春になると思い出す
東京の春はいつから来るのだろう。
3月、東北の春はまだ後ろ髪くらいしか掴めない。たまに差す強い日差しも暖かさを感じるのは室内だけだ。外に出ると油断した首元から冷たい風が入り込み、身体を芯から冷やしてくる。
卒業式、始業式も冬物のコートは手放せない。中に着込む肌着の枚数だけが少し軽くなる。
やっと訪れたと思った春は、長い時間をかけて膨らんだ桜の蕾を一瞬で風で舞い散らす。
ずっとこう思っていた、春は慌ただしくて嫌いだ。
少しでも早く春が過ぎ去って油断せず暖かさを享受できる季節になって欲しいと願う中で、春について想う出来事がある。
社会人になって3年目の春、お世話になっていた女性役員の1人が退職することになった。定年まであと2年という中で、彼女は持病と向き合うのが苦しくなった、と退職することを笑顔で伝えてくれた。
職場の中で女性役員は彼女だけ。職場の女性のスタイルはオフィスカジュアルで良しとされる中で、毎日シワのない黒を貴重としたスーツを毎日ヒールと共に着こなしていた。
惜しむ間もなく退職の日が来た。
彼女は白のジャケットスーツに淡い桜色のストールを首に巻いて笑顔で挨拶をしていた。
心なしか頬もほんのりピンクに染まっている。
解放された喜びなのか、長い時を惜しむ気持ちなのか、私にはいまだにあの隙だらけの挨拶の背景に答えを出せずにいる。
環境が変わることは基本的に好まない自分ではあるが、責任と向き合った上での新しい責任への転機は何歳になっても喜びが伴うのだろうか。いや、あれはきっと挑戦することへの喜びだったようにも思える。
まだ冷たい風が身を引き締める三月。ふと天気を伺った時に見上げた空から差し込む光に、あの淡いピンクのストールを思い出す。
東北の春は急に訪れたと思った途端、急かすように背中を押してくる。惜しむことも許さぬままに。あぁ、やっぱり春は嫌いだ。
空を見上げて覗く日差しからは、春が私に決意を問いかけてくるような気がした。