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そうだけど、そうじゃない
スクエニが大変らしい。詳しいことはここでは割愛させていただくが、それはそれはめっぽう痛いらしい。
スクウェア・エニックスは元々は別々の会社で、各々がゲームを作っていた。
『スクウェア』と言えば、映画のような映像美が
特徴で、基本的には海外的「悲劇」のストーリーが展開されていく。代表作品である"ファイナルファンタジー"が特に顕著だった。
それに対し『エニックス』は日本的な物語で、誰にでも親しみを感じやすいゲームが多かった。『ドラゴンクエスト』は特に慣れ親しんだマンガのようで、誰もがヒーロー(勇者)になれた。
ぼくはどちらも好きで、今でも遊ばせていただいているけれど、当時合併すると聞いたときは世間のみなさまと同じく多少の不安を感じえなかった。素材は似ているが仕立て方が異なる。
「異なる」と言っても水と火とか和食と洋食とかそういう類いでもなく、どちらも同じ和食で洋食であり、同じコース料理でもある。
贅沢な素材をとにかく盛り込み、
豪華絢爛に仕立て上げるスクウェア。
素材は豪華ではあるものの、
素朴さも忘れないエニックス。
つまり、"素材は一緒なのだけれどメニューが
ちがう"と言ったところか。
キツネそばの上に天ぷらうどんを乗せるような、
そんな思いが付きまとっていた。
合併して上手くいくのか上手くいっているのか、よくわからないけれどもそれなりに新作も新規タイトルも楽しんでいる。
ただ、どうしても拭いきれないパートがあった。
それこそが今回の騒動と直結している。
ひとことでいうなら『お金かけすぎ』
どのゲームでもキャラクターモデルも素通りしてしまいそうな路地裏でもとにかくこまっかく描かれている。ムービーシーンのキャラクターのアップ画像なんてどれだけコストがかかっているのか素人目にもわかるほど。
髪の毛一本一本までもが高級シルクのよう。
ゲームにおいて映像美はあってもいいとおもう。
こだわってもいいともおもう。綺麗な方が没頭出来るし、美しい女性がより美しく描かれるのは、悪い気がしない。
そうであっても、そここだわりますか?ってところまで書きこんで人と労力を削っているのが目に見える。とあるゲームのスタッフロールを見て、関わっているスタッフの人数の多さに驚いてしまった。たしかに世界的にも名前のあるタイトルだけど、フルCGゲームでもなく、ムービーがちょくちょく入るわけでもないのに、ざっと150人以上関わっている感じがした。(正確にはわからない)
このゲームのどこにそんな人数かけるんだろうか。ゼルダの伝説でも300人ほど、と聞いたことがあるので、それもそれで1学校くらいの人数だけど、ゼルダの伝説ほどの規模にも思えないゲームにこれだけの人数をかけるなんて、いささか無謀なのでは?と思った。
案の定、リリースされてもあまり話題にもならず、売り上げもイマイチだった。
面白いんだけどね。あえて言わせてもらえば
「そうなんだけど、そうじゃない」かな。
燃える。アガる。楽しいし、面白い。
やり込めばやり込むほど手ごたえが生まれる。
達成感もある。満足もする。
全編通してもいい作品。だとしても
「そうだけど、そうじゃない」
いつ頃からだろうか。
スクエニにはこの空気が常に付きまとっていた。新作の発表でも往年の大型タイトルのリメイク作品でも、ずっとずっとこの『そうなんだけど、そうじゃない』感と付き合っている。
「言いたいことはわかるのだけど、今やりたいことではない」「たしかにアガるよね。でもちとメンドい」「リメイクするんだ!めっちゃやりたいよね〜。原作のままで」•••いつもそう思ってしまっている。期待と裏切りのシーソーがアンバランス。
それでもナントカカントカして、こちらの思いに折り合いをつけて遊んでいるのが現状だし、遊び終えても「やっぱりな•••」と言う消化不良感に苛まれる。うどんとそばは別々だから美味しい。
そもそも『エニックス』のウリだったコミカライズされた面白さがまったく見えないのがちと気になる。エニックスはドラクエが主力ではあるものの、他にたくさんのステキタイトルがたくさんあった。
スーパーファミコンでリリースされた、ロボにプログラムを仕込んで敵と戦う斬新なシステムの「スラップスティック」とか、宇宙野菜を育てて未知のヤサイ交配によって生み出される「アストロキング」を作る目的の「アストロノーカ」などなど。あ「スターオーシャン」もエニックスだっけか。(ちなみにエニックスはゲームは作らない)
初心者にもとっつきやすくホッコリもするし、時々キビシイ。とってもバラエティに富んだゲームを提供してくれていたエニックスがまったく見えない。すっぽりとスクウェアに呑まれたのではないか。
だからドラクエでさえ、「そうなんだけど、そうじゃない」感が横ぎる。遊んでみればその壮大で広大なゲーム性に没頭できる「ドラゴンクエストX〜オンライン〜(いちばん遊んでいるドラクエでもある)」だけど、「そうだけど、そうじゃない」を越えられないユーザーも多いと思う。
「映画のような映像美」を主戦にしてきたファイナルファンタジーも、そもそもが「ドラゴンクエスト」を徹底研究して作られている。「原型」がドラクエであり、マザーボードが「ドラクエ」なのである。そのドラゴンクエストが「そうなんだけど、そうじゃない」と感じさせられてしまったら、そりゃそうなるわなぁ•••(最初の騒動のこと)と帰結するわけでして。
ドラクエ3のリメイクは嬉しい悲鳴をあげているのがかつて勇者だった人が多めだし、知らない世代にウケるとも思えない。いいとこYouTubeのネタにされ、一過性の話題を振りまくに過ぎないだろう。XIの勢いを取り込み、原作を超える熱量を帯びるには、これと言ったトリガーがない。
同時にファイナルファンタジーⅨリメイクも騒がれているが、Ⅶのリメイクで予算回収に失敗しているのだからかなり厳しいだろう。もしリリースされたとしたら、打算的なスクエニの悪いクセが出てしまっただけに思える。ジタンがクラウドを超えるようには思えない。ぼくは好きだけど。
ビビの"生きている証明"は現代の人に見てほしいと思う。
自分でもこうして偉そうに言葉にして書いているが、「相手が求めている」ことと「やりたいことをやる」を区別しない方がいい。「相手が求めていることをやりたいようにやる」ことが「お仕事」ではないだろうか。キャラクターを「黒と白」で分けるのもそろそろ限界じゃなかろうか?絵写りが変わらなくて飽きてくる。個性もお堅くて息が詰まる。ハイテンションキャラでさえ見ていてツライ。
求めていることだけをやっていると退廃的になるし、やりたいことだけをやるのではユーザーとの齟齬が生まれる。シリーズものの難しさはここにあるのだけれど、ここに切り込めなければ、ドラクエもFFも「聞いたこともない」ものに成り下がる。実際、知らない世代を多くはらんでいるし。
なぜ古参ゲームである『ゼルダの伝説』が世界的大ヒットにまでこぎつけたのか。ゲームを知らない人まで巻き込んだのか。SNSに夢中(は言い過ぎか)の若い世代さえも取り込めたのか。
今スクエニにとっての「アタリマエ」を見直さなければ、2度と復活はアリエナイと思うのです。
もっとカラフルでポップでヒトナツッコイ
スクエニが見たい。
キビシイかね??
コケでした〜。
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