる、ユウタがとっても無理をしてるのは。でも、もうあたしは守ってあげられないから、黙ってもう1回だけ頭をなでる。この細くて柔らかいユウタの髪、大好きだったよ。
「じゃあね」
手を振って家を出ていくあたしに、ユウタはしがみ付いて来なかった。よく頑張ったね。偉いぞ、ユウタ。


さあ、約束の時間だ。あたしはリュックを背負って歩き出す。目指すのは公園、北風がユウタを助けてくれた場所だ。
夕暮れの公園に着くと、もう誰もいなかった。みんな、あったかいお家に帰ったんだろう。あたしは唇をギュッと噛んで、しっかりと前を向く。そこへ強い北風が吹いてきた。
「約束、守ってくれたね」
「ありがとう」
「うれしい」
「もう淋しくない」
「さあ、一緒に行こう」
ゴオーッと地鳴りのような音とともに、突風が吹いた。公園のブランコはギーギー、ガチャガチャと激しく揺れ、落ち葉は派手に舞い上がる。あたしの体は、何かに包まれるようにフワッと浮いた。冷たくて柔らかい北風の腕に抱えられて、あたしの街が小さく、遠くなっていく……。


やがて強い風は止んだ。公園の舞いあげられた落ち葉は地面に戻り、ブランコの揺れは小さくなっていく。キイという音を最後にブランコが止まると、動くものは何もない。誰もいなくなった公園に、静かな冬の夜が訪れようとしていた。

(完)



こんにちは。こちらに参加させていただきます。
本当はハッピーエンドにしたかったのに、どうしてもこちらのエンディングに向かってしまい、最後には諦めましたが……。読んでくださった方がどんよりしてしまいそうで、何とも申し訳ない気持ちです。

こんな結末ですが、小牧さん、どうぞよろしくお願いします。
読んでくださった方、ありがとうございます。そしてこんな終わり方でごめんなさい。これに懲りずに、また読んでいただけると嬉しいですm(_ _)m

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