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「What comes after」ものがたりを乗せた電車。
僕はあまり映画を見るほうではありません。ゲームする時間がね、どうしても取れなくなってしまうので。それでも映画ならではの感動ってあるなぁと感じるものもありました。「神様のお思し召し」とか。あれは好きでしたねー。
じゃあ「ゲームならでは」の体験ってなんだろう、とよく考えます。壮大なストーリーを追う?キャラ育成?強大なボスに挑む?それもゲームですが、映画のようでもある。同じエンターテイメントですから、似通った部分があっても不思議じゃないですよね。改めてFF7をプレイしてみたらすごく映画的な表現方法が取られてるな、と感じました。
「What comes after 」というゲームをプレイしました。普段なら気にしないインディーゲームだったかも知れません。でもなぜかビジュアルが目に留まり、紹介文を読んでみると、未だに忘れられない「コーヒートーク」という、テキストアドベンチャーゲームの作者の方の作品だったのですね。
これは買うしかないと、早速ダウンロード。軽く紹介させて頂きますと、電車の中で眠ってしまったら死者を運ぶ列車の中で目が覚めた。そこで彼女は命について考える、というものです。ホラーじゃないですよ?
このゲーム、「会話していく」だけです。選択肢も分岐もありません。ただ話を聞く。全てがこの流れ。「RPG」で言えば剣や鎧を装備して、強い魔物を相手に世界を救う、がベースにあると思いますが、そもそも「街の人の話を聞く」が基本でした。今は町の人の話は聞かなくても、ストーリーが進める作りになってますけどね。FF7ってまさにこれを時代の先陣きってやってた訳ですから、ゲームが映画の様になった流れを作ったのは凄いことですね。
これのどこがゲームなんだ、と考えますと、次から次に、でも話を聞きたくなるんですよね。たぶんスルーしてもOKなのでしょうが、一度聞くともう気になって気になって。色んな事を通してここにいるもんですから、深いんですよ。一人 、一匹、一頭、一本、の命のメッセージが。命、というものの根の深さを感じます。
ゲームは、自発的にその世界にダイレクトに干渉出来ることが映画との違いだと思います。これで言えば「命」について向き合っていくゲームってことですね。ストーリーが進み、エンディングも近くなってくると「生きる」こと、「生きていること」についても考えさせられます。そしてやさしく問われます。帰ったら「何がしたい?」と。もし僕なら即答で「ゲーム」と答えますが、多くの人が彼女と同じ答えをすると思います。だってそれですよ。生きるというのは。
死後の世界があるにせよないにせよ、生きていた、という後の話なわけでして、天国に行きたいとか、地獄に堕ちないためとか、死後の貯金のようなもののために生を使う必要はないんです。悪いことはダメですよ?
スタッフロール見終わった時、映画を見終わった感覚が残りました。いい意味で。客観的な視点がそう思わせるのかも知れません。しかし映画だけじゃない、大冒険をしたあとのゲームのエンディングでもあります。彼女が始まりと終わりでは変わっていくのと同様に、プレイヤーも世界って広くて深いものだなと改めて考えます。
命あってのモノダネ、生があってのゲーム。不思議とやんわりとテーマが心に寄り添ってきます。それにもう、エンディング曲がすこぶるいい。この世界を冒険した後の、眩しい世界の広がりをお手伝いしています。キラキラポップ、なんて呼ばれてたジャンルですかね、この手の音楽弱いんですよねぇ。
1周するだけなら1時間かからないかもしれません。製作者の意図でもあります。短編小説よりショート。この作品はゲームでよかったと思えるストーリー。皆さんも、ぜひ!
コケでした~。
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