黄昏サンクチュアリ
「おはようございます」
「おはようございます」
決まった挨拶が飛び交う朝の八時。
玄関を出ると、いつも同じ警備員が挨拶をしてくれる。目の前にバス停がある。
この宿舎の前にはバス停があり、平日決まった時間にバスが出る。
乗るのはいつも同じメンバー。車内でしゃべりだす人間はいない。いつも無言でバスは進む。
そういえばしばらく前は、突然わけのわからないことをわめき散らす迷惑な客がいたが、いつの間にかいなくなってしまった。
私は会社へ行く。
書類の整理。作成。チェック。
「きみはいつもよく働いてくれるねえ」
上司が褒めてくれる。
前の上司は、仕事が遅い、やる気はあるのか、ここが間違っている、いつもだとけなしてばかりで、手柄は全部自分のものにしていた。だがあの上司もどこかに行ってしまった。経緯は思い出せない。
五時。
時間ピッタリに終業。社員は手荷物を持ち、きちんと乱れもなく整列しドアへ向かい、そしていつものバスへ向かう。
バスから降り、宿舎に戻ると食事が用意されている。
栄養バランスがきちんとした品数の多い食事だ。人によっては食後に持病の薬を飲んだりする。
その後は風呂に入る。部屋に戻る。当番で宿舎の掃除をしたり、明日の準備をしていたら就寝時間になる。
服も全て届けられている。毎日、着る服は決まっている。
眠ると不安もなく、また明日が来る。
宿舎は何十人かが暮らしているが、全員が同じバスに乗るわけではない。人によってバスの行き先は違う。農場へ行く人もいるらしい。
仕事はどうあれみんな一様に、五時で仕事は終わり、宿舎に戻ってくる。
年齢もさまざまで、男女もばらばら。
どうしてここへ来たのか、いまいち思い出せない。思い出そうとすると、何か胸がひどくざわめいて、冷たい汗が出そうになるのだ。
決まった毎日。空は美しいなと、いつも思う。夜は窓の外から星を眺める。窓は数センチだけしか開かないようになっている。
ゆらゆらと、胸が不安にざわめくこともある。心は自然現象のように、凪の朝も、嵐の夜もある。
ときたま来客があることがある。宿舎の家族が会いに来るのだ。
少しうらやましい。私に家族はいない。いや、いたかもしれないが、思い出せない。
帰りたいという人もいる。
帰りたいという人に、かならずその家族は「うんわかった。帰ろうね。あしたね」という。
そういう決まりになっているのだろうか。
すると言われたほうはにっこりと、「わかった、あしたね」と嬉しそうにほほ笑むのだ。
どうして信じてしまうのだろうか。あしたは、きょうの繰り返しなのだ。変化などはありえない。
私は帰りたいと思ったことはない。ここがいいと思う。
ただ、何か、しなければならないことがあった気がする。
それが何かが思い出せないのが、少しくるしい。
なんとなく調子が悪い。
くるしい。
起き上がれない。
会社に行かなくては。職員の人がやってきて、熱を測ってくれた。
「熱がありますね。今日はお休みすると伝えておきましょう」
ふらふらする。くるしい。体が思うように動かない。
以前もこんなことがあった気がする。
「おかゆを持ってきましたよ。解熱剤も飲みましょうね」
やさしい。
宿舎の人はみんなやさしい。
それに涙が出そうになる。
自分は何か、記憶に蓋がついている気がする。
それを宿舎の人に言っても、笑って「思い出せないなら、きっと、思い出す必要がないんでしょう」と言われる。
何か、何かが。思い出せない。
ときたまカタ、カタンと音をたてて蓋が動いて、思い出せそうなのに。
熱も下がり、私は会社へまた出勤できるようになった。
体調はいい。私は真面目に仕事する。上司はまたほめてくれる。うれしい。
何事もなく、仕事は終わる。
バスの中から、夕焼けを眺める。なんてきれいなんだろう。おわりかけの夏のにおい。虫の鳴き声。ああ。日は短く、暗くなっていく。
食事が終わり、部屋に戻って、私はふと突然『パカッ』という音を聞いたような気がした。
ああ。
そうだ。
わたし、わたし。
思い出した。
わたし、死ななくちゃ。
「今日はTさんは、いないの」
玄関の警備員が、係の人に声をかけた。
「調子が悪くなっちゃってね、昨日は壁にひどく頭を打ち付けて死のうとしていたから、治療して休んでるよ」
患者が自殺できないように部屋には危ないものやひっかける物は無いようにしてあるし、監視用にモニターがついている。
「そんな、最近は調子がいいと思ってたのに、風邪で体調を壊したのが悪かったのかな」
「さあねえ、季節の変わり目とかは、あまりよくないからねえ」
警備員はため息をついた。
ここは、実験的に作られた、軽度の認知症や精神に問題のある人の療養施設だ。
閉じ込めて何もせずにしてしまうよりは、負担にならない程度の軽い仕事をしたり、規則正しい生活をして、ほどよく体を動かしたりしたほうが、症状が重くならず、職員の負担も少ないのではないかということで、作られた。
もちろん職員がケアしたり、見張ったりするが、基本的には他の施設よりも管理はゆるやかだ。
だが症状が悪くなったりした時は隔離したり、他の施設に移動することもある。
「辛い目にあったんだろうな」
詳しいことは聞かされていないが、警備員はそう思う。
彼もいろいろな職に就いてきたが、ここは社会とは隔絶されてひどくのどかで、誰もがやさしく、天国のようだと思う。
しかしこれは競争社会のためではなく、人の治療のために作られた偽物の空間なのだ。
もしここがほんものの社会であったなら、人がひどく傷つけられることもないだろうに。そう思うが、無理な話だろう。
今日もバスが出る。規則正しい生活。規則正しい食事。優しい職員。だがそれは、給料が出ているからだ。許可は得ているらしいが、医療会社がデータを取ったり、記憶改竄の実験などもしているらしい。
さまざまな思いを胸に、彼は「いってらっしゃい」と、今日もバスを見送った。
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