夭折の天才によせて
wowakaさんの訃報を聞いた。正直言葉にならない。彼がボカロPだった頃に、恐ろしい勢いでリピートして聞きまくっていたのを鮮明に記憶している。
申し訳ないことに、「ヒトリエ」を存じ上げなかったのは痛恨の極みだ。こんなタイミングで知ることになるなど、誰が予想できようか。
とても今何かをお祈りできるような精神状態ではないので、つらつらとボーカロイドについて語って行こうと思う。
初めて聞いた曲は覚えていない。確かみっくみくにしてやんよ、とかpackageとか、ロイツマとか、メルトとか、そのあたりだったと思う。ミク1周年のお祝いの時には、ニコ動に張り付いてコメント祭を見ていた記憶があるので、正直10年以上も前の話だ。
きっかけもバカみたいなお話で、当時ドラキチを拗らせまくった挙句、ドアラ動画を探しまくってニコ動に登録したのがきっかけで、ランキングに上がっているのを見たのが最初だった。(当時の中日は猛烈に強かったのだ、今は見る影もないけど)
そも私が商業音楽に見切りをつけて、当時猛烈な勢いでボーカロイドにのめり込んだのには、それ相応の訳がある。
当時の音楽業界は、今だからこそ分かるけれど、明らかにあの時代に音楽の売り上げは傾き始めていた。CDショップの店員として最前線で見ていた正直な感想だ。
とにかくダルかった。
一人誰かが売れると雨後の筍のように出てくる似たり寄ったりの曲とアーティスト。そして1曲で捨てられ、また別のアーティストが出てくる使い捨て感。
ダウンロードがどうだこうだ、と業界は大騒ぎしていたけれど、はっきり言ってそんなの関係なかったと思う。それくらい酷い売られ方をしていたし、黄金時代を知る人間の傲慢なプロモーションに愛想を尽かしてそっぽを向かれたのだと今でも思っている。
(ついでに言えば、Jから始まる権利団体も当時から大嫌いだった)
見ていてイライラするような売られ方をしているのがひしひしと伝わってきて、もう何ていうのか行き詰まり感というか閉塞感が酷かったし、遠くない未来にゲーム業界と似た道を辿ると確信するくらいには坂道を転げ落ちるように凋落の様相を呈していた。
そこに彗星のように現れたのがボーカロイド02 初音ミクだった。
レコード会社や世間から何の制約も受けず、ただ楽しく素人が好きなものを作り、発表して、その場で反応のコメントが流れ、さらに拡がっていく。
これだ、と思った。今でもその衝撃は忘れない。元々生音、生演奏、生ピアノ信者のきらいがある自分ですら、革命が起きたと思った。電子音への嫌悪感なんて一瞬でぶっ飛ぶ衝撃だった。
そこから、KAITOのシンデレラストーリーを見届け、リンレンの登場、ルカの登場、グミとガクポの登場、IAの登場まで見届けた。
すっかり商業と歌ってみたで変わってしまった感があり、最近は離れてしまっているのだけれど、それでもボーカロイドの登場は音楽業界にとって、正しく革命だった。
私はDIVA(PSPなどのゲーム)で散々曲を聴きまくっていたが(4本ほどプレイしたが、総プレイ時間は1000時間以上になる)、良いものはきちんと広がる。ボカロは最初こそ色々言われていたが、瞬く間に一般に流通していった。
そして、ボカロという一大ジャンルを築き上げ、このボカロブームを支えた立役者が何名か居る。
初期に土台を作り、しっかりと支えたのがsupercellとlivetuneという音楽集団が大きいと思っている。
そしてその後に出始めた第二世代にwowakaさんはじめ、ハチ(米津玄師)さんやDECO27さんやコスモP(暴走P)さんが当たるのではないだろうか。
ここは、ボカロの可能性というものを最大限に引き出し引き上げ、そして誰もが想像もしなかった強烈な個性と世界観を作り上げた世代だと思っている。
ロックでもJPOPでもなく、ボカロ、というジャンルを作り上げた世代だろう。
そういう意味で、wowaka(現実逃避P)さんの音楽は強烈だった。
ハイスピードでハイトーンのミクの歌声の方向性を世間に知らしめ、そして無限の可能性があることを知らしめたお一人だと思っている。
聞いたことない、こんな音楽。
それが第一印象。そして電子音の歌姫の強烈な個性を思い知る楽曲の数々。無個性のはずの電子音は、なによりも誰よりも個性的かつ強烈で、そして人間には出せない、歌えない高音域やスピード感のある音を表現するのにずば抜けているのだ、と。
そうなると人間はむきになる。歌ってみた、が流行した要因にもなっているだろう。
いいじゃないか歌ってやるわ!!という感情が溢れかえっていた。例に漏れず私もだ。おかげさまで超音波ボイスを出せるようになった(さすがに最近は出ない)。
瞬く間にみな、ボカロの魅力にのめり込んだ。楽曲に影響を受けた人も数多いだろう。
彼は幾多あまたある分岐点の、楔のひとりだった。
そしてその楔は、すっかり音楽そのものに腐りきっていた私に、もう一度音楽を愛するきっかけを与えてくれた。
私が最後まで、店が潰れるまでCDショップで頑張れたのは、ボーカロイドの存在なしには語れない。絶対に売れるから、と黎明期に出たlivetuneのアルバムを強気の枚数を入れて売り切った。
その後もずっと追いかけた。wowakaさんのアルバムも自分で購入した。
私の心に、音楽から離れないという楔を打ち付けた方だった。
悲しいとか寂しいというより、ぽかりとまるで大事なものが抜けてしまったような虚しさと悔しさがある。色々ありすぎて離れてしまったボカロの世界が、急にリアルに迫ってきて、そして無性に懐かしく、そして私の衝動に近い音楽への執着心もいっしょに蘇って、泣けて仕方がない。
彼らが築き上げたボカロというジャンルを、また自分で見つめて行きたいと思っている。
せめてもの彼へ手向けるものがあるとすれば、きっとこういう、彼の音楽を愛して、そして聴きたいと願う心だろう。
夭折の天才に、心よりの謝辞を。
あなたがいたから、私はきっとあの時、音楽に絶望せずに踏みとどまっていられた。
こんな形でしか伝えられない悲しみは、きっといつか忘れてしまうだろうけれど。
それでも、今後もあなたの歌を愛し、そして聴き続けて行きます。
この世界に、電子の歌姫を知らしめたひとりの楔は、そのまま根付いて広がっているから。
どうか安らかにおやすみなさい。
さよなら、お元気で。
終わる世界に言うーーー
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