南日本新聞コラム南点第5回「食い違い」
ハマグリは、対となる殻とだけぴったり合うという。その様子から何かが噛み合わない状態の事を、ハマグリの逆、という意味で「グリハマ」と言うそうだ。
鹿児島を離れて30年になる。上京したての頃は、自分の言葉が正確に相手に伝わらず、変な感じになる事があった。たとえば物を仕舞う事を、鹿児島では「なおす」と言う。けれど関東では「かたす」と言う。職場で先輩に、「これなおしてきます」と言ったところ、「壊れてた?」と訊かれたので、「いや、壊れてないと思いますけど」と答えて、互いに「?」となる、みたいな事がよくあった。逆のパターンで、30半ばの頃に帰省した際、同級生から「今夜は語るが」と言われ、(え、何を?人生を?政治を?)と戸惑う事もあった。子供の頃は方言としての「語る」は知らなかったが、鹿児島弁の「語る」とは、「喋る」ほどの軽い意味合いであるらしい。
方言だけでなく、標準語、一般的な辞書に載っている言葉でも、人によってその捉え方は違う。言葉には複数の意味があるし、別々の言葉を組み合わせる事によってさらに複雑になる。文脈から読み取ろうにも、その人がどんな価値観や考え方を持つかによっても微妙に違ってくる。
先日もある人と「迷惑」という言葉の捉え方で「グリハマ」があった。私にとっての「迷惑」とは、騒音や割り込みレベルの事で、命に関わる危険な行為はもはや「犯罪」の範疇となる。もし自分が、道端で誰かに暴行されたとしたら、「迷惑だ」とは思わない。「犯罪だ」と思う。けれどその人は「犯罪」も「迷惑」である事に変わりないから、それもまた「迷惑」と表現できると言う。それはそうだけど自分が言ってるのはそういう意味でなく、「万引きは犯罪です」という例のポスターがもし、「万引きは迷惑です」だったら変じゃないですか? という事を懸命に伝えようとしたのだが、語彙力不足で最後までハマグリとはならず、結局その日は泣く泣く即席のしじみ汁を飲んで寝た。賢くなりたい。