餃子 2
フラフラとそちらの部屋を開けてみるとそこは和室で、灯りをつけると仏壇に三人の写真が飾ってあった。
ああ、やっぱりなと思った。
一人は優しそうな女の人。あとの二人は、今より少し年老いた、うちの両親だった。三人とも、黒ぶちの枠の中に微笑みながら納まっていた。
「かわいい感じの女の人だなあ。俺、こんなかわいい人と結婚できたんだ。なんか嬉しいなあ。なんかリョウくんもお母さん似だもんな。父さんも母さんも、今より白髪が多いなあ……」
今。
今ってなんだ。
今という不確かなもの。
「父さんさあ」
気が付くと、写真に向かって話しかけていた。
「父さんさあ、このあいだ、までっ、元気に俺を叱ってくれたじゃないかっ。怒りっぽくて、つまんないことでいつも、いつも。母さんはあんまり体が丈夫じゃないけど、料理が上手で友達が多くて、俺が何言っても怒らなくてさあっ」
「この優しそうできれいな女の人にも、俺まだ出会ってない。出会ってもいないのに。俺と、あのリョウくんを残してさあ」
涙が止まらない。
気が付けば体が自分の意思とはどこか離れて、わあああ、わあああと子供のようにわめき続ける。
「怖いよ。どうなってんだよ。頭痛い。俺の知ってる人誰もいない。誰もいないよ。元に戻りたい。もとに戻りたいよ!」
あの家の、あの部屋の、自分の部屋に戻りたい。高校生のあの時に戻りたい。
泣き続けていると、階段を下りてくる気配があったが、また戻っていった。リョウくんがそっとしておいてくれたのだろう。
彼は自分よりもずっと大人だと思った。
それに甘えて、その場で俺は泣き続けた。わんわん泣いた。
落ち着いた後、涙をぬぐい、風呂場を探してシャワーを浴びた。タオルなども置いてあったので助かった。
食事をして、少し落ち着いた。チンは『あたため』を押すと二秒ぐらいで終わったので驚いた。
「やっぱりここは、未来の世界なんだな」
あとから自分の『昔で言うスマホらしきもの』を貰った(正しくは返してもらった)のだが、まだ操作がいまいち自信ない。連絡帳に知人の名前を探して、友達の名前を二人ばかり見つけたが、連絡する勇気が出なかった。「実はさ、俺いま記憶を失って、中身は高校生なんだけどさー」と言われても困るだろう。あいつらもいい大人になって、奥さんや子どもがいたりするのかな。
ぼーっとしてたら朝になって、リョウくんが下りてきた。
「おはようございます」
「おはようございます」
二人でどこか固めに挨拶を交わす。
「お墓参りに行きましょうか」
リョウくんがそう言ってくれた。
「うん。行きたい」
手短に支度を整えて、車で出かけた。ファストフード店で朝ご飯を食べて、途中のスーパーで花や、果物やお菓子を買う。
言葉少なに彼が言うことには、三人は一緒にちょっと車で遠出して、交通事故にあったらしい。巻き込まれ事故で、ほぼ即死だった。
長いドライブ、会話が少し途切れたところで、リョウくんが切り出した。
「俺、もしかしたら父さんは、記憶をなくしたってウソをついているんじゃないかって、最初思ってたんです」
「うそ?」
「父さんは、母さんとおじいちゃんおばあちゃんを一度になくして、それからひどくお酒を飲んで忘れようとしてたから」
「そうなんだ……」
まだ一滴もお酒を飲んだ覚えがない自分には、その状態が想像つかなかった。
「事件のあと父さんはぜんぜん泣かなくて、ただ黙って、夜にお酒をずっと飲んでました。だから俺、そっとしておこうと思ったし、受験もあったし父さんをずっと避けてた。そうしているうちに、深酒して足を滑らせて、脳から出血していて命が危ないって連絡が来たんです」
「マジで」
あんまり自分の命の心配をしてはいなかったが、そんなことになっていたとは。
「辛いから、全部忘れたふりすることにしたのかな、それとも辛いから本当に忘れてしまったのかなと思ったけど、父さんの手紙の字が前と違って、ほんと高校生の子みたいだったし、あんなふうに泣く人じゃなかったから、これは本当に高校生に戻ってしまったんだなって」
「うん、ほんと。マジで。いまほんと高校生だから」
「父さん、あの、今はあんまりマジって言わないから。それ昔の言葉だから」
「うそ、そうなんだ、うわーうわー、それは恥ずかしい……」
「あははは!」
リョウくんが笑った。初めて、ちゃんと笑ったところを見た気がした。
着いたのは、やや古いがきちんと整えられたお墓。
見覚えのない世界の中で、確かに見覚えのある場所だった。ここは何度も来たことがあった。俺のおじいちゃんが建てたという墓だ。
「俺もリョウくんもここに入るのかな……」
「それはまだ、あんまり考えたくないなあ」
墓石の横には法名と名前が刻まれている。おじいちゃんを筆頭に、確かにうちの両親と見慣れぬ女性の名前が刻まれていた。
「俺の奥さん、舞歌さんっていうんだ。風情のある名前だよな」
「母方のおばあちゃんがズカファンなんですよ」
「なるほど」
たわいのない話をして、線香をあげ、手を合わせる。
なんだか、心が整っていく気がした。
ここは確かに未来で、大事な人は確かに死んでいて、俺たちは生きているから、なんとかして生きていかなくてはならない。
帰り際、車の中でリョウくんが言いづらそうに言った。
「実は、大事な話があるんです」
「な、なに」
「お金のことです」
「それは大事だなあ」
彼の話によると、まだ大学受験の結果は出ていないが、もし合格すれば、まとまった額のお金が必要になる。
二度目の浪人をするときも、一度僕こと記憶を失う前の父親に相談したが、「お金のことは心配しなくていい。好きにして大丈夫だ」とだけ言われて、そのままにしてしまった。その時はもう母親と祖父母が死んでいたので、それ以上は言えなかったという。
「こうして父さんも退職してしまったし、前といろいろ状況が変わったから、もし受かっても僕もこのまま大学に進学していいのかなって」
「うーん、俺もお金のこととかは分からないからなあ。そうだ、帰ったら一緒に通帳とか探して見てみようよ」
「えっ、一緒に見ていいのかな」
「うん。中身はリョウくんのほうが年上なんだし、もう二人だけの家族なんだからさ」
どうやらリョウくんは家の通帳を探したりするのに抵抗があり、僕の入院中は、バイト代をためた自分の通帳から、生活費や僕の入院費を出していたらしい。大変に悪いことをした。
そして結論から言うと、お金の心配はなかった。けっこうな額が、通帳に納まっていたのだ。俺もリョウくんも驚いた。
「えっ、思ったよりある。なんで。まだ家のローンとかもあるはずなのに」
「待て待て。こうしてみると、確かに月々の給料のわりには貯金があるよ。どうして」
その理由は、通帳の履歴をたどって判明した。
つまりは僕の妻と両親の、三人分の死亡保険金が振り込まれていたのだ。そしてその事実に、二人で膝を折ってショックを受けた。
そうして二人でしばらく無言でいたあと、ぽつぽつと話した。
「俺……、まだ学校受かったか分からないけど、受かってたら一生懸命勉強する。駄目でも一生懸命働く」
「僕も、これからバイトでも何でもして、このお金をできるだけ減らさないように、がんばる……」
そっと、通帳を引き出しに戻して、手を合わせた。
「よし、二人でがんばろう。リョウくん僕、まだ何もできないけど、家事でもなんでも頑張るから」
しかしリョウくんはちょっと苦笑いを返した。
「実は、父さんは、あんまり家事が上手じゃなくて」
「なんだって!」
「結婚記念日に、母さんのために料理を作ろうとして台所を破壊したり、掃除をしようとして冷蔵庫を動かして壁を破壊したり、それからは諦めて、お花を買ってきたりケーキを買ってきたり。でもケーキも運ぶときにぐちゃぐちゃにしてたり……」
彼は思い出を話しながら、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「母さんも、おじいちゃんおばあちゃんも死んじゃって、父さんも帰ったらお酒ばかり飲むようになって、俺ももう何もかもどうでもいいやって思ったけど、でも父さんが死にそうだって連絡受けて、その時はもう、俺はもうこの世で一人ぼっちになっちゃうんじゃないかって……」
俺はその言葉にショックを受けたが、もう一つショックを受けた。自分がリョウくんのことを、きちんと考えていなかったことにだ。たった一人になる可能性があった。それは、彼のことをちょっと考えればわかることだった。
「ごめん」
ごめん、ごめん、ほんとごめん。
リョウくんの気持ちを、今まで考えていなかった。
俺はずっと、リョウくんに甘えていた。
リョウくんが真面目で、しっかりしていて、優しそうな子だったから。
「これからは、しっかりするから。これからは立派な父さんとして頑張るから」
「いいよ、前にも言ったけど、僕には父さんは生きてさえいてくれればいいんだ」
「いいや、中身は高校生でも、俺は父さんなんだから、リョウくんのために頑張る。すぐにうまくできなくても、台所や壁を破壊してでも、頑張る」
「それは嫌だな……」
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