余命十月十日
いつものように2人でゲームをしていると、なぎさが突拍子もないことを言い出した。
「あたし、るぎあくんとの子を生みたい」
確かに僕達は付き合ってはいるが僕はまだ14歳、なぎさは13歳だ。
「お前、赤ちゃんの作り方知ってるのか?」
僕は性教育の授業で習ったから知っているけれど、あまり学校に行っていないなぎさが知っているのだろうか。
「⋯⋯知ってるよ。あたしのアソコにるぎあくんの⋯⋯」
普段のなぎさはこんなことを言う子ではない。何か理由があるのだろうが、さすがに中学生同士では⋯⋯
「なぁなぎさ、僕達はまだ中学生なんだぞ? それに⋯⋯」
なぎさは心臓に病気を持っている。身体が耐えられるか分からない。
「昨日、また病院に行ってきたんだ。るぎあくん、あたしね」
そう言ったところでなぎさは下を向き、両手で顔を覆った。
「⋯⋯あたしね、20歳くらいまでしか生きられないんだって」
頭が真っ白になった。
隣に引っ越してきてからずっと妹のように可愛がってきた幼馴染のなぎさが、身体が弱いとはいえ、いつも元気に笑っているこのなぎさが、あと数年で死んでしまう?
「そんなに悪いのか⋯⋯?」
「実感はないけど、そうなんだって」
「だったら赤ちゃんなんてやめた方が」
「だからこそなの」
涙を拭ったなぎさが強い眼差しで僕を見つめて言った。
「何も遺せずに死んでいくなんて絶対に嫌なの。時間が経てば経つほどあたしの病気も悪くなっていくし、体力もなくなる。だからまだ元気なうちに生みたいの」
「でも、おじさんとおばさんがなんて言うか」
「そんなの関係ないよ。あたしの、1人の人間としてのお願いなの。あたしがるぎあくんにお願いしてるの」
僕が⋯⋯
僕が決めるのか⋯⋯
頭を抱えてしまった僕を心配そうに見つめながら、なぎさが「げほげほ」と咳き込んだ。
手に血がついていた。
それを見た瞬間、はっきり「ダメだ」と思った。
「なぎさ! やっぱりダメだ! 赤ちゃんは諦めて、生きられるだけ生きようよ! ⋯⋯生きてくれよ!」
「でも、あたし⋯⋯」
決断が固いようで、首を縦に振ってくれない。
「るぎあくんに寂しい思いをさせたくないんだ。だからあたしが死んじゃっても寂しくないように⋯⋯あたしにくれた愛を、あたしたちの子にも注いであげてほしいの」
「でも」
「お願い」
覚悟を決めた顔だった。
「⋯⋯分かったよ。もう二度と反対しない」
それから僕達は会う度に行為に及び、なぎさは妊娠した。
医者は堕胎を強く勧めた。
なぎさの両親は僕を責めた。
親父は何も言わなかった。
なぎさに会わせてもらえなくなった。
それでも僕は後悔していなかった。
これがなぎさの希望なんだ。
これがなぎさにとっての幸せなんだ。
そう思うようにした。
僕に会えない間も、なぎさは断固として堕胎を拒否していたそうだ。
ある日、おじさんに呼ばれたので会いに行った。隣におばさんもいて、2人とも暗い顔をしてた。
「るぎあくん、君が説得してくれればなぎさも考えを改めると思うんだ」
「でも、これはなぎさの希望なんです。約束したんです、最後まで彼女に寄り添うって」
つらいけれど、僕は何よりもなぎさを優先すると決めたんだ。
「このまま産めばなぎさが死ぬ可能性は限りなく高い。場合によっては赤ん坊もろとも死んでしまうことになる。
でも、今堕ろせばなぎさは助かるんだ。先生も少なくとも5年は生きられると保証してくれてる。
僕達はもっとなぎさと一緒にいたいんだ。
頼む⋯⋯頼むよ⋯⋯るぎあくん⋯⋯」
ボロボロと涙を流す2人に心が痛んだ。
言葉が出なかった。
僕が間違っていた。
彼女が生きていることが1番に決まってる。それに、母親がいないことのつらさ、寂しさは僕が1番知っているはずじゃないか。
2人に協力すると決めた僕は、おじさんの車で病院へ向かった。
「なぎさ⋯⋯」
「るぎあくん⋯⋯久しぶり⋯⋯来てくれたんだ」
久しぶりに見たなぎさはお腹が少し大きくなっていたが、顔は明らかに痩せていた。
「なぎさ、大丈夫か?」
「あったりまえじゃん! なんとしても赤ちゃん生むんだから! じゃないとるぎあくん、寂しいでしょ!」
とびきりの笑顔を見せてくれたなぎさの額に汗が滲んでいた。
「お前、分かってねぇよ⋯⋯」
「え? るぎあくん?」
「僕が1番大事なのはお前なんだ! お前がいなくなることが1番寂しいんだよ!」
「だけどあたし、長生き出来ないから⋯⋯」
「だからこそなんだよ! 僕は1分1秒でもお前といたい! おじさんとおばさんだってそうだ! お前のことを1番に想ってる! だから考え直してくれ!」
「るぎあくん⋯⋯!」
「なぎさ! 分かってくれたか!?」
「見損なった」
「えっ」
今までに見たことのない表情だった。
「ちゃんと約束したのに。2人だけの約束だったのに」
「そんな、僕は⋯⋯!」
「るぎあくんは何も分かってない。あたしはるぎあくんの子を生みたいの。この先あたしを愛せない分、この子を愛して欲しいの。これだけは絶対に譲れないよ」
「生まれた瞬間から母親がいない赤ん坊がどれだけつらいか、寂しいか、お前には分からないんだ!」
「だったらさ⋯⋯」
目に涙を溜め始めるなぎさ。
「あたしの気持ちは、どうなるの? 自分だけ先にいなくなっちゃうあたしの気持ちは、どうなるのさ⋯⋯」
「なぎさ⋯⋯」
「あたしだって色々考えたんだよ。るぎあくんもパパもママもこの世で1番大好きだよ。1秒でも長く一緒にいたいと思ってる。
それでもあたし、るぎあくんとの赤ちゃんがほしいんだ。
あたしが生きてたっていう証を残したいんだ。
それに、赤ちゃん出来て気づいたんだ。あたし、自分の命よりこの子のほうが大事になってる。これはあたしが健康だったとしても同じことを思ってたと思う」
僕の後ろで聞いていたおばさんが泣き始めた。
「パパ、ママ、るぎあくん。あたしの最後のわがまま、聞いてもらえないかな⋯⋯?」
僕たち3人はただ黙って泣くことしか出来なかった。
正直、迷っていた。
なぎさの思いは分かったけれど、僕たちにだって気持ちはある。死んでほしくないという気持ちが。
久しぶりに学校に行くと、噂が広まっていた。
「なーかだしっ! なーかだしっ! マエダナギサになーかだしっ!」
クラスのいじめっ子が僕をからかったが、相手している余裕がなかった。
靴を隠された。
後ろからカバンを蹴られて階段から突き落とされた。
殴られた。
蹴られた。
いつしか僕は学校へ行かなくなり、悪い仲間とつるむようになっていた。
「なぁるぎあ、思い詰めてるようだけど大丈夫か?」
いつも良くしてれている高2の先輩が今日は特に心配してくれている。
「俺より聞き上手で頼りになる人がいるから、会わせてやるよ。でも怖ぇから失礼なこと言ったりすんなよ? ミースさんに泣かされた奴は数え切れねぇ」
そういうことでミースさんに会いに行くことになった。
「君がるぎあくんねぇ。ユーシから聞いたよ。いろいろ大変なんだってなぁ」
襟のところに刺青が覗いている。
「なぁるぎあくんよぉ」
今まで関わってきた人間とは全く違うオーラを放っていた。
「人の心ってのはな、人の数だけ存在してんだよ。全員を納得させるなんて、悲しませないなんてな、ぜってー無理な話なんだ」
そこでコーヒーをひと口飲み、タバコに火をつけて続けた。
「お前さ、男だろ?」
「はい」
「だったらな、誰を敵に回したとしても、テメーだけは絶対にその女の味方でいてやれ。絶対にだ⋯⋯分かったか?」
いつの間にか泣いていた。
初めて会った人間に泣かされたのは初めてだった。
「きゃっはっは! 泣くねぇ泣くねぇ!」
ミースさんとユーシさんは大声で笑った。
「もっと泣いちまえ! ここには俺たちしかいねぇんだ! きゃっはっはぁ!」
でっかい人だなぁ、と思った。
「なぁるぎあくんよ。正直言ってこのままだとお前、壊れちまうぜ?」
胸ポケットを探るミースさん。
「これ吸ってみろよ。気持ちが楽になるぜ」
さっきミースさんが吸っていたのと同じような物を手渡された。タバコかと思っていたが、タバコではなさそうだ。手作りのなにかだろうか。
2人に壁になってもらって隠れて吸ってみた。
心がパァーっと明るくなった。
希望が満ち溢れた。
強くなれた気がした。
今の自分なら、絶対になぎさを悲しませない男になれると思った。
それからミースさんは会う度にそれやタバコをくれた。その度に気持ちよくなった。
「ミースさん、誰? この地味な奴」
みあとの出会いは最悪だった。
僕を見つけたみあは、いきなり腹パンをしてきた。試すとか言って急に殴ってきたんだ。
「なに? こんなのでギブ?」
金髪で垢抜けていて、綺麗な顔をしていた。
ぬくぬくと育ってきて、ぬくぬくとヤンキーをやっているんだろうなと思った。
クラスでは比較的陽の当たらないところで生きてきた僕にとって、彼女は特に苦手なタイプだった。
そう思っていたけれど、同い年と知ってからは急に仲が良くなった。
みあはすでに両親と縁を切って家を出てきているのだという。強い子なんだなと思った。
星を見ながら一服していると、みあが隣に腰を下ろした。
「1本くれよ」
みあはタバコに火をつけ、深く息を吸い込み、ふぅーっと煙をくゆらせた。
「なぁるぎあ」
「なに?」
「お前、毎日のように元カノの看病に行ってるんだってな」
「元カノじゃないよ。なぎさの遺した子を育てるのが僕の役目なんだ」
「なにそれ、お金もないのにムリな話じゃん!」
お金は彼女の両親に頼るつもりだ。
「お金はなんとかする」
「そんなのに縛られてたら、人生楽しめないよ? まだ14歳なんだし、そんなの、辛いじゃん⋯⋯人生、これからじゃん⋯⋯」
「でも僕は彼女と約束したんだ。僕たちの子を愛し続けるって」
「わざわざそんな大変な道に進んで何になるんだよ。神様なんて見ててくれないし、ただお前が辛い思いするだけだよ」
「それでもいいんだ。僕が決めたことだ。僕はなぎさを1番大切に思ってる」
「そんなの⋯⋯可哀想だよ⋯⋯! もっと自分を大切にしろよ! るぎあの気持ちはどうなるんだ!? これからの人生、ずっと犠牲にし続けるのか!?」
みあがこんなに声を荒らげるのは初めてのことだった。
「そんなの⋯⋯かわいそうだよ⋯⋯」
「でも、約束が⋯⋯僕が妊娠させたんだし」
「妊娠は2人でしたんでしょ。しかもその子が無理を言ってきてたわけじゃん。るぎあに責任はないよ。この先ずっと辛い思いをして生きていくくらいなら、みあと逃げよ?」
「でも⋯⋯ぶっ!」
唇で口を塞がれた。
「もう、自分を傷つけるなよ。⋯⋯これからは、みあが守るから」
守る。
女の子からそんなことを言われたのは初めてだった。
今までは男である自分がなぎさの味方をしなければいけないと思っていた。
守られるという選択肢があったなんて⋯⋯
頭を殴られたような衝撃だった。
「いろいろ聞いて悪かったな」
みあはそう言って向かい直すと、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「ど、どうしたんだよいきなり!」
「見ろよ、これ」
身体中に痛々しい痣がある。
「みあの秘密も見せてやる」
ブラを外すと真っ白な小ぶりの胸がぶるんと顔を出した。
その乳房には、乳首がついていなかった。
「親父にやられたんだ」
言葉が出なかった。
この夜、僕は2人目の女性を知った。
こうして僕は、なぎさの前から姿を消した。
なぎさの両親からの電話もメッセージも無視した。
それからはみあ達が普段寝泊まりしている公園で生活するようになった。
ミースさんは僕たちがくっ付いたことをあまり良く思っていないようだった。
でも、それ以外の人は僕たちを受け入れてくれた。猛スピードでラブラブになっていく僕らを見ていてくれた。
「お前ら最高のカップルだよ!」
そう、僕たちは社会のはみだし者同士、最高にお似合いな最低カップルだ。
それから僕たちは幸せな日々を過ごした。
僕は僕の幸せを掴んだんだ。
これでよかった。
よかったんだ。
みあは全てを受け入れてくれた。
初めて会った頃はあんなに怖かったのが嘘のようだ。
悪く言えば依存になるんだろうか。
でも、今の僕にはみあしかいない。
早朝に目が覚めた。
周りはみんな寝ていた。
スマホを見てみると、なぎさの父親からメッセージが届いていた。
『なぎさが危篤で、最後にるぎあくんに会いたいと言っているんだ! どうか来てくれないか!』
「なぎさ⋯⋯!」
思わず声が出た。
なぎさが死ぬ――
そう思うと、いても立ってもいられなかった。
みんなを起こさないように病院へ向かった。
ベッドに力なく横たわるなぎさに、無数のチューブが繋がれていた。
それを見た瞬間、涙が溢れた。
自分がいかに勝手な人間だったか、薄情な人間だったか、思い知らされた。
「ご臨終です」
赤ちゃんも助からなかった。
おじさんとおばさんは僕を責めなかった。
公園に戻ると、ミースさんに殴られた。
なんでもみあが僕に捨てられたと勘違いし、自殺したというのだ。
「誤解だったってのは分かったが、それでも俺はお前を許せねぇ⋯⋯お前の身勝手さが許せねぇ。みんなみあが大好きだったんだ。それをお前は⋯⋯お前のせいでみあは⋯⋯!」
なんの言葉も出なかった。
「だからもう⋯⋯ここには来ないでくれるか」
静かにミースさんはそう言って、僕に背を向けた。
僕は路肩で一服して、車道に飛び込んだ。
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