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すずめの戸締りの感想ー村上春樹、宮崎駿、ユーミンー

新海誠『すずめの戸締り』の感想です。
ほとんど、メモみたいにとりとめもない感じです。
※ネタバレ全開で感想書きます。

冒頭の感想。
「村上春樹!?」

「かえるくん、東京を救う」は『神の子どもたちはみな踊る』に収録


まさか、「みみずくん」が出てくるとは。
村上春樹の『かえるくん、東京を救う』に登場する震災の原因、「みみずくん」である。そして今作の震災の原因となるのも「みみずくん」である。
いやいや、まんまかいなと思ったが、村上春樹の小説は、たしか『秒速5センチメートル』の時にも出してたし、新海さん本当に好きなんですね、というかんじ。

この「みみずくん」のビジュアルイメージ、なんか観たことあるなーと思っていたのだが、わかりました。
『もののけ姫』のタタリ神や!

タタリ神 初めて観た時の衝撃は忘れられない

あのウネウネの気持ち悪いやつです。で、シシ神さまが首はねられた後巨大化していくかんじ。あれだ。

シシ神は首を探し巨大化


ゆっくりと動いて影が森に映るかんじ、めっちゃカッコいいんです。それが、今回は街になるのですが、まんまでしたね、、、。
あと、ドアを開けると異世界は『ハウルの動く城』ですよね(どこでもドアではないはず)。

ハウルは扉から色んな世界に行ける

というか、今回の主人公が恋する青年の草太がハウル的なビジュアルです。

草太 イケメン長髪


ハウル 似てるよね、、、

ここまでくると名前も『ポニョ』の宗介からとられたのではと疑ってしまいます。

宗介。草太。さすがにないか、、、

新海さん、ほんまにジブリ好きっすねと(※参照『星を追う子ども』)。
作中には、他にも「耳すま」の文字、「ルージュの伝言」が流れるなどのジブリ要素を全面に押し出す。
いえいえ、勘違いしないでください。
別に村上春樹やジブリ(宮崎駿)の要素(オマージュ)に文句をつけたいわけではない。
というか、作中の3/4まで、めちゃくちゃ面白かった!!とくに、椅子と猫の追いかけっこ(アクションシーン)は、僕の知る限り前代未聞。3本足の椅子がめちゃくちゃ走って飛び、かわいく(それでいて不気味な)猫を追いかける。これを見ているだけで楽しい。

この椅子、動かすのめちゃくちゃ大変だと思う


なぜかダイジンと呼ばれる猫 怖いけどかわいい

アニメーションってこれだよな!と観ていてワクワクした。物語の舞台も、猫を追いかけて、九州から四国、そして、東京から東北へと移り変わり、その景色を追うだけでも楽しめる。なにせ、新海さんは風景の天才だ。とにかく美しい。
そう、今回、新海さんは、ロードムービーに挑戦しているのだ。移動手段も船、バイク、車、新幹線、オープンカー、自転車と多様で飽きさせない。震災という災を止めるために、また、被災者である自身の生い立ちのトラウマを乗り越えるために旅する主人公の姿は健気だ。
この作品で描かれる震災は、人がいなくなった廃墟が原因となって起こる。少子高齢化の進む日本に生まれ続ける人がかつていた多くの場所。そこから生まれる災い。震災大国であり、少子高齢化が進む日本を正面から描いた意欲作だと思う。それだけに残念だな、と思ったのは後半の展開だ。現実にいつきてもおかしくないと言われている首都直下型の大地震。物語がある程度進んだ時、この映画はとんでもないものを描こうとしているな、と思った。みみずくんが、東京を廃墟にする。これを、劇場でやれば、とんでもない絵になるな、と。しかし、映画の3/4あたりで、その大惨事は主人公の手により回避される。問題は解決してしまうのだ。猫のせいで椅子となった青年が生贄になり、地震は起こらずに済む。その後の展開は、生贄になった青年を取り戻すこと、そして、東日本大地震の被災者でもある主人公のトラウマを解消すること、になるのだが、もう、ワクワクはなくなってしまう。同じく怪獣を震災の比喩として描いた「シンゴジラ」に例えるなら、ゴジラが結局、東京まで来たのに、何もしなかったような不燃焼感。

シンゴジラは東京をめちゃくちゃにした それがよかった

せっかく、このスケールのストーリー描いたのに、こんなに小さく終わらせるの?と、思ってしまった。
もちろん、ラストはああするしかない。描きたいのは関東大震災ではなく、東日本大震災だったのだ。被災の悲しみを乗り越える強さを持つこと、いつ失われるかわからない一日一日を一生懸命過ごすことの大切さ。素晴らしいテーマだ。ただ、それは、もう皆んなわかっていることをあらためて映像化してるだけなのでは、、、?とも思ってしまう。
アニメでは、止められるみみずくんだが、現実の震災は止められない。主人公が、多数の命と恋をしている青年を比べて多数の命を選ぶシーンがある。あまりにも重すぎる。そんな究極の二択を女子高生が選ぶ現実は存在しない。女子高生には、太るからタピオカ飲むのやめるか、それくらいの選択で頭を悩ませてほしい。
究極の二択が終わった後は、中古の真っ赤なオープンカーにイケメン(神木くん)と未婚バリキャリの美人なおばさん(深津絵里さん)と女子高生の珍道中が始まる。そこからは、がちがちのリアルだ。なにせ、動く椅子はもういない。
パーキングエリアで、おばさんは主人公に「あんたを預かったから、結婚できなかったんや!私の人生返してよ!」と言う。身寄りのない姉の娘を10年、必死で育ててきたのに、ないがしろにされたのだから、ブチギレたらそれくらいのことは言うだろう。しかし、あまりのリアルさに、妙にこのセリフだけ浮いてしまい、結果として、この映画を観た後、強烈に残ってしまう。いや、こんなこと言ったら、絶対にもう関係修復不能でしょ、と。
あとは、壊れたオープンカーのせいで、天井がうまく閉まらず、雨に濡れるシーンや、イケメン(神木くん)がなぜか懐メロ好きで、車の中で、井上陽水やらユーミンなどをかけまくる(作品的にどんな意味があるのかは不明)ところとか。ようは、覚えてるのは、ほとんど作中の後半だけで、前半から中盤にかけてのよかったところが、薄まってしまう(なにせ、ほとんど後半のシーンと関係がないから)。まるで、違う映画を観ているような、そんな感覚だ。もし、後半の展開がしたかったのなら、もう少し早めに始めていれば、とも思うし、でも、そうなるとよかった椅子のくだりが消えるし、、、。とりとめもなく書いたが、なんともモヤモヤする感じが残る映画だった。もちろん、部分、部分はめちゃくちゃ面白いし、できれば、もう一度観たい。しかし、新海さんはすごい。青春もので、まだ、これだけ新しいものを描ける想像力(けっして皮肉などではない)。そして、ポスト宮崎駿を受け入れようとしているのが、よくわかった(もう、ジブリで作ってもいいのでは)。

いま、思ったんだが、主人公「すずめ」とは、「みみずくん」から逆算して作られた名前なのか。
すずめはミミズを食べる。
つまり、みみずくんを倒すのは、すずめだと(まんまやがな)。
これは、そんな気がする。