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【短編】名刺に「馬」って書いてある
俺は都内で働くサラリーマン、闇鍋健玉。苗字も名前もヘンだから、ガキの頃から今の今までずっといじられっぱなしだ。
今日は株式会社じゅげむという食品メーカーのオフィスに来ている。前回は先方がうちに来てくれたので、今回はこっちが出向くのだ。プロジェクトメンバーは何人かいるが、1番歩くのが速い俺が適任ということで、俺になった。
で、早く着きすぎて今は休憩スペースみたいなところで自販機で買ったコーヒーを飲んでいる。味は微妙。
この休憩スペースは椅子が4つずつ置かれた丸机が10個あり、隣の公園の景色を見ながらまったり出来るとても素晴らしい場所だ。良い会社じゃないか。
約束の時間の2分前になったので、そろそろ出発するとしよう。
待ち合わせなら5分前がいいが、相手方のところへお邪魔するという場合は時間ちょうどか、少し遅れていくのがマナーなのだ。まぁ実際は85分前に来て寛いでたんだがな。
受付の方へ歩いていると、20歳そこそこくらいの青年が歩いていた。彼はここの社員らしく、首から名札を提げていた。
チラッと見てみると「関」と書いてあった。軽く会釈を交わし、そのまますれ違った。
受付のところにはスーツを着た若い男性が立っているだけで、今日会う予定の山口さんの姿はまだ無かった。1分過ぎてんだけどな。
俺が近づくと、スーツの男性がこちらを向いて「あっ」と声を漏らし、近づいてきた。
「闇鍋様、お世話になっております。実は山口なんですけども、会議が長引いておりまして、少しだけお待ちいただけたらと⋯⋯」
「良っスよ」
俺は快く返事をした。85分が90分になろうが100分になろうが大差ないからな。
「ありがとうございます⋯⋯あっ、申し遅れました私、こういうものです」
そう言って名刺を差し出した。
俺も慌てて名刺入れから自分の名刺を取り出し、「お願いします」と差し出す。
交換した名刺を見てみると、氏名のところに「馬」と書いてあった。
⋯⋯馬?
この人の名前、馬なの?
「あの、この名刺って⋯⋯」
「なにかご不明な点がございましたか?」
「馬って書いてあるんですけど」
「はい」
「え?」
「名前のところに馬って⋯⋯」
「はい」
⋯⋯え?
「お名前、馬なんですか?」
「はい」
えぇ⋯⋯
あ、そういえば三国志に馬超っていたな。中国の人なのかな。
「すいません、下のお名前も教えていただけますか?」
「フルネームが馬なんです」
んなアホな。
「ふざけてます?」
「ふざけてません」
「苗字と名前の概念ないんですか?」
「ないです」
なんでこんなしっかりした感じなのにふざけてくんの? なんでこんな普通の顔出来るの? 取引相手にドッキリ仕掛けるなんて大問題だよな?
「帰ります」
「えっ、なにか失礼がありましたか!?」
「なにかって⋯⋯はぁ。あなたとのやり取りなんて1個しかしてないでしょ。心当たりないのヤバいですよ」
「あ、もしかして偽名疑われてます?」
「偽名とかの次元じゃないけどね」
「ちょっと待ってくださいね」
そう言うと馬はポケットから財布を取り出し、なにやら探り始めた。
「見てください」
運転免許証だった。
確かに氏名が「馬」になっている。読み方はそのまま「うま」だそうだ。
なんてこった。
「立ち話もなんですので、こちらへどうぞ」
フルネームが「馬」の人間が存在したなんて⋯⋯
「お飲み物はコーヒーでよろしいですか?」
「あ、はい」
なに人なんだ? なに人ならフルネームが馬になるんだ⋯⋯?
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ってここさっきの休憩スペースじゃん。
んでこのコーヒーさっき飲んでたあんま美味しくないやつじゃん!
なんて言える訳もなく。
「いただきます」
ありがとうという顔をして缶を開け、口をつける。美味くねぇ〜。
それにしても、「馬」かぁ。
「ちょっと失礼な質問なんですけど⋯⋯」
勇気いるなぁ。
「はい?」
「お名前のことなんですけど、会社で他の方になにか言われたりとか、ない⋯⋯です⋯⋯か⋯⋯ね?」
ハイ、言っちゃった! 言っちゃいました!
「ないですね」
ないんだ!
「同期の関くんだって1文字ですし」
「あれフルネームだったの!?」
さっきすれ違った人!
「あと、今あそこにいる女性、僕が指導してる後輩なんですけど、名札見てください」
んー⋯⋯
あ。
蟹って書いてあるわ。
「あっちの男性も見てください」
髷って書いてある。
「なんて読むんです?」
「『まげ』です」
「あ、ちょんまげの」
「そうですそうです!」
やば。なんだこの会社。
でも山口さんは山口さんなんだよな。前に下の名前も聞いたことあったし。確か「ケン」さんだったかな。俺も健だから何となく覚えてるんだよな⋯⋯
あ、でもその時山口さん名刺持ってなかったみたいでこっちのしか渡してなかったな⋯⋯ってことはもしや。
「あの、山口さんの下の名前って確か⋯⋯」
「ケンですね」
「どんな字でしたっけ」
「都道府県の県ですね」
「ああ⋯⋯」
やっぱそうなんだ。山口健とかじゃなくて、山口県なんだ。この会社こわ。
あれ? でもそれだと⋯⋯
「皆さんフルネーム1文字の方が多いようですけど、山口さんは3文字なんですね?」
「そうですね、我々は平ですので。山口は係長なので3文字まで許されています」
許されています!?
「誰にですか!?」
「社長です」
確かここの社長、チョースケって名乗ってるんだよな。株式会社じゅげむ⋯⋯チョースケ⋯⋯もしかして社長のフルネーム、じゅげむのフルコーラスなのか!?
プルンプルンプルンプルンプルン!
突然キモい音が目の前の馬から聞こえた。
馬は「すみません」と言ってポケットからスマホを取り出し、耳に当てた。着信音なのかよ。
「あ、そうですか、はい、分かりました、はい失礼しまーす」
なんだろう。
「非常に申し上げにくいのですが⋯⋯」
え、俺が困る系の話? 会議が長引きまくりとか?
「山口が来られなくなってしまいまして、代わりに課長が⋯⋯」
あ、そういう話か。
「大丈夫ですよ!」
誰だって急に予定が変わることはあるもんな。
「あっ」
俺の後ろを見て馬がそう言ったので振り返ってみると、スーツを着た小太りの中年男性が頭を下げながらこちらへ向かっていた。
俺はすぐに立ち上がり、頭を下げた。どこからどう見てもこの人が課長だな!
「いやぁ〜お待たせしてしまってすみません、課長の板チョコです」
名刺にもちゃんと板チョコって書いてある。板チョコかぁ⋯⋯
顔をよく見ると、口血が出ていた。目の周りも若干青い。涙の跡もあるように見える。なにがあったんだ?
「闇鍋さん、亡くなってしまった山口に代わり、これからは私があなたと組ませていただきますので、よろしくお願いしますね」
「あ、はいよろしくお願⋯⋯え?」
「どうしました?」
「山口さん、亡くなられたんですか!?」
「はい、先ほどの会議で⋯⋯」
「会議で!?」
「で、このソーダガムの缶詰なんですけど」
え、普通に仕事の話進めるの? さっきの会議で何があったのか教えてくれないの?
「あの、山口さんはどうしてお亡くなりに?」
「社長に殴られて⋯⋯」
えっ?
「じゃあもしかして、板チョコさんのお怪我も?」
「はい」
⋯⋯会議とは?
それから俺達は意気投合し、1時間後には肩を組みながら2人で資料を眺めていた。
「でさぁ! このソーダガムの蒲焼がさぁ! 〜〜でさぁ!」
「板ちゃんおもしろーい!」パチパチパチパチ
なぜか俺はキャバ嬢ムーブをしていた。まぁ実際面白いんだが、いや面白すぎるかもしれないな。
いろいろ話を聞いた。
なんでも株式会社じゅげむでは入社時に改名することになっているらしく(頭おかしいだろ)、役職に応じて許される文字数が変わるのだそうだ(昇進する度に改名してんのかよ)。
漢字1字で平仮名何文字分かあるんだから、板チョコってもったいなくね? とも思ったが、よく考えたら人様の名前にケチをつけるなんて世間知らずの恥知らずのすることなので、名前については何も言わないことにした。
4時間後、板ちゃんと乳繰り合っていると、入口から誰かが入っていた。
「あ、うんちくんだ」
板ちゃんがその人を見て言った。
「うんちくん?」
「さっきまで馬くん達をまとめる主任だったんだけど、この度山口くんの後任になったんだ」
「ほぇ〜」
2時間後、俺はヘッドハンティングされた。なんでもここの給料は今俺がいる会社の190倍らしく、業務も比較的楽なのだそうだ。今手取りで24万だから、これからは月給4560万だ。バケモノかよ。
数日後、入社説明会の帰りに俺は社長室に呼ばれた。社長はムキムキのハゲで、頭に「死」の刺青が入っていた。
「闇鍋健玉というのかね?」
「はい」
「贅沢な名だね」
「えっ」
これってもしかして⋯⋯
「今からお前の名前は玉だ。いいかい、玉だよ」
湯婆婆方式じゃん!!!!!
「分かったら返事をするんだ、玉!」
「はい!」
「じゃあおつかれ〜」
「お先に失礼いたします!」
帰りに役所に寄って玉になった俺は、家までの道を歩きながら思った。
湯婆婆方式なら、板チョコってなんなん?
うんちってなんなん?
髷とか、蟹とか⋯⋯
なんなん⋯⋯
と思って次の日みんなに元の名前を聞いてみたところ、課長の板チョコは板チョコ崎黒将軍、髷は青山髷、蟹は高橋蟹、山口さんは田中山口県だった。
馬は佐藤翔馬なんだって。
うんちくんは「うんちくん」だそうだ。
すげぇや。