餃子 3
それからまた時は過ぎ。
それからはリョウくんと一緒に街を歩き回ったり、ネットやスマホらしきものの端末の操作を教わったり、料理や掃除を勉強したり(インスタントラーメンから始めた)。
リョウくんは大学はいくつか受けたらしいけれど、中には遠方の学校もあって、そうすればお互い一人暮らしになってしまうので、俺はかなり真剣にやらなくてはならなかった。
そうして生活が少しだけ落ち着き、お互いに笑えることが多くなった。
「年下のたよりない父親でごめんね」
というと、
「前よりもいいところもあるよ」
なんて返してくれる。
少しは未来になじんできて分かったが、世界はシステムがいろいろ変わっていて、総じて便利になっていたけれど、慣れるのは少し時間がかかりそうだった。
特に戦争がなくなったわけでも、交通事故が減ったわけでもなく、人間は相変わらずだった。
そして、リョウくんは第一志望の大学に合格した。
俺は嬉しくてうれしくて、彼の手を持ってぴょんぴょんはねた。
「美味しいもの! 美味しいもの! 食べにいこう!」
「ええ、何にしようかな」
「なんでも! なんでも好きなもの言いなよ!」
結局、近くのお店の餃子になった。
「そりゃあおいしいけれども。皮が厚くてカリっとしてて噛むとジューシーでおいしいけれども。いくつでもいけちゃうけれども」
もっと豪華なものでもいいのに、とひとりごちるとリョウくんは笑った。
「よくここで、父さんはビールを頼んで、ハタチになったら一緒に飲もうって言ってたんですよ」
彼は幸せそうに微笑んで、生二つと餃子二人前を注文した。ああそうか、リョウくんは浪人してるから、もうハタチになっているのか。いや。二つって。
「待って、俺、お酒まだ一度も飲んだことないよ!」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「いいじゃないですか。中身は子供でも、身体は大人なんだから」
「それどこかで聞いたことがあるけどさあ。それに……」
深酒して転んであんなことになったと聞いて、なんだかお酒を飲むこと自体が躊躇われた。いいのだろうか。
「それにさあ、うちオヤジうるさかったもん。一口とかでも絶対許さなかったし、ハタチになったらお祝いに一緒に飲もう、って……」
ずっと。
時は流れて。
二つの何かが重なった気がした。
「こちら生ふたつですね~」
お姉さんが重いジョッキを軽々とテーブルに並べる。俺は意を決した。
「よし飲む!」
「飲みましょう!」
「リョウくん! ほんとに、大学合格おめでとう! 遅くなりましたが、ハタチもおめでとう! かんぱーいっ!」
「かんぱーい!」
二人でカチーンとジョッキを合わせて、一気に飲む。乾杯は初めてするが、これはなんて楽しい儀式だろう。
初めて飲むそれは、苦みがあって、炭酸が入っていて、味として自体はさほどうまいものではないと思ったが、なぜか滑るようにゴクゴクと喉を通っていった。
そして飲み終えると爽快感とともに、何か心にこみあげるものを感じた。
「ううっ……、お父さんうれしい」
決めた。俺は、中身は高校生だけど、お父さんとして頑張る、このけなげなしっかり者の息子を、奥さんや父さん母さんの分まで幸せにするんだ!
「餃子二人前ですね~。お待たせしました~」
「来た来た~」
「よーし食べようっ」
そこでぐらりと、意識が回った。
あれ。
初めて飲むから、酔いが早いとか?
それとも手術の後遺症とか?
「あっこれ父さん、餃子のタレそっちに……」
それが、聞こえた最後の言葉になった。
目が覚めると、ああここ、自分の部屋だなとすぐに分かった。
すぐに手を見る。
若い、高校生の手だった。
起きてすぐ身体に疲れもない。
肌がきれい。
ジリリリリリ、と目覚ましが鳴った。
ああこれが鳴ったということはだ。今日は、学校へ、行く日……。
パチっと目覚ましを止めた。
落ち着け。落ち着け、落ち着け……。
どきどきと、恐る恐る階段を下りる。
もうこの時点で、いい匂いがする。母さんのつくる朝食の匂いだ。涙が出てきた。当たり前すぎて、生まれた時から当たり前すぎて、その大切さに気付かなかった匂い。トイレから父さんが出てきた。リビングに入る。
生きてる。
二人とも生きてる。
「うん、おはようショータ」
「おはよう」
二人のその言葉に、耐え切れず、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「ど、どうした、怖い夢見たのか。いい年こいて」
「うわあああ、父さん生きてるうううう!」
「朝から失礼な発言をかますな」
「どうしたの」
「母さん、ショータが朝から変だ」
「うわあああああ、二人とも、絶対に、27年後の8月3日に、俺の奥さんとちょっと遠くの評判の石窯パン屋さんに出かけようとしないでえええ!」
「これはやばい」
俺はまた子供みたいにわんわん泣いて、とりあえずその日の学校は風邪の名目で休むこととなった。
それから、俺は親に不義理をしないことに決め、真面目に勉強して、大学に進んだ。
100人以上集まる講義で、偶然にその人を見つけた。
優しい笑顔で、名前を確かめるまでもなかった。舞歌さん。
胸にこみあげる熱さを感じて、すぐに声をかけようと思ったけど、思いとどまった。
俺は大学に入ってできた友達に、「一目ぼれして面識がまったくない人を口説きたいんだけど、どうしたらいい!」と相談した。「いきなりなんかお前若いな」と返された。
なんとか慎重に交際にこぎつけ、就職してプロポーズして結婚して、彼女は妊娠した。弾んだ口調で、彼女は言った。
「生まれるのが男の子でも女の子でも、名前はもう決めてあるの」
生まれるのがどちらで、おそらくその名前も知っていることを、僕は黙っておいた。
そして子供が生まれ、初めて柔らかく小さなその身体を、おそるおそる抱かせてもらったとき。
ふいに「ハタチになったら一緒に飲もう」という、僕と父と息子の、あの世代が重なりあったような感覚がよみがえった。
「あのさ、ほんとに、僕のところに来てくれてありがとう、リョウ」
君にまた会えて、とてもうれしい。
俺、頑張るから。父親として、今度こそ君のために頑張るから。
「また一緒に、乾杯しよう」
未来のしっかり者であるところのリョウは、今はふみゃあというような、柔らかい猫のような声を出した。
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