落ち葉降る朝に
僕はバイトの面接に、もう五回落ちている。書類選考で落とされて4回。面接までこぎつけて一回。
向こうに多分悪気はないにせよ、お前はいらないという度重なる人格否定の連続に、僕は弱っていた。よたついた気持ちに、なんとか喝を入れる。とにかく数を撃とう。散弾銃のようにやろう。
部屋のプリンタはA3用紙の履歴書を吐き出し続ける。虚飾された履歴に虚栄の写真を貼りつける。それすらも否定され続けているが、「とにかく採用されればこっちのもんよ」というやさぐれた大学のM先輩の言葉が頭に浮かぶ。
そんな風に落ち込んでいる時、連絡があったので、六回目のバイトの面接に行くことにした。
仕事はアンティーク店の店番だ。街中ではあるが、行ったこともない場所の、聞いたこともないビルの二階にある。
履歴書には昔から古いものに伝統や味わいを感じて……と、まさに適当にとってつけた志望動機が書いてある。
面接の指定は朝だった。開店前に面接したいそうだ。
朝の八時、アスファルトの上に散る落ち葉は昨日の雨で湿っていた。
濡れた落ち葉は滑る。滑るが落ちるを連想し、なんとなく嫌な気分に襲われる。寒いし。
指定の場所に行くと、そんな落ち葉をリズミカルな音を立てながら竹箒で掃除している初老の女性がいた。身なりや仕草はどことなく上品だ。
「あら、おはようございます」
「おはようございます」
「面接かしら?」
「はい。よろしくお願いします」
「どうぞ」
女性は愛想のよい感じで入り口を指し示し、退いて通り道を作ってくれた。
私は会釈して中に入り、階段を上る。よくあるコンクリートタイルの階段だった。
二階に上がると奥の部屋に人影が見えたので、覗き込んだ。そこにいたのは上着を脱いでシャツを腕まくりした、スーツ姿の中年の男性だった。開店前の掃除をしているようだ。
「おはようございます。面接に伺ったKと申します」
「はい、お待ちしてました。時間どおりですね。担当のSです」
男性はにっこりと笑ってくれた。指定時間五分前にちゃんとたどり着くことができたのが好印象だったらしい。今回はいけるかもしれない。
「それではこちらにおかけください。履歴書を拝見しますね」
そのあとは勤務内容とか、慣れてきたら一人で店番をしてもらうかもとか、電話応対は大丈夫かとか、勤務についての質問や説明を受けた。
それまでは良かったのだが、最後に予想外のことを言われた。
「きみ幽霊とかは信じるほう? というか、見えても別に平気?」
僕はあまりに思いがけなすぎて、キョトンとしてしまった。曖昧な言葉を返してしまう。
「は、うーん、今まで見たことがないので、なんともいえないです」
「そうかー」
「あの、アンティークだから、呪われた品があって幽霊が出るとか、座ったら死んでしまう椅子があるとか」
「いやいや、そうじゃないんだ。むしろそんな品があったら、高く売れるけどねえ!」
男性は快活に笑う。この人こそ、幽霊なんて信じそうもないように見える。
「僕も実は見たことないんだけど、このビルの入り口の向い、そこが昔は墓場つきの寺とかそういう場所だったらしくて、そういう流れで玄関からたまに幽霊が入って、そこの階段を上がり、お店に入ってきちゃうらしいんだよ。それで、アルバイトの子がすぐにやめちゃったりするんだ。だから聞いたんだよ」
うわお。
僕はとっさに浮かんだ、心の中の不快感や動揺を出さないように抑えた。
「そうなんですか。幽霊かあ。入ってくるときに掃除してるおばあさんは見ましたけどね」
「あ、その人もたぶん幽霊」
出された玄米茶がむせた。
「はあ?」
「昔、このビルのオーナーだったらしいんだけど、旦那さんが死んだときに人に騙されて、権利を取られたらしいんだ。文句を言ってつめよったら、路頭に迷わせるわけにもいかないだろうって、現オーナーに管理人として雇ってもらったんだけど、ほどなく死んでしまった。けれど自分のビルだと思っているから、他人に取られたのがまだ悔しいんだろうね。出てきて玄関を掃除していたりするらしいよ」
それはともかく。
言って彼は一拍置いて、身を乗り出した。
「アルバイト、する? するなら明日からでも、来てもらおうかと思ってるけど」
条件は悪くない。
玄関にいたおばあさん以外は。
「……あの、少し考えさせてもらえますか」
あのおばあさんとは、ついさっきはっきりと会話したのだ。それが幽霊と言われても怖いような嘘のような、複雑な気持ちだった。
「来れるなら明日おいで。掃除もしてほしいからよければまたこの時間にね。やめるなら明日じゅうに連絡をくれれば、他の人を探すから」
「わかりました」
失礼しますと礼を言って、階段を下りる。降りきる前に外の玄関を覗いたが、人影はなかった。
どきどきしながら玄関を出ると、建物の隙間からおばあさんが出てきたので、「ぐわあ!」とたぶん人生で初めて出る変な叫び声が出た。
「あなた、なかなか出てこなかったわねえ。もしかして、中で誰かと話したの?」
「え? はい。面接なので……」
「うふふ」
可愛らしい声とは対照的に、おばあさんは意地の悪そうな笑顔を向けたので、僕はぞくりとした。
「じゃあ、面接は失敗ね?」
「はい?」
「あなたの面接官は、実は私なの。まだ開店前で中には誰もいないのよ」
「え? ど、どういう」
理解できず、僕はおろおろと問い返す。おばあさんのリアルな態度に、相手が幽霊かもという考えは、いつしか消えていた。
「ここはほら、道路はさんであの向かいのところが、お寺だったんで幽霊がよく入り込むらしくてね。幽霊が普通にお客さんとしていたり、開店前の誰もいない時に、店員みたいにお客さんをあしらったりするらしいの。しかも本人は死んだと思っていないみたいでね。うちとしては、幽霊が見えないような、まったくの霊感ゼロの人をアルバイトとして雇いたくて、こうして面接で試させてもらったのよ。せっかく来てくれて悪いけど、他を探してくださるかしら」
うふふふふ、とおばあさんは笑う。
その空気に飲まれ、ぼくは混乱しつつも、「はあ……、あの……、どうも……」みたいな挨拶をして、その場を離れた。
どうする。
帰り道も、家に着いても、僕は悩んでいた。
明日の朝までに、結論を出さなければいけなかった。行くか、行かないか。といってももはや、採用の問題ではなくなっていた。
二人の話によれば、どちらかが幽霊で、どちらかが嘘を言っているのだ。
どちらが本物で、どちらが幽霊だ?
ネットの求人サイトで申しこんだら文章で返答が来たのだから、どちらにせよたぶん人間は存在しているはずだ。
おばあさんがネットに書き込むかどうか分からない。やはり男のほうが本物か?
いやそもそも、今まで幽霊なんて見たことがないのに、片方だけでもあんなはっきり見えるものか?
両方とも人間で、ぼくはかつがれているだけなのか? あの様子は隠し撮りされていて、編集されてyoutubeとかにアップされてるとか?
思考は止まらず、もちろん結論が出るわけでもなく。そして明け方、僕は決意した。
行こう。
このままばっくれてもいいが、謎は僕の中で残り、たぶん一生スッキリしない。
朝行ってみて、あのおばあさんがいるかいないか、それだけでもいいじゃないか。
興奮して結局そのまま眠れずに朝になった。僕は妙なやる気を胸に、肌寒い中に出かける支度をした。
道路わきに植えられたイチョウや他の木々が今日も葉を落とし、僕は湿った落ち葉を踏みしめながら歩いた。
朝のさわやかな、浄化するような空気の中。
おばあさんはいた。
緊張しながらも、あまりにも自然に掃除しているその姿に、近づく僕の足は止まることはなかった。心の一部で「怖がってたまるか」みたいな気持ちがあった。
「おはようございます」
「おはようございます」
にっこりとおばあさんは微笑み、そして言った。
「昨日は脅かすようなことを言って、ごめんなさいね。この年になると、昔より意地悪になるものなのよ」
なんだ冗談だったんだ。という会話の流れだった。
「あなたは若いんだから、何でもお仕事頑張ってね。応援してるわよ」
その言葉が終わるか終わらないかで、パッと消えた。
自分がまばたきしたかどうかも、分からない。
僕は立ち尽くした。
そして後悔した。
来なければ、謎のままで終われたのに、生まれて初めての体験に今戦慄して、足が動かない。身体ではなく、心ががくがくと震える。
足が動かないまま、玄関を見つめる。
僕はこの階段を上るのか?
上らないのか?
時間が、永遠のように思える。秋の朝の空気は僕の体を冷やし続け、色を変えた落ち葉は絶え間なく降り続いていた。
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