昨年仕事をやめた話

ゴールデンウィークが始まった。みんな楽しそうにしているけれど、終わった頃に言われ始めるのが「五月病」。
仕事始めたばかりなのに、辞めたいとか何言ってんの、って周りは言うだろうけどそんな単純なお話じゃない。
世間にはブラック企業があふれているけど、ブラックにもホワイトにもなりきれない「グレー企業」は多く存在する。
ついでにいうと、どんなにホワイト企業と呼ばれていても、たった一人の同僚や上司のせいで、どこよりもひどい「ブラック企業」にもなる。
グレー企業はだいぶやっかいで、働いている人間は「まあブラックに比べればうちはましか」といった感情が働いて、より魔窟になっている場合が多い。働いている人もすっかり染まってしまっているので改革も改善も起きないし、大体中小でこうなってると経営者が率先してこんな感じなので、ますます自浄作用が働かず、新入社員が居つかない、なんてことになる。
そして、それが「近頃の若者は」で終わってしまう会社なんかだったりすると、目も当てられない。家族経営だけでやっているところが、いろんな意味で崩壊する理由だとも思っている。

昨今急激にブラック企業やグレー企業が増えたように見えるかもしれないけれど、私は「今の世の中だからこそ」分かるようになったんじゃないかな、と思っている。
昔はもっとひどかった。労働基準法とかまじでなにそれ美味しいのな企業なんて大企業でもごろごろしてた。
ようやく労働者の叫びや権利が通り、SNSという発信源が手に入り、拡散されてより世の中に知られるようになった、というだけだろう。
病気は、病名がついたら増えると言われている。少なくともロスジェネ世代の私の子どもの頃に、花粉症なんて言葉はなかった(あったかもしれないが一般的じゃなかった)。
今まで「原因不明」「別の病名」ないしは「突発性なんちゃら」という言葉で片付けられていたのと一緒で、ブラック企業もようやくその名前を与えられて表面化してきたんじゃなかろうか、と思っている。

閑話休題。
友人知人はご存じのとおりで、昨年8月、ようやく手に入れた正社員という身分を手放した。一度も正社員になれないまま、30代後半まで生きてきて、ようやく手に入れた職だった。
しかも会社側から請われてのパートからの正社員。
給与は安かったけど、やりがいもあったし音楽の仕事をしていくのは本当に楽しかった。
この業界では比較的安定した収入だったのも知っていたので、正直、この年齢でよく正社員にしてくれたなと感謝すらしていた会社だった。
おかしくなりだしたのは、別の店の合併話が現実味を帯びてきたころだった。
中途入社が異常に多い会社だったので、正直転職もせずうちの会社でしか働いたことのない社員を、私はたった一人しか知らない。
私が大好きなボスは40代後半でパートで入社し、そのまま管理職まで上り詰めた女性だった。
気さくで明るく、おおざっぱなところはたまにきずだったけど、それすらもキャラクターで笑い飛ばすような方だった。
そしてもうおひとり、私の所属店舗の元店長(私がパートで入った時にはすでにいなかった)、そしてその後本社移動に移動となり、販売部長で第一線で活躍された方。
この方も途中入社で、ボスと一緒の年齢だった。
どこかとぼけた風貌で、でもほぼ会社の売り上げのすべてをあの方が作り出していたのを知っている。
この二人が60歳で定年退職してから、会社がおかしくなった。
跡継ぎが上手く育っていなかったのも大きい。それでも、嘱託社員としてボスは残ってくれたし、部長も同じく本社に残っていた。
そんなタイミングでの店舗合併話。
そこにやってきた、女性の部長が究極に合わなかった。
元々小さな会社だ。別の地域部署とはいえ、そこまで車で40分ほどの距離だったので、当然顔見知りだし良く話もしていたし、仕事の関わりもあった。
この頃すでに、私はほとんどの店内店外のチラシや広告、そういうものをデザインしていたので、頼まれることもとても多かったのだ。
実は有名なクラッシャーで、今まで辞めさせた人間の数は両手両足では到底足りない。
外部社員も含めて、何十人もその人のせいで辞めているというのは知っていたが、正直一緒に働くまでその意味がわからなかった。

究極の外面美人だった。気に入っている人間や外部には人当たりがいいのだけど、気に入らない人間や自分に都合の悪いことになると、容赦なくこちらに責任をなすりつける。
息をするように嘘をつくし、ついた嘘すら忘れて私たちや外部職員のせいにする。自分は社長に媚びへつらい、気に入った子だけを重宝して可愛がった。
異様な雰囲気のまま、大改編と合併が行われ、そして私は慣れ親しんだ店舗から徒歩10分の新店舗に移動になった。
私のボスは、そこから40分ほどの新規店舗に強制的に飛ばされた。
部長は、グループ会社のまったく関わりのない部署に飛ばされて、連絡も取れなくなってしまった。
まず、この移動の話からしておかしかった。
私が移動になるのかならないのか、最後まで誰も知らなかった。私も聞かされず、どちらの店に居ることになるのか知らされたのは、工事も終わって移転も始まったころだった。
そして飛ばされた元ボスがそこに移動になるのも、ただなし崩しで決まってしまって、気が付いたらもう店にはあまり来なくなってしまっていた。
そして、旧店舗に残った人間への部長の攻撃が始まった。
気に入らないのをそちらに残して、徹底的に話が通らないことを理由にいじめぬいたのだ。
3人いた社員とパートさんが3名辞めた。わずか1年の間にである。
そして、やってきた別の社員をいたぶり、半年ほどで移動させると、今度はそこに気に入りの社員と何もしらない新入社員と新しいパートさんを詰め込み、そして矛先は私と営業の男性に向いた。
この営業の男性はどっちかというと飄々としていて、正直私は色々揉めたことがあって大嫌いだったのだけど、それでも同情して最後のころは世間話をするくらいまでにはなっていた。
家族も子供もいる状態ではその人はサンドバッグになるしかなく、しかしそれでも全然平気(本当に平気でなんなら言い返して喧嘩もよくしてた)だったので、完全に矛先がこちらに向いた。

世間では、鬱になると涙がとまらない、食事がのどを通らない、何事にもやる気がなくなる、熱が出る、などの症状が出ると言われている。
これはあくまで「出やすい」だけだと覚えておいてほしい。
まず、私の中で小さな変化があった。休日に動けなくなった。24時間家に居たら発狂するんじゃないか、とまで言われるくらい、じっとしていられなくて遊びにいく私が、一歩も出なくなった。
続いて、大好きなディズニーランドやディズニーシーに良く一人で行っていたのだけど、行っても「楽しくない」と思うようになっていた。
ライブに参加すればもちろん楽しい、でもそのあとの疲れ方とか、しんどさとか、そういうのがハンパじゃなくなっていた。
そして、ぎっくり腰。部長がやってきて2年の間に3回やらかした。動けなくなるタイプではなく、座れなくなるタイプ。歩ける動ける、でも座れない。
(これをビッグサイトでやらかしたのですが、このお話はまた書きます。死ぬほど当時迷惑かけた方本当にありがとうございました。そしてごめんなさい)
風邪もほとんどひかず、食事は普通に食べていたし、外食も外部職員さんと良く出かけていたし、見た目も自分の中でも元気だ、という認識しかなかった。
腰も、ひさしぶりにやらかして以降、癖になってしまったのだと思っていた(腰痛は高校生から20年以上のお付き合い)。
大人になったのかな、年をとったのかな、流石に行き過ぎて飽きたのかな、と思っていた。そんなわけあるか、と今では思えるのだけど、本気で当時はそう思っていたのだ。
日々起こるあまりにも理不尽な出来事で、ストレスだけがたまっていく。仕事の量も、3倍近くに増えてしまった。辞めた社員の分の仕事のしわ寄せがこちらに集まったのだ。
そして、自分がおかしいという決定的な事実にぶち当たってしまった。

泣けなくなった。映画を見てもドラマをみても、人が死ねば秒で泣きだすくらい涙もろい私が、一滴も涙が出ない。
あるミュージカルの解散ライブでそれが発覚した。ショックだった。大好きで大好きで、東京までどうにか通ったライブで、一滴も涙が出なかった。
そして、直後に仕事場であまりにもひどいことがあり、帰りの車の中でヒスを起こした。ずっと叫びながら運転して帰った。
もうここで、限界だと思ったのだ。それが3月のこと。
そこからすぐに、転職サイトに登録した。一刻の猶予もない、と本気で怖かった。
それでも、揉めて辞めるわけにはいかなかった。外部職員の方とも、パートさんともみんな仲が良くて、本当に良くしてもらっていたのと、なにより姪がうちの会社で習い事をしていた。
私が勧めて、である。絶対に、ここに迷惑をかけるわけにはいかなかった。
根回しも開始した。私が辞めてしまうつもりであることを、仕事終わりに各店舗に告げて回った。外部職員さんにもそのような話を告げて行っていた。
そして、繁忙期が終わり決算も過ぎたころ、行きたい会社も見つかり、それでもなお転職を迷う自分の背中を押してくれるであろうちょっとした占い相談、みたいな申し込みをした。
ここで話を聞いてもらって、そしたら面接申込みして退職届を出すつもりでいた。
そんな時に降ってわいたのが、ボスと一緒に二人で移動、新部署立ち上げ、という打診だった。

すごいでしょ?w もう今書いても笑い話なんだけど、即座に両親と友人に連絡。転職を渋っていた両親ですら、ひょっとしてこれ、お前に辞めて欲しいんじゃないか?と疑いだす始末。
正直、昇進だったんだけど、部長とセットという時点でアウト。しかも会社も部長本人もそれを分かっていない、ということがわかると、もうすぐに辞表を書きなさい、と背中を押してくれた。
この時、大きな人事異動があって、会社は大混乱だった。そのどさくさに紛れて8月15日を持って退職、というお話がとんとんと決定。
辞めるまでにひと悶着あるかと思ったけど、人事異動に忙殺された社長の引き留めもほぼなく、部長もあっさりと了承し(そりゃそうだ、私のこと嫌いだもんね)、めでたく退職。
ただし退職直前まで責任ある仕事を徹底的に押し付けられてて、マジでこの会社頭おかしいな、と思ってましたが。

退職日当日、手と唇に謎のじんましん大量発生。両手ともぱんぱんに腫れ上がってしまった。
よりにもよってお盆まっただ中。病院やってないわ保険証切れてるわで、半泣きでお盆明けから役所と病院のはしご。原因不明だと言われてしまったけど、なにかしらのアレルギーだろうと。
そして、唇の荒れは間違いなくストレスです、と言い切られてしまった。
暑過ぎる夏に完全にバテてしまい、そして転職先もほぼ決まりかけていたのに、何故かこれ以上人員増やせない、と一番上が言い出して流れてしまって。
そして、ぽこん、と3か月にも及ぶ長い夏休みが生まれたのだ。
はっきり言おう。丸2か月、ほぼ寝たきりだった。全然動けない。食事ものどを通らない。面接に行ったりはしていたけど、翌日疲れて寝込む。その繰り返し。
食事はとらないといけないから買い物には出たけど、平気で3日も4日も引きこもった。風邪もひいた。
10月ごろにようやく動き出せるようになったあたりから、とんとん拍子に今の職が見つかり、そして私は正社員の道を手放して、派遣社員におさまった。

ずっと言っているのだけど、正社員は定額使い放題だと思っている経営者や上司は割と本気で結構いる。
こんなのにあたってしまうと、最悪を通り越して、こうして私みたいな比較的真面目気味な、あっけらかんとした人間ですら壊されてしまう。
真面目に全部の言葉を聞いていたお前が悪い、と良く言われたけれど、てめえが聞かないから私のところに意見が集まるんだよ、と声を大にして叫びたかった。
幸い、再就職手当ももらえて、スズメの涙にもならない退職金の分は取り返せた。
私が結局、正社員になっても辞めずに続けていたバイト先でもすごく同情してくれて、バイトでそのまま働かせてもらえたし、何かあれば実家に助けてもらって、色々奇跡もタイミングも重なって、金銭面ではそれほど苦労しなかった。
けれど、それでもここまでなっててもいろんな制度がたくさんあることがよく分かって勉強になった。
ストレスをためるだけの人間とは縁がすべて切れたし、仲良しだった方には結婚式にまで呼んでもらえるほど今でも仲良くしていただいている。
しれっとその部長がいない間を狙って遊びにも行けるし、だいぶすっきりした。
昨年の今頃、あんなに病んでいた自分が、今はこんな文章を書けるまでに回復している。
あの時、もしすぐに仕事が辞められなければ、私は病院に駆け込む予定だった。恐らく間違いなく、鬱の診断がでていたと思う。
それとは別に、血液検査が健康診断でずっとひっかかっていたのだけど、元々の体質もあって糖尿病になってしまった。
あの時のひどいストレスに晒されて、結果がどんどん悪くなっていく様子を健康相談員さんが本気で心配してくれていた。この結果がストレスに拍車をかけているのなら、通わなくてもいいですよ、とまで言わせてしまった。
今年に入ってようやく専門の病院にも落ち着いて通えるようになって、酷い数値だけど徐々に良くして行きましょうね、という先生や栄養士さんの言葉にも勇気をもらえている。
あのまま職場に残っていたら、多分もっと悪化していただろうし、今でも病院には通っていなかったと思う。
ずっと作ってきたチラシや制作物は、あちこちで評価してもらった。これだけ独学で作れれば十分です、とも。
プロとしては勉強が必要だが、すぐに慣れるし大丈夫、とお墨付きまでいただいて、私は自分の進路や将来を決めることも出来た。
いずれ、独立して一人でやっていこう、という決心をつける決め手にもなった。

どこに行っても嫌な人はいる。
どこで働いても嫌な仕事はある。
どうやっても変えられないこともある。
でも、今の場所は、定時でぴったりに帰ることが出来る。
上の人には厄介な人もいるけれど、比較的私たちにはあたりが優しい。
体調が悪ければすぐ帰らせてくれる。
おうちで事情があれば、メール一本で休みを変えられるし、文句も言われない。
作ったものはとても褒めてもらえる。
挨拶しただけで、礼儀正しいと評価があがる。(これは前任者まじでしっかりしろ、としか言えないけど)
正直、今まで残業したりバイトしたりして稼いでいたお金が、残業なしでまるっと手元に入る。
バイトも続けさせてもらっている。短時間しか入れないけど、いてくれて嬉しい、と言ってくれるから。
お金のもらえるジムだと思って、今でも週2で通っている。

先日のディズニーランドとディズニーシーが涙が出るほど楽しくて幸せで、ああ、私ちゃんと戻ってきたんだなあ、って今とても実感している。
GWの後半は、東京で友人たちがいっぱい待っていてくれる。たくさん遊んで、たくさん食べられる。
病気のことはあるけれど、すぐに死んでしまう病気じゃないから(いやもちろん突然死のある病気だけど)、のんびり付き合っていこうっていう余裕もできた。

仕事を辞めたくらいじゃ、人間は簡単には死なない。
仕事を続けたら死んでしまう人間はいる。
死なないまでも、一生治らない病を抱えて、台無しになってしまう人もいる。

受け取り方次第だろうけど、本当に辛いならやめてしまっていいと思っている。
ただ、仕事が嫌なら理由問わずすぐに辞めてしまえ、という奨励ではない。これでも前職の仕事は元々は大好きだったわけだし、実際未練がないわけでもない。
嫌なことも多かったけれど、楽しいこともいっぱいあったし、経験を積み重ねることで克服できることならば、簡単に諦めずに仕事を続けてほしいと思う。
でも、その会社でしか出来ない事じゃない限り、人間同士、どうしても合わない人ってのは絶対にいる。
そこがストレスでおかしくなってしまうくらいなら、仕事なんてやめてしまえばいいのだ、というのが本題だ。
それが完全に無視できる人間ならともかく、そんな人はほとんど存在しない。前職の営業の男性とかくらいじゃなかろうか(ひどい)。
友人にも周りの声など一切知らぬ、自分の仕事が終われば即座に帰宅、仲良しこよしは吐き気がするわ、ってくらい図太い人がいるが、それでも1年にわたる陰湿な陰口といじめですっかり参ってしまって、部署移動になっている。それくらい、言葉の暴力はストレスになるのだ。

新しい職場で参っている人には、ぜひとも覚えておいていただきたい。
パワハラ案件は即座に上司に相談、もみ消すようなところであればすぐにやめてしまいなさい。それは会社全体がそういう体質だってことだ。努力でどうこう出来ないし、なんなら自分がすぐに壊れてしまうので逃げていただきたい。今すぐ、すみやかに。ASAP。
仕事が辛いなら、一つでもいいから楽しいことを探してみていただきたい。
周りの人が親切ならば、人間関係に恵まれる以上の仕事はないので、身体を壊すに至っていないのなら、出来る仕事を楽しいと思ってみてほしい。
言葉の暴力や嫌がらせなら、即座に辞めてしまえと言えますが、仕事がうまくいかないのなんて、そんなの新人ならば当たり前のこと。
成功体験しかしてこなかった人間は、一つの失敗で命を投げ出すほど落ち込みますが、この先生きていけば人間取り返しのつかない失敗を大量にやらかすのだから、いちいち落ち込んで命を投げ出していたら、何回死んでも足りなくなってしまうので。
怒られるにも種類がある。失敗を怒られて、そしてそこから原因を見つけられるか。意味不明の罵倒でない限り、それは指導にあたる。命に係わる失敗をやらかすわけにはいかないので、先輩や上司も必死なんだよ。でも、失敗から学んで人は成長していくのも間違いない。失敗した人を必要以上に責めるのは、いずれ自分に返ってくると思って、上司は意味不明の罵倒はしないで欲しいと思っているし、新人さんたちには怒られる=パワハラだと思ってほしくはない。
仕事の嫌の分類分けをしてみてほしい。
人が嫌なのか、仕事の内容が嫌なのか、出来ない自分が嫌なのか、怒られるのが嫌なのか。
どうか、命を大事に、そして楽しみながら、苦しみながら、新社会人の方や学生さんには生きてもらいたいと願っている。

こんな私の座右の銘は、人間万事塞翁が馬 である。

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