南日本新聞コラム南点第9回「本当のカッコよさとは」
「いじめ、カッコ悪い」
というCMが昔あった。鹿児島出身のスポーツジャーナリスト、前園真聖氏が出演していたCMだ。
いじめがカッコ悪い(というかダメな事である)のは当然として、ではカッコいいとはどういう状態を指すのだろうか。
たとえばスポーツ選手が試合中超絶プレーをキメた時、カッコいいと思う。けれどその人が記者会見の席で、高級スーツや腕時計を身につけ、記者の質問にカッコつけて答えていたとしたら、カッコ悪いと思う。
一般的な社会でも、過剰なほどオシャレにこだわり、仕草や口調が気取っている人を見ると、カッコ悪いと思う。
なぜ人はカッコつけるのだろう。若い頃はまだしょうがないとしても、年を取ってまでそんな感じだと残念に思う。人から良く見られたいとかモテたいとか、そういう欲望は人との間に差を作る事によって叶えられる。得る為のストレス、得られない不満が、差別や争いを生むのではないか。そういう表面上のカッコよさで繋がった人間関係はいずれ大きな破綻をきたす。そうして新たな刺激を求め、不倫や麻薬に走る(人もいる)。
そういう人が、果たして本当にカッコいいだろうか。私はそうは思わない。では本当にカッコいい人とはどんな人か。
それは、自分を取り繕わずにみっともなさを正直にさらせる人の事だと思う。そういう人を見ると私はカッコいいと思う。ダメなのは自分だけじゃないと勇気をもらえる。素行面は置くとして、作家の西村賢太とか。
つまり私の価値観では、カッコつける事は恥ずかしい事だから、カッコつけない事がカッコいいという事になる。
とはいえカッコつけない事は自分の中でカッコつけてるという事だから、それはそれで恥ずかしいという奇妙なスパイラルに陥ったまま、さらにバカにもされるという状況にさらされる事がよくあるから人生は悲しい。